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帰りは松山観光港からフェリーで。

 17日の夜中中降り続いた雨、18日の朝の三瓶湾は「小雨けぶる」と言った風情。
こうなると、雨を口実に帰ることはできないので、16日に釣った場所で再度竿を出す。

 三崎ではトーナメントサーフTⅡ 30-405だったが、ここではまたキャスティズムT20-385の出番。

 満潮まで釣るが、本日は青ベラは一匹も顔を見せず、20㌢前後の赤ベラばかり・・・・。
「大きくなって青ベラになって来いよ!」とすべてリリース。

 ここで青ベラ、赤ベラと呼び分けている【キュウセンベラ】について、ご存じでない方へ、
ひとくさりご説明を。



(上が赤ベラと呼ばれる雌で、下が青ベラと呼ばれる雄のキュウセン)

 
 キュウセンとは、雌の体側に現れる線が九本に見えることから名づけられている。
冬場の寒い時期や、夜は砂に潜って寝る習性があるので、冬場の磯歩きなどのおり、踏みつけられた砂地から飛び出してくることがある。
 冬の夜など、潮の引いた砂浜で手掘りのできる珍しい魚。

 小さいうちはすべて雌の赤ベラで、大きくなると青い雄になることで知られるおさかな。
私たちは、26㌢以上の青ベラを狙って釣行するが、その釣り場で20㌢ちょいの青ベラが釣れるということは、その釣り場ではだいたいそのサイズが頭で、狙いの26㌢は期待できないということ。
 逆に、22~23㌢の赤ベラが釣れるということは、それ以上のサイズの青ベラがいると期待できるわけです。

 2013年12月までの日本記録は
和歌山県串本で1983年に釣りあげられた34・7㌢です。

 

 さてさて、満潮の10時前まで粘ったものの赤ベラばかりなので、竿を納めて帰途につくことに。
エサの青ゴカイは5分の1くらいしか残っていませんが、カワハギ狙いの極細本虫は半分くらい余ってしまった。
 「ベラさん、大きくなれよ」とエサを放流。

 再度、みかめ海の駅 潮彩館に寄り、昨日は買えなかった刺身を追加して県道26号線を八幡浜へ。
八幡浜から号線を大洲北只へ、そこから無料区間を大洲まで。

 大洲からは節約の意味もあって、懐かしい56号線を走ることに。

 弘法大師さまが野宿をしたと謂われる【十夜ヶ橋】(お大師さんが橋の下で寝たとき、眠れないので一晩が十夜ほどに感じたことからこの名前が付けられたそうで、お遍路さんは今でも橋の下で寝ているかもしれないお大師さまを起こさないように・・・・・・・と、橋を渡るとき杖を突かないようにしています)の交差点から56号線へ。

 56号線を走ったのには、節約だけではなく他にも目的があったのです。
今から20年くらい前、よく三瓶のキス釣りに通っていたころ、内子町の峠で見つけた【焼きサバ】の看板がずっと気になっていたのです。

 三崎にカワハギ狙いに行きだしたころは、いつも高速を走っていたので、気になりつつも寄ったことはありませんでした。



(内子町立川にある、ずっと気になっていた焼きサバの大田原鮮魚店)


 

(ずらりと並んだおいしそうな炭火焼の焼きサバ、見ただけで食欲をそそられます)

 大人買いで3匹も買いましたが・・・・・・・。

 他にも内子の町中にある【旅館 松乃家】の郷土料理【伊予さつま】が食べたかったし、内子町の隣町、中山町にある骨董品店にも寄りたかったのですが、12時15分松山観光港発のフェリーに乗りたかった(これを逃すと14時15分)ので先を急ぎました。

 なんとか12時05分に松山観光港に着き、12時15分のフェリーに乗船することができました。



(音戸の瀬戸手前で、このフェリーより45分あとの、松山観光港13時発のスーパージェットに追い越しを掛けられましたemojiやはりスパージェットは速い)



(音戸大橋を二つ潜ったところで、今度は広島港13時30分発のスーパージェットとすれ違い)

 行き帰りを高速道路の予定でしたが、今回はちょっと腰を痛めたので、遠回りの高速はやめてフェリーに。
 

 大人買いをしてしまった焼きサバ、いくらなんでも一人で一匹は多いので、ぎっくり腰の治療を兼ねて、ご近所の整骨院の先生に一匹持って行きました・・・・・・・・がぁなんとぉ!!
 ここ当分行かなかったので全然知らなかったのですが、魚釣りの好きな院長先生が替わっていたのです!
と言うことは、3月17日に持って行ったカレイ4枚も、その先生には届いていなかったんですね・・・・・。






 

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2014/04/22 19:50 | 遠征のお話・思い出

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