投げ釣り人には、キスマニアもいればカレイマニアも人語に落ちない。
私の住まいするエリアで、早場のカレイと言えば山口県岩国市の神代漁港が真っ先に挙げられる。
早い年では、9月のお彼岸過ぎに姿を見せることもあり、シーズンあたまには熾烈な先陣争いが繰り広げられる。
ここ神代漁港、下の写真のようにずいぶん昔から広場管理料の徴収がなされている。
考えてみるに一漁協がこのような施設を作れるはずもなく、どこもかしこも県の港湾振興局などが構築に関与し、各漁協に管理を移管しているはずだがと文句の一つも出そうだが、ここまですっきりと明記していると、おおっぴらに釣りができるので、目くじらを立てることなく釣りをした方がいいような。
11月6日、平日とあって5時起き、岩国インター6時、かめや釣具通津店に寄っての7時過ぎに着いても先客は無し
ここは多少底が荒いので、これまでは15号の遊動天秤に力糸直結、仕掛けも遊動にしないで直結にして、もし食ったお魚が根に潜っても、軽い鉛なのでお魚が引っ張ってくれて根から外れる・・・・・・とのイメージで釣っていた。
ところがどうだろう・・・・・・?
今年の海底は、一言で言うなら「スルり」といった感じで、まるで歯ごたえがない・・・・。
それでも、折角なので3本のロッドを、まるで《エサ給餌機》のように、順に投げては巻き、エサを付けては投げ、また次のロッドを巻き上げエサを付けて投げるを繰り返す。
きれいにハリだけになって上がってくる仕掛け、多分5分も置いていないのでは・・・。
9時過ぎたころ、少しだけエサが残り始めた、これはチャンス到来かと期待をして、巻いては投げるがさっぱり・・・・・・一度も根掛かりはしない・・・・・・。
釣り場の左向こう、漁協から警戒線が二隻でて、ダイバー作業を見守っているとのことだが、まさかダイバーが潜るくらいで砂が流れてくる筈はないのだが・・・・?
昨年の10月5日には、アオゴカイ5,000円すべてをエサ取りさんのために使ってしまったが、今年はもう一つの目的があるため200gしか買っていなく、11時エサ切れ納竿とする。
結局、リリースのチビチャリ子、チビエソ、チビギザミに、27~28のチャリ子2匹だけの持ち帰り。
大島大橋から往復88km走って、周防大島の先っぽ日向泊を目指して走る。
何10年振りかの日向泊、全日本サーフキャスティング連盟60周年記念誌の特集《釣り場今昔》で、約60年前の日向泊の写真と比べるため、現在の日向泊の写真を求めて
(写真上、1960年後半座布団ガレイで沸いた日向泊の二本松の浜)
(現在の浜、座布団ガレイは姿を消し、釣り人もいなく、ソーラーパネルが列をなしている)
日向泊よりさらに先っぽの両源田集落で感慨に耽っていると、フェリーのエンジン音が近づいてきた。
山口県柳井港と松山観光港を結ぶ防予フェリーが、周防大島と情島の狭水路を航行している。
狙いのカレイは釣れなかったが、いい休養になった一日を過ごせた。
私の住まいするエリアで、早場のカレイと言えば山口県岩国市の神代漁港が真っ先に挙げられる。
早い年では、9月のお彼岸過ぎに姿を見せることもあり、シーズンあたまには熾烈な先陣争いが繰り広げられる。
ここ神代漁港、下の写真のようにずいぶん昔から広場管理料の徴収がなされている。
考えてみるに一漁協がこのような施設を作れるはずもなく、どこもかしこも県の港湾振興局などが構築に関与し、各漁協に管理を移管しているはずだがと文句の一つも出そうだが、ここまですっきりと明記していると、おおっぴらに釣りができるので、目くじらを立てることなく釣りをした方がいいような。
11月6日、平日とあって5時起き、岩国インター6時、かめや釣具通津店に寄っての7時過ぎに着いても先客は無し
ここは多少底が荒いので、これまでは15号の遊動天秤に力糸直結、仕掛けも遊動にしないで直結にして、もし食ったお魚が根に潜っても、軽い鉛なのでお魚が引っ張ってくれて根から外れる・・・・・・とのイメージで釣っていた。
ところがどうだろう・・・・・・?
今年の海底は、一言で言うなら「スルり」といった感じで、まるで歯ごたえがない・・・・。
それでも、折角なので3本のロッドを、まるで《エサ給餌機》のように、順に投げては巻き、エサを付けては投げ、また次のロッドを巻き上げエサを付けて投げるを繰り返す。
きれいにハリだけになって上がってくる仕掛け、多分5分も置いていないのでは・・・。
9時過ぎたころ、少しだけエサが残り始めた、これはチャンス到来かと期待をして、巻いては投げるがさっぱり・・・・・・一度も根掛かりはしない・・・・・・。
釣り場の左向こう、漁協から警戒線が二隻でて、ダイバー作業を見守っているとのことだが、まさかダイバーが潜るくらいで砂が流れてくる筈はないのだが・・・・?
昨年の10月5日には、アオゴカイ5,000円すべてをエサ取りさんのために使ってしまったが、今年はもう一つの目的があるため200gしか買っていなく、11時エサ切れ納竿とする。
結局、リリースのチビチャリ子、チビエソ、チビギザミに、27~28のチャリ子2匹だけの持ち帰り。
大島大橋から往復88km走って、周防大島の先っぽ日向泊を目指して走る。
何10年振りかの日向泊、全日本サーフキャスティング連盟60周年記念誌の特集《釣り場今昔》で、約60年前の日向泊の写真と比べるため、現在の日向泊の写真を求めて
(写真上、1960年後半座布団ガレイで沸いた日向泊の二本松の浜)
(現在の浜、座布団ガレイは姿を消し、釣り人もいなく、ソーラーパネルが列をなしている)
日向泊よりさらに先っぽの両源田集落で感慨に耽っていると、フェリーのエンジン音が近づいてきた。
山口県柳井港と松山観光港を結ぶ防予フェリーが、周防大島と情島の狭水路を航行している。
狙いのカレイは釣れなかったが、いい休養になった一日を過ごせた。
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呉線沿線の投げ釣りマンなら知らぬ人はいないくらい、アングル小屋浦店の吉田さんが11月1日お亡くなりになられたそうです。
いつも小屋浦店の駐車場に入ってすぐ右側、看板の下に黒っぽい車を停めているのが目印で、江田島に行く時は挨拶がてらに顔を見に寄っていたものです。
今年夏前から車を停めているのを見なくなって、気にはなっていたのですが、何かの事情でお辞めになったのかな・・・・・・・・と思っていました。
釣り仲間のN原さんの話では、5月ころから病気療養中でしたが、苦しむことなく11月1日に・・・・・。
本当に寂しくなりました、ご生前のおだやかなお顔を偲び、謹んでお悔やみ申し上げます。
いつも小屋浦店の駐車場に入ってすぐ右側、看板の下に黒っぽい車を停めているのが目印で、江田島に行く時は挨拶がてらに顔を見に寄っていたものです。
今年夏前から車を停めているのを見なくなって、気にはなっていたのですが、何かの事情でお辞めになったのかな・・・・・・・・と思っていました。
釣り仲間のN原さんの話では、5月ころから病気療養中でしたが、苦しむことなく11月1日に・・・・・。
本当に寂しくなりました、ご生前のおだやかなお顔を偲び、謹んでお悔やみ申し上げます。
10 月26日正午から、27日正午までの間で行われた全日本サーフキャスティング連盟《中・四・九交歓落ちギス大会》、今年も愛媛県西予市の三瓶に行ってきた。
ここ三瓶、1974年に初めて27㌢のキスを釣った思い出の場所で、まだ橋の架かっていないその時代、せっせと通い詰め、愛媛協会の大会などで大ギスを釣り、入賞などの思い出多い釣り場です。
いつしか大ギスはおろか小ギスも姿を消してしまいましたが、ついつい『落ちギス』と聞けば、三瓶へとハンドルを切ってしまうのです。
今のねらい目は、瀬戸内西部ではあまり見ることのできないイトヨリ。
同行者の仕事の都合で、釣り場に着いたのは薄暗くなった18時過ぎ。
さっそく竿を出す同行者、『夜きらい・雨キライ』な私は竿を出す気にはならない。
地元のご夫婦が散歩にやってこられ、「あんたらどっから来た?釣れりゃぁいいが」と。
しばらくしたころ、自転車で再度やってきたご主人が「タコとイトヨリのさばいたの、畑で作ったさつま芋をあげよう、何も釣れんかったら三瓶まで来て気の毒だから」と。
来るたびに三瓶の人達のやさしさに感動する。
最初の年、空き地に車を停めていたら、「今からそこの草刈りをするから、あそこの駐車場に停めなさい」と。
草を刈り終わったら「きれいになったろ」と、車を元の位置に停めるように勧めてくれた。
気持ちよく釣りをさせていただくのには、やはり挨拶は大切だなぁ・・・・・とつくづく思います。
昨夜のお父さん、朝には車でやって来て「気をつけてお帰りよ!」と。
午前7時前に時合いがきたのか?イトヨリの40㌢、すぐにカワハギの30㌢が釣れ、続いて船の近くに投げていた竿に、さっきの40㌢より大きいと思われるイトヨリが。
しかし、ゴリ巻きをしなかったので、船を係留しているロープに魚が掛かり、ロープのフジツボなどでハリス切れ・・・・・・・・・・
アタリも止まったので、今回のもう一つの目的、みかめ潮彩館へみかんとキウイを買いに。
ところがどっこいカメムシの異常発生でキウイなど果物はさっぱり、みかんは栽培農家さんが減って・・・・・、と去年の半分くらいしか売られていない
その後はあまりアタリはなく、イトヨリの30㌢未満を追加しただけで終了。
同行者もイトヨリの40㌢を一匹、30㌢未満を3匹、連盟の大物エソの40オーバーを釣っていた、
帰り道は、大三島インターで降りて、大三島の島の駅でみかんとキウイをたっぷりと追加購入し、島の北部にある盛港から大久野島経由の忠海港へのフェリーを利用。
この大三島フェリー、珍しく休日割引もあり、おまけには同乗者も無料になる。
普通は稼ぎ時の休日の方が高くなりそうだが、我々にとってはありがたい
ここ三瓶、1974年に初めて27㌢のキスを釣った思い出の場所で、まだ橋の架かっていないその時代、せっせと通い詰め、愛媛協会の大会などで大ギスを釣り、入賞などの思い出多い釣り場です。
いつしか大ギスはおろか小ギスも姿を消してしまいましたが、ついつい『落ちギス』と聞けば、三瓶へとハンドルを切ってしまうのです。
今のねらい目は、瀬戸内西部ではあまり見ることのできないイトヨリ。
同行者の仕事の都合で、釣り場に着いたのは薄暗くなった18時過ぎ。
さっそく竿を出す同行者、『夜きらい・雨キライ』な私は竿を出す気にはならない。
地元のご夫婦が散歩にやってこられ、「あんたらどっから来た?釣れりゃぁいいが」と。
しばらくしたころ、自転車で再度やってきたご主人が「タコとイトヨリのさばいたの、畑で作ったさつま芋をあげよう、何も釣れんかったら三瓶まで来て気の毒だから」と。
来るたびに三瓶の人達のやさしさに感動する。
最初の年、空き地に車を停めていたら、「今からそこの草刈りをするから、あそこの駐車場に停めなさい」と。
草を刈り終わったら「きれいになったろ」と、車を元の位置に停めるように勧めてくれた。
気持ちよく釣りをさせていただくのには、やはり挨拶は大切だなぁ・・・・・とつくづく思います。
昨夜のお父さん、朝には車でやって来て「気をつけてお帰りよ!」と。
午前7時前に時合いがきたのか?イトヨリの40㌢、すぐにカワハギの30㌢が釣れ、続いて船の近くに投げていた竿に、さっきの40㌢より大きいと思われるイトヨリが。
しかし、ゴリ巻きをしなかったので、船を係留しているロープに魚が掛かり、ロープのフジツボなどでハリス切れ・・・・・・・・・・
アタリも止まったので、今回のもう一つの目的、みかめ潮彩館へみかんとキウイを買いに。
ところがどっこいカメムシの異常発生でキウイなど果物はさっぱり、みかんは栽培農家さんが減って・・・・・、と去年の半分くらいしか売られていない
その後はあまりアタリはなく、イトヨリの30㌢未満を追加しただけで終了。
同行者もイトヨリの40㌢を一匹、30㌢未満を3匹、連盟の大物エソの40オーバーを釣っていた、
帰り道は、大三島インターで降りて、大三島の島の駅でみかんとキウイをたっぷりと追加購入し、島の北部にある盛港から大久野島経由の忠海港へのフェリーを利用。
この大三島フェリー、珍しく休日割引もあり、おまけには同乗者も無料になる。
普通は稼ぎ時の休日の方が高くなりそうだが、我々にとってはありがたい
前日の雨、上がったと喜ぶ間もなく吹き荒れる風。
大切な仲間と8人でお手伝いに行ってきました。
運動会シーズンでもあり、今年からの募集方法の違いもあり、参加者は例年になく少な目。
ただこの強風、釣り場が混雑していたら風に流されたラインでおまつりは必至、考えようによったらこれも天の配剤かとプラス思考で。
ハリ刺し事故の無いようにと、作成したイラストもお配りして
下の写真、以前参加者が多かった時の風景、これだと大変なことになっていたことでしょう
下の写真、モノクロ写真ではありません、フェリーの窓のブラインド越しに撮った写真です。
(かきイカダの向こう正面の島は峠島、右に見えているのが似島)
何組かずつに分かれて、ロッドやリールの扱い、天秤の結び方などの説明。
(扱い方を、撮影しておこう!というお父さんも)
このあと、投げ方講習をやって一分いや数十秒でも早く釣りをしてもらおうと、あとの説明は釣り場でおこなうこととする。
(島の東側、赤い線と線の間が釣り場範囲)
(今日ばかりは、地元の方々もやさしく見守ってくださっている)
相変わらず強く吹き付ける風に、こちらはタジタジとなるが、参加者ご家族はお構いなしに釣り続ける。
あいにく私は、強風の中を釣り続ける根性を母親のおなかの中に置き忘れてきたが、この根性を見習わなくてはと強く思ったのであります
潮回りがよかったせいか、どのご家族も落ちギス・落ちギザミをテンポよく釣り上げ、とても満足そう
(かなり少なめの参加ご家族でしたが、その分マンツーマン的に釣りを習得されたことと思います)
この中から、たくさんの釣り愛好家が誕生してくれるといいですね
大切な仲間と8人でお手伝いに行ってきました。
運動会シーズンでもあり、今年からの募集方法の違いもあり、参加者は例年になく少な目。
ただこの強風、釣り場が混雑していたら風に流されたラインでおまつりは必至、考えようによったらこれも天の配剤かとプラス思考で。
ハリ刺し事故の無いようにと、作成したイラストもお配りして
下の写真、以前参加者が多かった時の風景、これだと大変なことになっていたことでしょう
下の写真、モノクロ写真ではありません、フェリーの窓のブラインド越しに撮った写真です。
(かきイカダの向こう正面の島は峠島、右に見えているのが似島)
何組かずつに分かれて、ロッドやリールの扱い、天秤の結び方などの説明。
(扱い方を、撮影しておこう!というお父さんも)
このあと、投げ方講習をやって一分いや数十秒でも早く釣りをしてもらおうと、あとの説明は釣り場でおこなうこととする。
(島の東側、赤い線と線の間が釣り場範囲)
(今日ばかりは、地元の方々もやさしく見守ってくださっている)
相変わらず強く吹き付ける風に、こちらはタジタジとなるが、参加者ご家族はお構いなしに釣り続ける。
あいにく私は、強風の中を釣り続ける根性を母親のおなかの中に置き忘れてきたが、この根性を見習わなくてはと強く思ったのであります
潮回りがよかったせいか、どのご家族も落ちギス・落ちギザミをテンポよく釣り上げ、とても満足そう
(かなり少なめの参加ご家族でしたが、その分マンツーマン的に釣りを習得されたことと思います)
この中から、たくさんの釣り愛好家が誕生してくれるといいですね
初めての歩き遍路にあたって、参考になるモノがないか?と探したところ、2冊の遍路本を見つけた。
ただよくよく、見ていたら発行年度やデザインこそ違え、共に《山と渓谷社》の発行したモノ。
よって、歩きの行程表はまったく同じ・・・・・・・・
それは置いといて。
一応、手探り状態の段階ではこの本の情報を頼りにするしかない、と計画を練ってきたが、6日目にして行き詰まってしまった。
本によると、恩山寺から19番立江寺を打った後、20番鶴林寺の麓にある生名集落までとあり、7日目は、生名から鶴林寺に登って、一旦川沿い迄降りて21番太龍寺を登り、また降りて22番平等寺迄とある。
そこで、生名にある《金子や》を予約しておいた。
《民宿ちば》を6時30分に出て立江寺へは8時05分に到着。
(19番立江寺の納経印 ご本尊は地蔵菩薩、ご真言は、おんかかかび さんまえいそわか)
立江寺から生名へと歩き、当日の宿《金子や》には、11時過ぎに到着。
遍路本では、これで一日行程になっているが、昼前には着いてしまった。
おまけには、金子やのチェックインは15時からとのことで、4時間ちかく休む場所も無く路頭に迷うような・・・・・。
4時間はいかにももったいない、考えた挙句変則的だが今回初の試みとして20番鶴林寺へは、今日中にお参りすることにして、金子やまで戻ることにした。
『一焼山、二にお鶴、三太龍』と言われるだけあって、鶴林寺までの登りは本当にキツい
焼山寺の遍路ころがしは、6~7人のお遍路さんと後先になって登ったから励みになったが、ここは一人旅・・・・・・。
それでも、13時21分には鶴林寺にお参りすることができた。
(第20番鶴林寺の納経印 ご本尊は地蔵菩薩でご真言は おんかかかび さんまえいそわか)
このまま金子やに戻るか?と考えたが、いかにももったいない。
そこで太龍寺への登り口のある旧大井小学校まで歩いて、そこからタクシーを呼んで金子やに戻ることを選んだ。
これまた鶴林寺からの下り坂のきついこときついこと、「これが逆打ちだったら大変だ」と独り言をいいながら下る。
那賀川添いにある、旧大井小学校には14時18分に到着。
これだけ歩いても、金子やのチェックイン時間よりも30分以上早くに到着したことになる。
テント持参の遍路旅なら、ここで宿泊なのだが、仕方なくタクシーを呼んで金子やまで戻り、また明朝タクシーで旧大井小学校まで送ってもらうことに(翌日太龍寺で会った若い歩き遍路の人がテント泊をしていたそうです)。
金子やまでタクシーで帰り、「明日は山中での昼食になるからお結びでも作っていただけますか?」
「一人でやっているから出来ない!」と素っ気ない。
仕方なく1kmはないものの、数百m歩いてコンビニまで・・・・・・。
ただよくよく、見ていたら発行年度やデザインこそ違え、共に《山と渓谷社》の発行したモノ。
よって、歩きの行程表はまったく同じ・・・・・・・・
それは置いといて。
一応、手探り状態の段階ではこの本の情報を頼りにするしかない、と計画を練ってきたが、6日目にして行き詰まってしまった。
本によると、恩山寺から19番立江寺を打った後、20番鶴林寺の麓にある生名集落までとあり、7日目は、生名から鶴林寺に登って、一旦川沿い迄降りて21番太龍寺を登り、また降りて22番平等寺迄とある。
そこで、生名にある《金子や》を予約しておいた。
《民宿ちば》を6時30分に出て立江寺へは8時05分に到着。
(19番立江寺の納経印 ご本尊は地蔵菩薩、ご真言は、おんかかかび さんまえいそわか)
立江寺から生名へと歩き、当日の宿《金子や》には、11時過ぎに到着。
遍路本では、これで一日行程になっているが、昼前には着いてしまった。
おまけには、金子やのチェックインは15時からとのことで、4時間ちかく休む場所も無く路頭に迷うような・・・・・。
4時間はいかにももったいない、考えた挙句変則的だが今回初の試みとして20番鶴林寺へは、今日中にお参りすることにして、金子やまで戻ることにした。
『一焼山、二にお鶴、三太龍』と言われるだけあって、鶴林寺までの登りは本当にキツい
焼山寺の遍路ころがしは、6~7人のお遍路さんと後先になって登ったから励みになったが、ここは一人旅・・・・・・。
それでも、13時21分には鶴林寺にお参りすることができた。
(第20番鶴林寺の納経印 ご本尊は地蔵菩薩でご真言は おんかかかび さんまえいそわか)
このまま金子やに戻るか?と考えたが、いかにももったいない。
そこで太龍寺への登り口のある旧大井小学校まで歩いて、そこからタクシーを呼んで金子やに戻ることを選んだ。
これまた鶴林寺からの下り坂のきついこときついこと、「これが逆打ちだったら大変だ」と独り言をいいながら下る。
那賀川添いにある、旧大井小学校には14時18分に到着。
これだけ歩いても、金子やのチェックイン時間よりも30分以上早くに到着したことになる。
テント持参の遍路旅なら、ここで宿泊なのだが、仕方なくタクシーを呼んで金子やまで戻り、また明朝タクシーで旧大井小学校まで送ってもらうことに(翌日太龍寺で会った若い歩き遍路の人がテント泊をしていたそうです)。
金子やまでタクシーで帰り、「明日は山中での昼食になるからお結びでも作っていただけますか?」
「一人でやっているから出来ない!」と素っ気ない。
仕方なく1kmはないものの、数百m歩いてコンビニまで・・・・・・。