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ハエ・蠅・はえ・・・・・・。
 私が毎日観ている【レジャーフィッシングへんしゅうぶろぐ】、今日のレイアウトYさんの記事で、四国のご実家のお母様との会話で、ハエのお話が書かれていました。

 そこで1982年の6月、クラブの会員5人で訪れた鹿児島県加世田市(現南さつま市)の、当時の会社の同僚のお宅でのことを、懐かしく思い出しました。

 ご主人とは夏季期間、ご一緒に働いているので気を遣うことはなかったのですが、まったく初対面の奥様から見れば、汗臭い大の男(中の男も混じってましたが)が5人も、突然やって来てさぞびっくりされたとは思いますが、嫌な顔ひとつせず農作業の手を止めて、私たちのために冷たい飲み物や、よく冷えた大きなスイカを切ってくださった。

 みんなで縁側に上がりこみ、スイカをいただいたり涼風を顔に受け昼寝をしたりと、まるで自分の実家に帰ったような状況でした。

 その時、スイカに集まってくるハエを気にして、何度も何度も手で追い払っている私に、『広島にはハエがおらんとですか?』といぶかしげに聞いてこられた奥様。
 『あっ!いえいえ、いますよ』と返事はしたものの、実は1982年当時の広島では、もうあまりハエは見ることはなかったのです。

 当然私の子供のころ昭和30年前半(1955年ころ)は、ずいぶんな数のハエが飛んでいて、【衛生】という観点から、学校には退治したハエをマッチ箱に入れてみんなが持って行っていました。
 今のようなプラスチィックのハエ叩きは無く、金網で出来たものか棕櫚(シュロ)の葉を使って、手作りで作ったハエ叩きで、たくさん捕るのが【ステータス】のような思いで、そのためにわざわざ魚屋さんのトロ箱置き場に行って叩いていました。
 天井からは、クルクルとなったリボン状のハエ捕り紙がぶら下がり、食器棚の上には海苔のような一枚もののハエ捕り紙が置いてあり、よく髪の毛などがくっついていたのもです・・・・。

 1982年とはいえ、農業の他に酪農をされていたそのお宅付近に、ハエが多かったのもうなづけるエピソードで、今でも懐かしく忘れる事ができません。

 今日8月7日は立秋です。
暦の上では秋ですが、今日の広島は摂氏35度越えの真夏日でした。

 参った参った今までで最高に暑い・・・・・と思っていたら、テレビで2010年の方が猛暑日や熱帯夜の日数が多かった・・・・と言っていました。
 そこで、このブログをさかのぼって見てみましたが、なるほど猛暑のなか萩市へ夜釣りの取材に行ったものの、暑いばかりであまり釣れなかったり、クラブのキス数釣り大会で13匹とか、ぼろぼろの釣り日記が書かれていました。

 先週末、山陰は江津市尾浜海岸に行かれた、美郷町のTさんの話では「非常にムラがあり、なんだか落ちのハシリのような雰囲気」とのメールがきました。
 これはどうやら2010年と同様、この月末のキス数釣り大会は相当な苦戦を強いられそう・・・・・と思っています。



 
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2012/08/07 20:00 | 未選択

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