今日は、こんな場所に行ってきました。
眼前には、似島、弁天・小弁天島、津久根島、江田島・能美島、大奈佐美島、絵の島?などがずらりと浮かんでいます。
11月10日(土)に、広島市佐伯区利松公民館から《初心者家族釣り教室》の講師依頼を受けていて、その下見に行ったのです。
広島湾の潮汐は長潮の一回潮で、試し釣りにはまったく良くないが、釣り場をグーグルで見るだけでは心配なので出掛けた次第。
(10月4日夕方の満潮が記載なし《日潮不等(一日一回潮)》と言って私はあまり良い釣りをした事がない)
正午から勤務だという、かめや釣具商工センター店の林さんの出勤時間に合わせて、わが家から太田川沿いの道を下って商工センター店へ。
11月10日の、参加者のエサとオモリと仕掛けの仮予約をする。
それから30分くらい試し釣りをするので、青ゴカイを10数匹購入して井口港へ。
(中国新聞社より1996年に初版発行された《空撮 ひろしまの海釣り》147ページ)
港の堤防と河口向き以外は、四角な波消しブロックがずらりと入れられていて、なかなか抜き上げは難しそう・・・・・・。
河口向きに投げたらすぐに小アタリが連続し、巻き上げると当歳子のようなチヌ。
正面に投げてもすぐにアタリがある・・・・・・。
大きなチヌも悠々と泳いでいて、チヌの子が湧いているのかも知れない。
これでは、河口での秋の風物詩《マハゼ》も、エサにありつけないのでは・・・・・・。
草津方向へと移動して公園前や、工場の前の遊歩道から海を覗いてみるが、波消しブロックがこれでもか!と入っている。
と言うことで、たった3投しただけで、次の目的地の利松公民館へ。
打ち合わせと釣り教室の備品を届けるのが目的。
愛犬ぷりんのお守りがいる日に、気にかかっていた3つ(エサ、仕掛けなどの仮予約・釣り場下見・公民館打ち合わせ)を一度に済ませました
当日、好天とお魚が釣れることを祈りながら・・・・・・。
帰りは、石内バイパスから山陽自動車道五日市インターへ、そこから広島インターまで帰って410円なり。
家に帰ると、ぷりんは玄関で迎えてくれました。
8月9日に発症した脳梗塞状態は、ぷりんの頑張りでほぼ克服できましたが、かねてからの僧帽弁膜症はひどくなって、今では家族が24時間交代で付きっきりの生活です。
休みがまとまって取れる娘がカノコユリの開花時期に、「お父さん、鹿児島に行ってきてもいいよ」と言ってくれましたが、後悔してはいけないのでずっと見守ってやるつもりです。
年明けから、病院や大雪そして母の一回忌となかなか初釣りのチャンスに恵まれず。
満を持しての釣行、今年最初のお魚はこれ・・・・・・・・。
クラカケトラギスの10㌢強、もちろん即座にお帰りいただいた。
初釣りの行先は県外へ・・・・・。
確かに県外ですが、呉市豊町から橋を一つへだてた場所。
とびしま海道の突き当りの島、愛媛県今治市の岡村島から今治港を結ぶフェリー『第二せきぜん』、四国に渡るフェリーの中では最安値で乗船できる。
途中の豊島から眺める『豊浜大橋』
古い友人からの、「岡村島の正月鼻(しょうげつばな)の近くで、落ちギスの良型が釣れた」との情報を頼りに、越冬ギスも望めるかな・・・・・・と出かけた次第。
しかし、一枚目の写真の小さなクラカケトラギスとチャリコ25㌢だけで、その場所は一時間で終了とした。
次なる場所はここ。
小さな冬ギスのアタリを楽しみたいと、遊動仕掛けで釣るとグイグイ引いてくれるものの、サイズは20㌢ちょっと、それもアタリは散発的・・・・・・・(+_+)
2時間は粘ったが、17~22㌢が6匹とあとはテカミと呼ばれるイトヒキハゼが5匹、もちろんリリース・・・。
東隣の、城ノ谷漁港に変わったが、ここも冬ギスがいるのかいないのか?4投してたった1匹。
広島県側の大崎下島に移動することに。
(赤矢印が平羅橋、緑矢印が中の瀬戸大橋、青矢印が岡村大橋)
愛媛県と広島県の間に架かる(橋自体は広島県呉市)岡村島大橋。
大崎下島の御手洗から見る岡村島・・・・・・・・・、なんか愛媛県の宇和島や八幡浜辺りで見かける風景に似ている。
それもそのはず、れっきとした愛媛県。
こちらは愛媛県の三瓶湾沿いの風景、みかん畑に伸びる農道が山を這い上っている。
結局、大崎下島では3ヶ所で引いてみたが、冬ギスからのサインは全くなし・・・・・。
ブランド品の《大長みかん》10kg買って早々と帰ることに・・・・・・。
「そうだ!エサを海に帰してやらなくては!」と上蒲刈島の恋が浜まで帰って気が付いた。
あれっ?青ゴカイの入れ物はあるが、イシゴカイの入れ物が見当たらない!
そう言えば、最後に大崎下島の久比港で釣った時、忘れてきてしまったようだ。
エサ箱は、安いモノにフックを付けただけだから、30分も走って取りに帰らなくてもいいか・・・・・、と思いましたが、人間のエゴに振り回され、あげくにはエサ箱の中で干からびてしまうゴカイのことを考えたら、可哀想になり引き返すことに・・・・・。
30分弱走って引き返してみると、ポツン・・・・・・・・・とエサ箱が。
少しでも生き残れるように・・・・・と石と砂の混じった場所に放流しました。
呉道路が720円、坂の大橋が200円、都市高速の矢賀インターまでが570円・・・・・、これなら、山口県や浜田に行ってもあまり変わらない、都市高速は高い(T_T)!
十数年か何十年か前、3人で福岡空港で待ち合わせ、九州のとある離島まで一緒に飛行機で行っては、キス釣りを楽しんでいた友人が、それからかなり後の事ですが、犬を飼いはじめてからは付き合いが悪くなった・・・・という噂をその人の周りの人から聞いたことがある。
私は・・・・・・・と言うと、愛犬ぷりんを飼った8年3ヶ月前からも、それまでとは変わらないよう、組織の行事や友人とのお付き合いは欠かさないよう、極力気をつけているのだが、他人から見たら親バカならぬ【犬バカ】になっているのかも・・・・?
犬と言えば先日のこと、親しくお付き合いさせていただいている、有名なフリーのライターさんが「愛犬家の小池さんには言いづらいのですが、かなり昔のこと、とある場所に釣りではないが赤犬の【犬食文化】について、週刊誌の取材に行ったことがあります」と言われました。
そう言えばずいぶん前に見た、そのとある場所の観光パンフレットに、そこの野犬は「戦時中にさまざまな理由で絶滅したといわれる・・・・・」と、はっきりとしない書かれ方をされていたのを見て、「なんで戦時中に絶滅したのだろう?イルカなどのようにレーダーに映りにくいから、爆薬を背負わされて特攻した・・・・わけでもあるまいし?」とその時は腑に落ちないまま、パンフレットを閉じてしまいましたが、今にして思えば食糧難の時代に【犬食文化】のあおりを受けたのだろうか・・・・・?
戦時中や、戦後すぐは食糧難だったのでしょう、私も隣のおじさんから「黒い鼻の犬は酸いいが、赤い鼻の犬は旨いんでぇ」との話を聞いたことがあります。
北極海の住人がアシカを食べる、日本人が鯨を食べる、東南アジアから中国、韓国でも犬食文化がある・・・・・と、それなり地域の食文化は理解できる私ですが、その子供時代に雑種ながら犬を飼っていた私は、今でもはっきりと覚えています。
友人も、愛犬ぷりんも共に大切にしながら、楽しい人生を送りたいと思っています。
明日は、術後の検査のため獣医さんに行きます。
と、いうことで出かけてみることに・・・・・・・。
朝起きてみると雨・・・・・・・・・・・、大の苦手
しかし、「や~めた!」とまた部屋に戻ると、せっかくカミさんの部屋に行かせた愛犬ぷりんが、混乱してしまうので無理やり出かけることに・・・・・。
わんちゃんは、しつけと言うか決まり事はきちっとしておかないと、習慣づけができないので・・・・。
小雨の降るなか、エサを買うためにかめや釣具総本店へ・・・・。
平日でも午前4時から開けてくれているのは、我々釣り人にとっては非常にありがたい・・・・。
かめや釣具総本店で気が変わり、勝手知ったる江田島の越冬ギス狙いではなく、苦手な蒲刈の越冬ギス捜しに行き先変更する。
安芸灘大橋が、社会実験とのことで回数券を買えば往復600円で行けることに。
(安芸灘大橋 2000年1月18日開通、全長1175m 3経間2ヒンジ吊り橋)
とびしま海道の7つの橋のうち、唯一有料の【安芸灘大橋】通行料は、回数券利用だと往復600円で、今までは片道通常料金が700円だったので、夢のようなお値段に
次は下蒲刈島から上蒲刈島への橋【蒲刈大橋】、とびしま海道の7つの橋の中で、一番早く架かったのがこの橋です。
私が蒲刈に通い始めたころ、まだどの橋も架かってはいなかったのですが・・・・・。
当然ですよね、私が本格的に投げ釣りを始めたころに、すでに架かっていた橋は音戸大橋(1961年架橋)と上関大橋(1969年架橋)だけでしたので・・・・・。
(蒲刈大橋 1979年10月開通 全長480m 3経間2連続トラス橋)
続いて、最近一番新しく架かった橋【豊島大橋】
(豊島大橋 2008年11月18日開通 全長903m 単経間吊り橋)
4つ目の橋は、船の中で生活しながら、遠く対馬辺りまで真鯛の一本釣りに出かけることで知られる、家船など漁業の島として名高い豊島から、大長(おおちょう)みかんの島で知られる大崎下島へ渡るための【豊浜大橋】
(豊浜大橋 1992年開通 543m 3経間連続トラス橋)
ここからは連続して【平羅橋】【中の瀬戸大橋】【岡村大橋】と三つ続く。
向こう、左から(平羅橋 1995年開通 98・5m PC斜張橋)
(中の瀬戸大橋 1998年開通 251m ニールセンローゼ橋)
(岡村大橋 1995年開通 228m ニールセンローゼ橋)
と、とびしま海道すべての島を走り、苦手な雨の中、苦手な蒲刈方面を訪ね、宮盛→大浦(3ヶ所)→豊島→大崎下島→岡村島で7ヶ所投げましたが、キスのアタリは無く、チ〇〇噛みことイトヒキハゼとフグのみでした・・・・・。
でも私なりに収穫がありました。
こちらから今治に渡るには、高速道路の【通勤割引or休日割引】を利用するか、【呉~松山間フェリー】を使うのが一般的ですが、岡村島から今治へのフェリー【第二せきぜん】利用すると、3~4mの車の場合片道2,700円で今治に渡れます。
(フェリー第二せきぜん)
安芸灘大橋が回数券利用で600円(往復)、第二せきぜん乗船代金5,400円(往復料金)の計6,000円で四国に往復できます。
フェリーは一日4往復で、9時55分のフェリーだと、今治直行で一時間で行けます。
今回も、苦手な雨中の釣りも、蒲刈の釣りも克服できませんでしたが、私は同じ場所に通うのではなく、今回のようにあちこち走り回るのが好きなんです
他の乗り物ではフェリーも大好きで、あちこちで利用させてもらっている。
私が本格的に投げ釣りを始めたころ、私の釣行範囲ですでに架橋されていたのは、呉市と倉橋島に架かった音戸大橋、熊毛郡の上関大橋くらいのものでした。
現在では、しまなみ海道やとびしま海道とやらで多くの島に橋が架けられ、本土と横並びの生活が営まれるようになっている。
今から40年近く前のこと、現在もまだ橋の架かっていないある島に渡って釣りをしているとき、島の子供たちが船代わりの発泡スチロールや板切れを持ち寄って、私たちが釣っている場所に遊びに来ました。
私たちは、足元に仕掛けを入れる釣りでもなく、邪魔にもならないのでほほえましくその光景に見とれていました。
すると、すぐ前の家からおばあさんが出て来て、「あんたら~、お兄さんたち(当時)は、せっかくのお休みに釣りに来とるんじゃけぇ、あんたらはいつでも海で遊べるんだから、じゃましんさんな」と子供たちに言いました。
子供たちは素直に返事をして、違う遊びをするためにどこかに消えていきました。
なんだか子供たちに気の毒なような、島の人たちの暖かさに感動した忘れられない出来事でした。
また、ある島では釣り場のすぐ裏のお家からおばあさんが出て来て、色々話しかけてきました。
「わたしゃぁ、あそこに見えるクレーンがあるところから嫁に来たんじゃ。本土に嫁に行くと、どこに行くにも電車賃が掛かるけぇ、本土に嫁に行かんほうがええでぇ・・・と言われてね・・・」とのこと。
私はおばあさんに「おばあさん、そりやぁ本土にやるまいとして、だまされたんよ」と言いましたが、どうやらおばあさんは今でもそれを信じているようすでした・・・・・・。
太古丸とか清信丸というフェリーで渡っていた島でのお話。
ある港で釣っていると、地元の小学高学年の男の子がものめずらしげにやって来て、やっと慣れたころに発した言葉は「どこから来たと?」「広島から」と答えると、さすが高学年「ずっと遠くの広島か?」と。
「うん、広島から博多まで来て、そこからまたここに来たんよ」と言うと、けげんそうな表情を浮かべた後、「広島には魚がおらんと??」ときた。
なるほど、確かに子供からみると素朴な疑問として、その言葉が出たのでしょう・・・・。
くにがというフェリーで渡った島、いたるところにおいしそうな真っ白いイカが干してある。
どうしても食べたくなった私たち、友人の一人がイカの干してあるお家に行って、出てきたおばちゃんに開口一番ガチガチの広島弁で、「おばさんいかうらんのん」おばちゃんは?マークが五つくらい出たような顔・・・・・。
そこで私が通訳、「おばちゃん、このイカ分けて(売って)もらえませんか?」
おばちゃん、言葉が通じてタダ同然で分けてくださった・・・・。
鯨波丸という小さなフェリーで渡った島、お目当ての尺ギスも釣ったので、少しでも観光を・・・・と思い、路線バスに乗って隣の集落に・・・・・。
時間も忘れて武家屋敷通りやきれいな砂浜をめぐっていた鴨谷師と私に、出発時間を報せるクラクションを鳴らして教えてくださった運転手さん、このバスに乗りそびれるともうバス便はなかった・・・・。
島の人情を現すに充分なそのクラクションは今でも忘れる事はできません。
まだまだたくさん思い出深いお話があります。
こんないい人たちと会える島々、フェリーに乗るとついつい心が躍ります。