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ルーツ探し・・・・・。
 先日、知人のルーツ探しのお話を書きました。
知人から預かった改製原戸籍をいろいろ見ていると、なんと文化6年(1809年)とか弘化2年(1845年)などと出てきます。(文化6年と言えば、徳川将軍11代家斉の時代です。そして弘化2年と言えば、嘉永6年ペリーが黒船で浦賀にやって来る8年も前です)
 その時代の人のお墓を探すのですから並大抵ではありません・・・。
次回は、もう少し探す範囲を絞って行こうと考えています。

 
 そのように、知人のルーツを探していると、私の祖先も祖父と祖母までしかわからないので、ここは一つがんばって探してみようと思い立ち、とある市役所まで行きました。

 正面入り口を入ろうとしたとき、その市役所から出て来た人に見覚えが・・・・。
市役所のお仕事が忙しいということで、数年の間あるクラブを休会され、「今年から少しは釣りに行けそうだから・・・・」と復帰された人でした。

 世間やマスコミでは、いかにも公務員にムダが多いかのような報道の仕方をしているのを見受けることがあるが、彼のようにたまの休みにも趣味の釣りに行けないからクラブを休む人もいるのです。

 学生は何を目指して勉強をするのでしょう・・・・・・、みんな学者になろうとしているわけではなく、やはり公務員とか大手企業に就職をするためにがんばっている人も多いはずです。
 がんばった分、そうやって報われる世の中でないと、努力をする甲斐がないのでは・・・・?
と考えてしまいました・・・・。
 

 懐かしい人に出会ったので、お話がそれてしまいましたが、話を元にもどしてみます。

 戸籍謄本を取ってみて思いました。
カミさんはどちらかと言えば山間部の出身で、その戸籍を見るとあんがい同じ町内での姻戚関係が多いのですが、私の先祖は島しょ部なので姻戚範囲が想像以上に広くなっています。
 もちろん、現代では転勤などであちこち他県との姻戚関係はあたりまえですが、江戸末期から明治にかけての姻戚関係は、瀬戸内海交通(山陰でも)の船を基本として広がっていたのでしょう。

 そう言えば、備後地方の漁師が船を家代わりにし、遠く長崎県の対馬あたりまでタイ釣りの技術を広めたと、何かで見たことがありますが、山間部に比べ沿岸部の交流は、そうやって広まったのでしょう・・・・。

 来週から結構スケジュールが詰まっているので、今週末はおとなしく家にいることにしています。
ただ、来週の天気予報はずーっと雨マークが続いていますね・・・・・。

 ここ何週かでかなり仕掛けを使ってしまったので、新たに来週からの釣りに備えて仕掛け作りに励みます。

 
 
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2010/07/08 21:15 | 未選択

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