先週は「ヒステリック」なブログばかり書いてしまって、ほんわかと見ていただいている方々には大変に申し訳なく思います。
実は・・・・・・・・・、釣り場でゴミも片付けず、おまけには漁船とのトラブルを起こし、立ち入り禁止になった波止があり、日釣振は何をしよるんや・・・・・みたいな話があって、(公財)日本釣振興会広島県支部長の立場として、何もできないもどかしさでやりきれない気持ちになったのは事実です。
(公財)日本釣振興会として日本全国で、ソーラスなどで立ち入り禁止の岸壁などの開放は働きかけていますし、広島県では観音マリーナの防波堤の釣り開放もやりましたが、個々の釣り人のマナーの悪さによっての釣り禁止には、打つ手がない・・・・・と言えばそれまでですが、釣具店、釣り具メーカー、釣り組織、テレビの釣り番組、釣り雑誌や新聞での呼びかけもあまり効果は無く、拘束力のない問題には、頭を悩ませ胃が痛くなるばかりです。
日本一の大泥棒の《石川五右衛門》の辞世の句といわれる「浜の真砂は尽きじとも世に 盗人の種は尽きまじき」と。
例えていうなら「浜の真砂は尽きじとも世に マナーの悪い釣り人は尽きまじき」でしょうね・・・・・残念ながら。
そこで、昨日・今日と息抜きと言ってはなんですが、大好きな《三瓶湾(愛媛県西予市三瓶町)》に行ってきました。
この穏やかな三瓶湾も台風が豊後水道辺りを通過の時は、ものすごい大波にさらされるそうです。
釣り場は、写真のとおりブイと漁船の間を狙う非常に釣りにくい場所で、ロープは何本も斜めに入っていて、おまけに海中のロープにはフジツボなどが着いていて、ラインにちょっと当たっても一発アウト!なので、ゴリ巻きしないと仕掛けを取られます。
ロッド キャスティズム18-385T
リール アオリマチィックBR
ライン サーフキャスターちから糸付き4色ライン 2号
シンカー 遊動式 15号
モトス ディーフロン船ハリス 5号
ハリス ディーフロン船ハリス 2・5号
ハリ カワハギ針 5号
エサ 青ゴカイ
イトヨリやマダイ、カワハギの30㌢未満はゴリ巻きでも上がって来ましたが、夜の8時に大きなアタリで巻き始めた推定35㌢オーバーのイトヨリは、ナイロンラインの2号がゴリ巻きの摩擦熱に耐えきれず、「プッツン!」と切れてしまいました・・・・・・・。
(写真は、2018年10月21日にこの場所で釣ったイトヨリです)
当日は、マダイとイトヨリの30㌢、カワハギ25㌢、アカエイ3匹、イトヒキハゼ1匹、ヒトデ13匹の貧果でしたが、地元の心優しい方々とのふれあいで、先週からのギスギスした心がずいぶんと癒されました。
(釣れていたイトヒキハゼを食いに来て、ハリに引っかかったアカエイ)
当日お話した地元の方は6人で、初めてお会いする人が4人に、二度目なのに先方さんは初めてと思っていた人が2人でしたが、みなさん笑顔が素敵な方々で、私もそのような生き方をしたいと思える方々ばかりでした。
ちょっと心配だった愛犬ぷりんは、いい子にしてお留守番してくれていました。
かぼちゃをくり抜いて作ったharouinnの飾り物(ライトを入れて点滅するようにしています)と、一ヶ月以上早いかな?リースと一緒に寝ています。
私のブログの検索欄に《三崎》と入れて読み返してみると、2010年などは単独釣行3回を含む4回も三崎半島に行っていながら、2011年、2012年、2013年は0回、久々の2014年はたったの一回・・・・・・・、その後しばらくは三崎から足が遠のいていた。
例外として、2017年6月28日に、全日本サーフ東京協会の森口夫妻を道後温泉の《ふなや》まで迎えに行き、三崎半島の川之浜でキスを釣ったり、三崎で2時間弱竿を出したことがあるが、今回のような本格的なカワハギ狙いは5年ぶり。
(2017年6月28日の写真、引き釣りをする森口さん)
三崎~佐賀関フェリーが沖を航行する、懐かしい情景のなか竿を出すが、2本めを用意している時に最初に出した竿先にアタリ!
巻き上げたら23センチのカワハギで、小さいながらも本命ゲットに気を良くする。
三崎に行かれた方なら、この風景はおなじみの釣り場、フェリーの向こうにはうっすらと九州が見えている。
足場の良い釣り場もあります。
正面中央がフェリーが発着する三崎港。
「ジャジャジャジャーン!!!」30㌢オーバーのカワハギ!
残念ながら、私が釣ったのではなく、クラブ会員が釣ったのであります・・・・・・・
私は、釣り始めに釣れた23㌢と、納竿間際に釣れた24㌢だけでした・・・・・。
でも、今回は釣果以上の楽しさが満載でした。
きれいな海、沖合を九州佐賀関行きのフェリーが・・・・・、景色といい、クラブ仲間との懇親といい、なんとも言えない心地よい二日間でした。
多分、2010年ころは広島~松山間のフェリーが、高速道路休日割引に対抗して、4m未満の車だと呉港から松山観光港までの往復を10,000円くらいにしていたので、単独で3回も釣行したのでしょう・・・・・、今は往復割引でも4m未満で15,000円を越えてしまいます。
でも、広島東インターから大洲北只インターまで休日割引で5,500円の往復11,000円なので、単独釣行なら楽チンで行けるから、4,000円出してもそっちがいいのかな・・・・・・・。
8月1日、下甑島長浜港を出港。
ここ長浜港でも、里港同様横断幕を持って見送ってくれています。
長浜港を10時30分に出航した高速船《甑島》は、川内港に11時40分の到着です。
11時50分、川内駅行きのシャトルバス、川内駅へは12時09分着。
夕方、薩摩川内市在住でいつもお世話になっている方と一杯飲むお約束だが、18時過ぎまでどうやって時間をつぶそうか・・・・・・・?
高城温泉に行きたいけど、夕方までに川内駅に帰るには、休日ダイヤだと川内駅11時59分しかない。
このシャトルバスは川内駅には12時15分着なのでとても間に合わない・・・・・・。
松本清張の「点と線」ばりに思いを巡らせたその時、ふと閃いたのは上川内バス停での通過時間!!!
シャトルバス通過時刻表は12時05分上川内、リュックから出して調べた高城温泉行きの循環バスは12時17分!!!!!!
晴れて再び川内高城温泉へ。
実はどうしても高城温泉に心残りなことがあったのです。
厚かましくもお願いしていただいた《白い鹿の子ゆり》、石原商店のおばあちゃんに何かお礼をしたいもの・・・・・と。
そんな折、下甑の民宿《道》さんで、甑島の海苔の佃煮を2瓶いただいていたので、それを1つお礼に持って行くことができたのです。
「あんたは律儀じゃねぇ(広島弁に翻訳)」とおばあちゃん。
5年前に亡くなったご主人のご遺影をレジの横に祀り、お赤飯と栄養ドリンクがお供えしてある。
ひとしきりご主人のお話や、甑島のお話をしたあと竹屋旅館の内湯へざんぶり(・。・;
二度ほど温泉に浸かったあと、竹屋のおかみさんのお見送りを受け、15時57分発の循環バスで川内駅へ。
夕方は、いつも大変にお世話になっている薩摩川内市の方と、二人ともジョッキ2杯くらいしか飲めない「ふたり飲み会」を。
さてさて、鹿児島最終日の8月2日、JR駅レンタカーは乗車券を見せるだけで、9時~18時まで5000円でフィットクラスが借りられる。
南九州道西廻り道路で鹿児島市へ。
(鹿児島市内は、ちょこっと桜島を見ただけで、指宿方面へと南下)
(昨年は大雨で、外観写真が撮れなかった鰻温泉)
駐車場に車を停めて受付へ・・・・・・・・、ありゃりゃ!!!!!!!
(なんと、日曜日なのに臨時休業!!!!!がっかり・・・・・・・・)
気を取り直し、今回の目的「鹿の子ゆり」「南さつま市の元同僚のお参り」とあと一つ「開聞岳」へ・・・・・・・・・。
念願叶って開聞岳の全容が!おまけにはひまわりまでがすそ野を彩ってくれていました。
(これまで3年連続、山頂や中腹から雲に覆われ、全容を見たことのなかった開聞岳)
ついつい嬉しくて、開聞岳の写真ばかりたっぷりと・・・・・。
開聞岳の麓にある枚聞神社にお参りしたあと、枕崎市経由で南さつま市の元同僚のお参りに寄せていただきました。
本当は、南さつま市の加世田にある《竹田神社》にお参りし、島津日新公の「薩摩いろは歌」の石碑をゆっくり見たかったのですが、ちょっとしたミスとトラブルで2時間のロスタイムがあり、大慌てで川内駅でレンタカーを返し、17時17分の新幹線さくらで無事広島に帰着しました。
愛犬ぷりんはふてくされることなく、6日間放浪してきたお父さんを迎えてくれました。
南さつま市の方から《原酒 三岳》いただいたのと、薩摩川内市を走り回ったらあちこちで看板を目にした《蔵の神》を、川内駅で購入してみました。
普通の三岳は何度か飲んだことがありますが、原酒 三岳は生まれて初めて飲みました、とろりとコクのあるおいしい焼酎です。
わが家の鹿の子ゆりは開花し、甘い香りで迎えてくれましたが、5個のうち2つに虫が・・・・・・と思っていましたが、4つも虫が入っていました(右奥の花も虫が食って変形しています)。
川内港からの高速船《甑島》に乗ると、その人たちも乗船していました。
里港に着いて、宿の車をお借りして廻った長目の浜、中甑島の平良、そして下甑島への架橋現場が見られる中甑島の鳥の平展望所?・・・・・だったかでも、そのテレビクルーとほぼ同じ時間でした。
翌31日、下甑島長浜に渡るため里港にいるときに、その番組のレポーターの女性と話す時間が。
彼女は広島県の尾道にも何年かいた・・・・とのことで話がはずみました。
その時にお聞きしたのが、MBCテレビで、8月8日にその時のロケの模様が、「ふるさとかごしま」で紹介されるとお聞きしました。
MBCテレビを観られる環境にある方は、ぜひ太古の島甑島をじっくりとご覧ください。
彼女の話では、ネット配信もあるとのことですが、PCオンチの私には・・・・・・。
誰かに観方を教えてもらわなくては(^_^;)
上甑へは去年も来ていますが、下甑島へは3年振りとなります。
おととし、去年は《甑島キス釣り大会》が開催されていました。
賞金などが掛かった大会は私は好きではないし、大会に参加せずに行くだけ行こうかな・・・・・・とも考えましたが、「小池勝も下甑島で参加してたよ」と思われても不本意なため【李下に冠を正さず】で、下甑島へ渡るのはあきらめて上甑島だけに2泊して帰っていたのです。
(高速船 甑島から見る里港風景、赤い乗船口の左に小さく見えるのは、見送りの横断幕を持った柴田美咲さんたち)
約45分の船旅で、下甑島の長浜港へ到着。
港へは、予約をしていた民宿《道》のご主人が車で迎えに来てくださっていました。
さっそく軽トラックを借りて下甑島内巡りへと出かける。
1985年、鴨谷計幸師と初めて訪れて以来、10回近い甑島来島になるが、年齢のことやいろいろ考えると、もう来られないこともあるか・・・・・・・と考え、まだ行ったことのない場所をくまなく廻る算段。
上甑島と中甑島はすべて廻っているが、下甑島の観光スポット《ナポレオン岩》のある瀬々野浦や、下甑島の秘境と言われる内川内、そして島の集落らしさを一番残す鹿島地区へは行ったことがありません。
つまりは砂浜が無いのでキス狙いの私には縁のない場所だったわけです。
(島の裏側、瀬々野浦にあるナポレオン岩)
しかし、同じ甑島列島でも上甑島と下甑島では山の険しさが大きく異なり、手打から片野浦へはともかく、瀬々野浦や内川内への道はよくぞまぁ!といった感じの道が続く。
(瀬々野浦の港、崖には鹿の子ゆりが咲き誇っています)
(6~7月が見ごろと言われるニシノハマカンゾウが、まだ少し花を付けていました)
(片野浦への三叉路に建つ、孤島の野犬像)
いろんな事情で昭和20年ころに絶滅したと言われる甑山犬。
勇猛果敢な性格で、猟犬に育てるには、親犬になるとしつけができないので、親犬の留守に子犬を連れ帰り仕込んだと言われる。
西郷隆盛が連れた猟犬《ツン》には、この甑山犬の系統だったと言われている。
私も瀬々野浦や内川内へも山道を走りながら、なんとか密かに生き延びている甑山犬に出遭えないものだろうか・・・・・・・と考えていました。
(文化元年(1804年)10月29日の大火事で鹿島集落の3分の2の家が燃えたおり、半分だけ焼け残った木)
次の2枚の写真は、ネコ好きの方へ・・・・・・・・。
(気持ちよさそうに昼寝をしている鹿島で見つけたネコちゃん)
(こちらの黒ネコちゃんも、起きているわけではありません、最初から最後までこの格好で寝ていました)
さてさて、心残りというものできるだけ残さない性格の私、これまで行ったことのない場所を走り回りましたが、下甑島ではまだ一度も竿を出していません。
3年前に竿を出した時は、クロサギの入れ食いで、キスの姿は見られなかった手打の浜。
(2012年、上甑でもここでも釣れさかったクロサギ)
この砂浜、潮が引くと真水が少しずつ流れ出ている、こんな砂浜でキスがいない方がおかしい・・・・・・・・と投げました。
しかし、アタリが少ない、やっとこさで16~18㌢が5匹。
あとはオキエソやクサフグ・・・・・・・、とにかく絶対数が少ない、山陰でこんな砂浜があれば、型はともかくかなりの確率で入れ食い状態になるのですが・・・・・。
広島からエサを用意していなかったので、活きが悪くてぐったりしているので、早々と釣りはあきらめて手打の武家屋敷などを見て歩きました。
(里の武家屋敷通り同様、手打の武家屋敷通りにも鹿の子ゆりが咲き誇っています)
(ここ下甑島でも濃色の鹿の子ゆりにお目に掛かれました)
エサも尽きた(のびた)ので、早々と30日の宿、民宿《道》さんへ帰りひとっ風呂!!!!!
(長浜の街にある民宿《道》)
(宿の裏からは、鹿の子ゆりと月の競演も見られました)
(美味しそうだったので、ついつい写真を撮る前にかじってしまいました(^_^;))
部屋は海の見える2階で、東向き南向き西向きの窓やベランダの戸を開けて寝ましたが、風呂上り以外はエアコン無しで涼しく寝ることができ、もう何日か泊まりたいほどでした!
翌朝、ベットから朝日が昇るのが眺められました・・・・・・・・・。