皆さまには2025年が最良の年でありますように
2024年、11月は4回釣行しカレイ坊主。
12月は3回の釣行で、カレイを釣ったのは12月15日の《協会納竿大会》の2枚のみ。
カレイに悩まされたシーズンでした。
おまけには大切な大切なナイフを紛失する、哀しい年末でした。
下の写真は、12月15日の納竿大会参加者の釣果、カレイはすべて30㌢オーバー。
(私は、右側のカレイ2枚とアイナメ2匹、カレイ2枚とアイナメ1匹は30㌢オーバー)
12月8日は、ホシザメやヒガンフグに遊ばれて・・・・・。
12月28日は、エイに遊ばれ・・・・・。
(40㌢はかるく超えるエイ、瀬戸内奥部にも、いろんな魚が増えた)
2024年に続いてしめ飾りを手作りしました。
(左が今年、右が2024年で、どう見ても2024年の方が出来がいい)
2024年、11月は4回釣行しカレイ坊主。
12月は3回の釣行で、カレイを釣ったのは12月15日の《協会納竿大会》の2枚のみ。
カレイに悩まされたシーズンでした。
おまけには大切な大切なナイフを紛失する、哀しい年末でした。
下の写真は、12月15日の納竿大会参加者の釣果、カレイはすべて30㌢オーバー。
(私は、右側のカレイ2枚とアイナメ2匹、カレイ2枚とアイナメ1匹は30㌢オーバー)
12月8日は、ホシザメやヒガンフグに遊ばれて・・・・・。
12月28日は、エイに遊ばれ・・・・・。
(40㌢はかるく超えるエイ、瀬戸内奥部にも、いろんな魚が増えた)
2024年に続いてしめ飾りを手作りしました。
(左が今年、右が2024年で、どう見ても2024年の方が出来がいい)
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2020年の10月24日、愛犬ぷりんを亡くして以来の出来事に「死んでいました」
(ぷりんとは比べ物にはなりませんが、それでも・・・・・・)
《肌身離さず》と言えば言い過ぎかもしれませんが、すっと腰にぶら下げていたお気に入りのカスタムナイフ。
11月17日の、全日本カレイ選手権大会で余った、今では高価な高価な《地堀りホンムシ》。
18日、19日は強風のため、少し収まった20日にそのホンムシを持って江田島に出かけました。
何ヶ所か回ったあと、これまでの経験で早場のカレイ釣り場と決め込んでいる倉橋島の渡の子に。
12時30分まで釣ったが、25㌢くらいのチャリ子とカワハギだけ。
5~6m右手で釣っていた、地元のおじさんに挨拶をして帰宅。
帰宅して気が付いた。
冒頭書いた、もう30年ちかく愛用してきた(腰にぶら下げて)ナイフが無いことに・・・・。
(緑〇に赤矢印が、大切な大切なナイフ)
すぐに探しに夕方の渋滞時に50km走る・・・・・、確実にあると分かれば100kmでも走る。
しかし13時から日没の18時まで5時間の間に、誰かに拾われているとしたら・・・・・・・。
運を天に任せ、明朝走ることに。
4時30分に起きて走る、前日と同じ50kmを。
ヘッドランプを点けて釣り場をくまなく探すが、無い。
一縷の望みを抱いて、明るくなって昨日の地元のおじさんが来るまで、時間つぶしに久々の倉橋島一周を試みる。
午前9時、予想どおりおじさんはやってきたが、「ナイフは見なかった、何人かはやって来てはいたが」と。
帰り際に、お巡りさんと出会ったので遺失物届けを提出。
帰宅して考えた、「奥まった釣り場なので、そんなに多くの人は来ていないはず」と。
そこで写真の探し物ポスターを作成し、三日目の朝も4時30分起きで走る。
日本人の善意に期待して、写真のポスターを掲示したところに、またまたまた地元のおじさん。
「昨日来た釣り人に聞いたが、ナイフを見ていないと言ってたで」と。
三日連続4時30分起きで、片道50km走った。
もし4日目に「ナイフが見つかったよ」との報せが入れば、当然連続で走っていた。
もう、一週間以上経つが交番からは何の連絡も無い・・・・・・・・。
これまでの人生、人間好きで過ごしてきたけど・・・・・・。
(ぷりんとは比べ物にはなりませんが、それでも・・・・・・)
《肌身離さず》と言えば言い過ぎかもしれませんが、すっと腰にぶら下げていたお気に入りのカスタムナイフ。
11月17日の、全日本カレイ選手権大会で余った、今では高価な高価な《地堀りホンムシ》。
18日、19日は強風のため、少し収まった20日にそのホンムシを持って江田島に出かけました。
何ヶ所か回ったあと、これまでの経験で早場のカレイ釣り場と決め込んでいる倉橋島の渡の子に。
12時30分まで釣ったが、25㌢くらいのチャリ子とカワハギだけ。
5~6m右手で釣っていた、地元のおじさんに挨拶をして帰宅。
帰宅して気が付いた。
冒頭書いた、もう30年ちかく愛用してきた(腰にぶら下げて)ナイフが無いことに・・・・。
(緑〇に赤矢印が、大切な大切なナイフ)
すぐに探しに夕方の渋滞時に50km走る・・・・・、確実にあると分かれば100kmでも走る。
しかし13時から日没の18時まで5時間の間に、誰かに拾われているとしたら・・・・・・・。
運を天に任せ、明朝走ることに。
4時30分に起きて走る、前日と同じ50kmを。
ヘッドランプを点けて釣り場をくまなく探すが、無い。
一縷の望みを抱いて、明るくなって昨日の地元のおじさんが来るまで、時間つぶしに久々の倉橋島一周を試みる。
午前9時、予想どおりおじさんはやってきたが、「ナイフは見なかった、何人かはやって来てはいたが」と。
帰り際に、お巡りさんと出会ったので遺失物届けを提出。
帰宅して考えた、「奥まった釣り場なので、そんなに多くの人は来ていないはず」と。
そこで写真の探し物ポスターを作成し、三日目の朝も4時30分起きで走る。
日本人の善意に期待して、写真のポスターを掲示したところに、またまたまた地元のおじさん。
「昨日来た釣り人に聞いたが、ナイフを見ていないと言ってたで」と。
三日連続4時30分起きで、片道50km走った。
もし4日目に「ナイフが見つかったよ」との報せが入れば、当然連続で走っていた。
もう、一週間以上経つが交番からは何の連絡も無い・・・・・・・・。
これまでの人生、人間好きで過ごしてきたけど・・・・・・。
投げ釣り人には、キスマニアもいればカレイマニアも。
私の住まいするエリアで、早場のカレイと言えば山口県岩国市の神代漁港が真っ先に挙げられる。
早い年では、9月のお彼岸過ぎに姿を見せることもあり、シーズンあたまには熾烈な先陣争いが繰り広げられる。
ここ神代漁港、下の写真のようにずいぶん昔から広場管理料の徴収がなされている。
考えてみるに一漁協がこのような施設を作れるはずもなく、どこもかしこも県の港湾振興局などが構築に関与し、各漁協に管理を移管しているはずだがと文句の一つも出そうだが、ここまですっきりと明記していると、おおっぴらに釣りができるので、目くじらを立てることなく釣りをした方がいいような。
11月6日、平日とあって5時起き、岩国インター6時、かめや釣具通津店に寄っての7時過ぎに着いても先客は無し
ここは多少底が荒いので、これまでは15号の遊動天秤に力糸直結、仕掛けも遊動にしないで直結にして、もし食ったお魚が根に潜っても、軽い鉛なのでお魚が引っ張ってくれて根から外れる・・・・・・とのイメージで釣っていた。
ところがどうだろう・・・・・・?
今年の海底は、一言で言うなら「スルり」といった感じで、まるで歯ごたえがない・・・・。
それでも、折角なので3本のロッドを、まるで《エサ給餌機》のように、順に投げては巻き、エサを付けては投げ、また次のロッドを巻き上げエサを付けて投げるを繰り返す。
きれいにハリだけになって上がってくる仕掛け、多分5分も置いていないのでは・・・。
9時過ぎたころ、少しだけエサが残り始めた、これはチャンス到来かと期待をして、巻いては投げるがさっぱり・・・・・・一度も根掛かりはしない・・・・・・。
釣り場の左向こう、漁協から警戒船が二隻出て、ダイバー作業を見守っているとのことだが、まさかダイバーが潜るくらいでこんなに砂が流れてくる筈はないのだが・・・・?
昨年の10月5日には、アオゴカイ5,000円すべてをエサ取りさんのために使ってしまったが、今年はもう一つの目的があるため200gしか買っていなく、11時エサ切れ納竿とする。
結局、リリースのチビチャリ子、チビエソ、チビギザミに、持ち帰りは27~28のチャリ子2匹だけ。
大島大橋から往復88km走って、周防大島の先っぽ日向泊を目指して走る。
何10年振りかの日向泊、全日本サーフキャスティング連盟60周年記念誌の特集《釣り場今昔》で、約60年前の日向泊の写真と比べるため、現在の日向泊の写真を求めて
(写真上、1960年後半座布団ガレイで沸いた日向泊の二本松の浜)
(現在の浜、座布団ガレイは姿を消し、釣り人もいなく、ソーラーパネルが列をなしている)
日向泊よりさらに先っぽの両源田集落で感慨に耽っていると、フェリーのエンジン音が近づいてきた。
山口県柳井港と松山観光港を結ぶ防予フェリーが、周防大島と情島の狭水路を航行している。
狙いのカレイは釣れなかったが、いい休養になった一日だった。
私の住まいするエリアで、早場のカレイと言えば山口県岩国市の神代漁港が真っ先に挙げられる。
早い年では、9月のお彼岸過ぎに姿を見せることもあり、シーズンあたまには熾烈な先陣争いが繰り広げられる。
ここ神代漁港、下の写真のようにずいぶん昔から広場管理料の徴収がなされている。
考えてみるに一漁協がこのような施設を作れるはずもなく、どこもかしこも県の港湾振興局などが構築に関与し、各漁協に管理を移管しているはずだがと文句の一つも出そうだが、ここまですっきりと明記していると、おおっぴらに釣りができるので、目くじらを立てることなく釣りをした方がいいような。
11月6日、平日とあって5時起き、岩国インター6時、かめや釣具通津店に寄っての7時過ぎに着いても先客は無し
ここは多少底が荒いので、これまでは15号の遊動天秤に力糸直結、仕掛けも遊動にしないで直結にして、もし食ったお魚が根に潜っても、軽い鉛なのでお魚が引っ張ってくれて根から外れる・・・・・・とのイメージで釣っていた。
ところがどうだろう・・・・・・?
今年の海底は、一言で言うなら「スルり」といった感じで、まるで歯ごたえがない・・・・。
それでも、折角なので3本のロッドを、まるで《エサ給餌機》のように、順に投げては巻き、エサを付けては投げ、また次のロッドを巻き上げエサを付けて投げるを繰り返す。
きれいにハリだけになって上がってくる仕掛け、多分5分も置いていないのでは・・・。
9時過ぎたころ、少しだけエサが残り始めた、これはチャンス到来かと期待をして、巻いては投げるがさっぱり・・・・・・一度も根掛かりはしない・・・・・・。
釣り場の左向こう、漁協から警戒船が二隻出て、ダイバー作業を見守っているとのことだが、まさかダイバーが潜るくらいでこんなに砂が流れてくる筈はないのだが・・・・?
昨年の10月5日には、アオゴカイ5,000円すべてをエサ取りさんのために使ってしまったが、今年はもう一つの目的があるため200gしか買っていなく、11時エサ切れ納竿とする。
結局、リリースのチビチャリ子、チビエソ、チビギザミに、持ち帰りは27~28のチャリ子2匹だけ。
大島大橋から往復88km走って、周防大島の先っぽ日向泊を目指して走る。
何10年振りかの日向泊、全日本サーフキャスティング連盟60周年記念誌の特集《釣り場今昔》で、約60年前の日向泊の写真と比べるため、現在の日向泊の写真を求めて
(写真上、1960年後半座布団ガレイで沸いた日向泊の二本松の浜)
(現在の浜、座布団ガレイは姿を消し、釣り人もいなく、ソーラーパネルが列をなしている)
日向泊よりさらに先っぽの両源田集落で感慨に耽っていると、フェリーのエンジン音が近づいてきた。
山口県柳井港と松山観光港を結ぶ防予フェリーが、周防大島と情島の狭水路を航行している。
狙いのカレイは釣れなかったが、いい休養になった一日だった。
呉線沿線の投げ釣りマンなら知らぬ人はいないくらい、アングル小屋浦店の吉田さんが11月1日お亡くなりになられたそうです。
いつも小屋浦店の駐車場に入ってすぐ右側、看板の下に黒っぽい車を停めているのが目印で、江田島に行く時は挨拶がてらに顔を見に寄っていたものです。
今年夏前から車を停めているのを見なくなって、気にはなっていたのですが、何かの事情でお辞めになったのかな・・・・・・・・と思っていました。
釣り仲間のN原さんの話では、5月ころから病気療養中でしたが、苦しむことなく11月1日に・・・・・。
本当に寂しくなりました、ご生前のおだやかなお顔を偲び、謹んでお悔やみ申し上げます。
いつも小屋浦店の駐車場に入ってすぐ右側、看板の下に黒っぽい車を停めているのが目印で、江田島に行く時は挨拶がてらに顔を見に寄っていたものです。
今年夏前から車を停めているのを見なくなって、気にはなっていたのですが、何かの事情でお辞めになったのかな・・・・・・・・と思っていました。
釣り仲間のN原さんの話では、5月ころから病気療養中でしたが、苦しむことなく11月1日に・・・・・。
本当に寂しくなりました、ご生前のおだやかなお顔を偲び、謹んでお悔やみ申し上げます。