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三つの恋
広島市安芸区船越に妙ちくりんなJRの高架線路があります。
まったく平坦な場所なのに、呉線だけが向洋駅を出てのち入川踏切り辺りから高架になり、海田駅ではまた平坦な線路になっています?どうして?なぜ?WAY?


(赤矢印がJR海田駅、黄色丸印が写真の高架の場所)


 日本国有鉄道からJRへと勤め上げた兄に、その高架になった訳を聞いても「南側にある山陽本線を、それまで北側を走っていた呉線と入れ替えるためじゃろう、何にしても昔の軍隊の考えることは分からん」との答え。
 ではなぜ広島駅で一番北から芸備線、可部線、山陽本線、呉線にしなかったのか?
私の独断で考えると、戦時中に活用していた宇品線に関係があるのだろう!と思う。
一番南側ホームから出る宇品線、あちこちから軍事物資を山陽本線の貨物列車で運んできて、宇品線へ回送するには広島駅の一番南のホームでなくては具合が悪い・・・・・・。

 と前置きが長くなりましたが、本題の《三つの恋

 一つ目
 高校二年の夏、ご近所のお金持ちのお家に都会から遊びに来ていた娘、二人で小高い丘から海などを眺める仲にまでなったある日。
全く気付かないまま家に帰ると、うしろからその娘が後を付けてきていた。
貧乏を絵に描いたようなわが家を見て「ふ~ん・・・・」といった感じで帰って行った。
その後まったく会うことも無く、女性っていうもの打算的な考えの人もいるのだなぁ・・・と、女性の一面を見たような思い出が・・・・・・・・。

 二つ目
 とある都会で知り合った4才年上の女性。
それとなく「この人と一緒になるのかな・・・・」と思っていた。
その女性を伴って生まれ育ったわが家へ。
年上とあって如才なく、父親も母親も彼女をたいそう気に入っていた。

 都会に帰る場合の列車は広島駅から乗っていた。
母親は時間を見計らって、必ず上の写真の黄色のところまで来て、見えもしない私を見送るべく列車の先頭から最後まで私を探しながら手を振ってくれるのが常でした。
したがって、その彼女に「おふくろが見送りに来ているはずだからデッキに出よう」と誘うと、「ちょっと待って」と化粧に余念がなかった。

 案の定、おふくろは決まったようにその場所で手を振っていた・・・・・・・・。
席に戻ると彼女は、まだ念入りに化粧をしているところだった・・・・、そして彼女とは終わった。




(母が、いつも広島駅発の列車の時間を見計らって見送ってくれていた懐かしいガード)

 三つ目
 都会暮らしに見切りを付け、懐かしい故郷に帰って数か月、遊んでばかりいないでと近所のおばちゃんの紹介で、そのおばちゃんの親戚のGSでアルバイト中。
高校時代に、ガールフレンド?に見切りを付けられた古い家の近所に時々やってくるかわいい娘を、兄嫁に紹介してくれと強引にデートに誘った。

  (初めてのデートは、当時まだ通行料が有料だった音戸大橋)

 ボロ家住まいで、当時アルバイト生活の私でも付き合ってくれたのが今のかみさん。
(人生で三回しか恋をしなかったわけではありませんが、節目となった思い出を書きました)

 

 



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2022/10/10 19:54 | 未選択

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