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島の思い出。
 私は鉄道好きで、山陰における好きな場所は、ほとんどが列車が見える場所にある。

 他の乗り物ではフェリーも大好きで、あちこちで利用させてもらっている。
私が本格的に投げ釣りを始めたころ、私の釣行範囲ですでに架橋されていたのは、呉市と倉橋島に架かった音戸大橋、熊毛郡の上関大橋くらいのものでした。

 現在では、しまなみ海道やとびしま海道とやらで多くの島に橋が架けられ、本土と横並びの生活が営まれるようになっている。

 今から40年近く前のこと、現在もまだ橋の架かっていないある島に渡って釣りをしているとき、島の子供たちが船代わりの発泡スチロールや板切れを持ち寄って、私たちが釣っている場所に遊びに来ました。

 私たちは、足元に仕掛けを入れる釣りでもなく、邪魔にもならないのでほほえましくその光景に見とれていました。
 すると、すぐ前の家からおばあさんが出て来て、「あんたら~、お兄さんたち(当時)は、せっかくのお休みに釣りに来とるんじゃけぇ、あんたらはいつでも海で遊べるんだから、じゃましんさんな」と子供たちに言いました。
 子供たちは素直に返事をして、違う遊びをするためにどこかに消えていきました。
 なんだか子供たちに気の毒なような、島の人たちの暖かさに感動した忘れられない出来事でした。





 また、ある島では釣り場のすぐ裏のお家からおばあさんが出て来て、色々話しかけてきました。
「わたしゃぁ、あそこに見えるクレーンがあるところから嫁に来たんじゃ。本土に嫁に行くと、どこに行くにも電車賃が掛かるけぇ、本土に嫁に行かんほうがええでぇ・・・と言われてね・・・」とのこと。
 私はおばあさんに「おばあさん、そりやぁ本土にやるまいとして、だまされたんよ」と言いましたが、どうやらおばあさんは今でもそれを信じているようすでした・・・・・・。

 太古丸とか清信丸というフェリーで渡っていた島でのお話。
ある港で釣っていると、地元の小学高学年の男の子がものめずらしげにやって来て、やっと慣れたころに発した言葉は「どこから来たと?」「広島から」と答えると、さすが高学年「ずっと遠くの広島か?」と。
「うん、広島から博多まで来て、そこからまたここに来たんよ」と言うと、けげんそうな表情を浮かべた後、「広島には魚がおらんと??」ときた。
 なるほど、確かに子供からみると素朴な疑問として、その言葉が出たのでしょう・・・・。

 くにがというフェリーで渡った島、いたるところにおいしそうな真っ白いイカが干してある。
どうしても食べたくなった私たち、友人の一人がイカの干してあるお家に行って、出てきたおばちゃんに開口一番ガチガチの広島弁で、「おばさんいかうらんのん」おばちゃんは?マークが五つくらい出たような顔・・・・・。
 そこで私が通訳、「おばちゃん、このイカ分けて(売って)もらえませんか?」
 おばちゃん、言葉が通じてタダ同然で分けてくださった・・・・。


 鯨波丸という小さなフェリーで渡った島、お目当ての尺ギスも釣ったので、少しでも観光を・・・・と思い、路線バスに乗って隣の集落に・・・・・。

 時間も忘れて武家屋敷通りやきれいな砂浜をめぐっていた鴨谷師と私に、出発時間を報せるクラクションを鳴らして教えてくださった運転手さん、このバスに乗りそびれるともうバス便はなかった・・・・。
 島の人情を現すに充分なそのクラクションは今でも忘れる事はできません。

 まだまだたくさん思い出深いお話があります。
こんないい人たちと会える島々、フェリーに乗るとついつい心が躍ります。



 
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2011/07/01 21:05 | 未選択

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