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友 竿置けり・・・・・・・。

  1980年代前半、現連盟事務局長の大田氏と3人で釣行していた、当時とあるクラブの会長をしていたN田勝治氏。
 1980年代後半には難病を患い、遠征もできないし無理ができない・・・・・と、釣りを止められ、その後お会いしたのは1989年に鴨谷師のお見舞いにご一緒したのと、2000年えのみやサーフ25周年記念大会の前夜祭に駆けつけていただきお会いしただけで、年賀状だけのやりとりになっていました。

 おととしは手書きの年賀状が届きました、昨年は年賀状が届かず、そして今年は奥さまのお名前で「たくさんの良い思い出をありがとうございました」との年賀状が届きました。
 その尋常ではない流れに不安を抱えましたが、直接奥さまにお聞きするわけにもいかず、心配をして電話してきた大田さんとやきもきしていました。

 N田さんの後、会長をされていた安Yさんにメールをして確認していただいたところ、予感的中・・・・・・・・、悲しいことにおととしの12月にお亡くなりになっていたそうです。



(1983年9月、大田氏と3人で釣行した長崎県上五島でN田氏と)

 この時、道土井浦(今は埋め立てられ面影もありません)でたくさんの方々から、彼岸餅、揚げたてのてんぷら、アサリの蒸したもの、日本酒一升瓶など次から次からいただき、極めつけは小さなお子さんのいる若夫婦が「お風呂に入りなさい」と、見ず知らずの3人を家に招いてくださり、しっかりと汗と疲れを流させていただきました。
 これらの交流も、もとはと言えば人懐っこいN田さんの挨拶から始まったのです。




(1984年、徳島県鳴門市に大田氏と3人で・・・・・・・私はまだタバコぷかぷかのころなので痩せていました)

 瞬間湯沸かし器のような性格の私でしたが、穏やかで人懐っこいN田氏と、話をきちんと聞いてくれる大田氏に何度学ばせていただいたことか。




(1985年3月、島根県隠岐の島通天橋をバックに)



(中の島の崎漁港で船小屋をお借りしての3人で晩餐、楽しい思い出です)

 この時は、帰広予定の日にフェリー全便欠航の島内放送に3人とも大慌て!
携帯電話など持たないころなので、公衆電話を探して回り家庭や会社に連絡で大変でした。
 翌日のフェリーは二日分の乗客で超満員(>_<)、でも、そのお蔭で当時全日本サーフ備後協会長だった村上哲氏と乗り合わせ、お話が(笑い話)できたのも今となってはいい思い出です。

 おととしといえば、元広島サーフのT久先輩や安芸サーフのI部先輩もお亡くなりになった年ですね・・・・・・・。

 先輩やよき友をしのんで下手な一句

 『また一葉
    友 竿置けり
       喪中の書







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2015/01/09 20:10 | 未選択

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