世に数多くの宗教が存在し、多くの迷える人々を導いています。
私の宗教観ですが、釣りの途中で長崎県の五島や平戸に行けば教会にお詣りしたり、伊勢神宮や出雲大社にお詣りしたり、《廃仏毀釈》の激しかった島根県隠岐の島に行けば首なし地蔵を拝んだり、中国山地の村々の峠の辻にひっそりと佇む《才の神・賽の神・歳の神》のそばを通れば会釈をしたり、車で慣れた人でも5~6日掛かる《四国遍路》に出かけたりしています。
このように、崇拝するものは何でもありで無宗教状態の自分ですが、たびたび訪問してくる宗教の勧誘の方々には「良いお話をありがとうございます、私はたとえ邪宗教として間違っていたとしても、親と同じ宗教の道を選びます」と言っています。
私の両親とも浄土真宗・・・・・・・・、この教えには《施餓鬼》というものはないとされているそうです。
でも、愛犬ぷりんが大好きだったオヤツをお供えをしてののち、ごみとして捨てる気持ちにはなれず、ジャーキーなどの肉系は通路状態の菜園に埋めて、ボーロやビスケットなどは写真のようにトレーに入れておくと、スズメさんたちが朝早くから来ています。
他にも、愛犬ぷりんが元気だったころ、甲高い声でメジロを脅してはミカンを食い荒らしていたひよどりを追っ払っては、メジロが食べるときはやさしく見守っていた・・・・・・、そんな状況でメジロさんたちに今でも毎日みかんを上げています。
これら、すべて愛犬ぷりんの施しとして《極楽(天国)》に行けるようお祈りをしています。
一度もウソはついたことのないぷりんは必ず極楽(天国)に行けるものと信じていますが、ぷりんとどうしてもまた会いたい私は・・・・・・?
人間というものは浅ましく、ウソをついたこともありますし、人を傷つけたこともあります。
でも、保身のためのウソは自分自身がみじめなのでついてはいないと思っています‥‥記憶では。
今日、201811月にわが家を外壁塗装できれいにしてくださった正光技建の所長さんが、義理堅く来年のカレンダーを持って来てくださった。
ぷりんのことを知っている所長さんが「淋しくなられましたね・・・・・」と。
その途端、涙腺が壊れてもう言葉が出ず、失礼とは思いながらも手まねでご挨拶をしてドアを閉めた。
日にちが経つと悲しみは薄れるなんて絶対にウソ!事実、今朝も4時前から目が覚めてぷりんを思い出しては涙が止まらなかったのですから。
どうか皆さま、これから私と会うことがありましたらば、ぷりんの事は言わないでください、お願いいたします。
こうしてブログを更新しながらも涙があふれて・・・・・・・・・・。