今日、10月10日はおさかなの呼び名のひとつ、【トト】に合わせてととの日として呼ばれて久しいが、なんとなく忘れられているような気がする。
思えば、鴨谷師がご健在だったころ全日本サーフ広島協会として、広島湾に浮かぶ似島を会場に、投げ釣り大会・投げ釣り教室を10数年にわたって開催されていた。
(これらの記事は、1982年に開催された『県民投げ釣り大会』のもようです。全日本サーフ広島協会機関誌『潮友(ちょうゆう)』6号より転写)
また、それをさかのぼること3年、1979年10月10日には広島市の三越デパートの催し場を借り切って、三日間『世界の釣り展』も開催した。
日本全国からお招きした著名な釣り師の講演があったり、和竿制作の竿師の方も実演されたり、カラー魚拓で名高い方など多くのゲストをお招きした。
またデパート屋上のプールにはニジマスを放し、来場者に釣ってもらったりと、釣り界としては一大イベントだった。
私も、前日から水槽に入れて展示する渓流魚のアマゴを、現在の北広島町から生きたまま運んだり、3日間は仕事を休み会場整理のお手伝いをした。
鴨谷師はまことに実行力のある方で、お手伝いも大変だった記憶はあるが、釣り文化向上には大変に役にたったイベントだった。
その時に、ご一緒に写真を撮らせていただいた、左服部名人と右中井戸嘉彦氏(当時、11PMという番組で有名だったお二人)。まんなかで緊張しているのが30代の私。
色紙に書いていただいた『釣道一筋』、今も心掛けています。
私たちも、いつか10月10日トトの日に、似島で投げ釣り教室を開きたいものです。
思えば、鴨谷師がご健在だったころ全日本サーフ広島協会として、広島湾に浮かぶ似島を会場に、投げ釣り大会・投げ釣り教室を10数年にわたって開催されていた。
(これらの記事は、1982年に開催された『県民投げ釣り大会』のもようです。全日本サーフ広島協会機関誌『潮友(ちょうゆう)』6号より転写)
また、それをさかのぼること3年、1979年10月10日には広島市の三越デパートの催し場を借り切って、三日間『世界の釣り展』も開催した。
日本全国からお招きした著名な釣り師の講演があったり、和竿制作の竿師の方も実演されたり、カラー魚拓で名高い方など多くのゲストをお招きした。
またデパート屋上のプールにはニジマスを放し、来場者に釣ってもらったりと、釣り界としては一大イベントだった。
私も、前日から水槽に入れて展示する渓流魚のアマゴを、現在の北広島町から生きたまま運んだり、3日間は仕事を休み会場整理のお手伝いをした。
鴨谷師はまことに実行力のある方で、お手伝いも大変だった記憶はあるが、釣り文化向上には大変に役にたったイベントだった。
その時に、ご一緒に写真を撮らせていただいた、左服部名人と右中井戸嘉彦氏(当時、11PMという番組で有名だったお二人)。まんなかで緊張しているのが30代の私。
色紙に書いていただいた『釣道一筋』、今も心掛けています。
私たちも、いつか10月10日トトの日に、似島で投げ釣り教室を開きたいものです。
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