四国には《沈下橋(徳島では潜水橋と呼ぶ)》が、Googleで見るだけでも下の地図のようにたくさんあります。
歩き遍路の写真には、海辺や菜の花畑を歩く写真、そして沈下橋を渡る写真を見ることがあります。
しかし、四国八十八か所1200km~1300kmの行程の中では、徳島県吉野川に架かる《大野島橋》と《川島潜水橋》と、地図には潜水橋とは載っていない鮎喰川に架かる《駒坂橋》だけしか渡るようになっていません(多分)。
(徳島県の潜水橋)
(高知県の沈下橋)
その沈下橋(潜水橋)、藤井寺へは、お遍路の雑誌では必ず出てくる《川島潜水橋》を渡るのを楽しみに・・・・。
ところが「川島潜水橋は工事中につき、下流に架かる阿波中央大橋に迂回してください」とのこと。
1km近く遠回りな上、味も素っ気もない長い阿波中央大橋を、車の騒音と一緒に渡る羽目に
楽しみは半減・・・・・。
お話しを戻して・・・・・・四国遍路二日目は、6番札所安楽寺から11番藤井寺までの約25kmを歩きました。
8番熊谷寺から、今回で三回目という仙台からの人と同行することになり、歩き遍路初心者の私はいろいろお聞きしたいことがあり大変役に立ちました、Yはらさまありがとうございました。
10番切幡寺では、「般若心経は唱えられるか?」と聞いてきた、全く日本語の出来ないイタリアの方から、ブロークンイングリッシュで「何年生まれか?」と聞かれた。
Yはらさまが「1951年」と答えると「ベイビー!」と言い、私の生まれ年を言うと、力強い握手を求めて来た
自分より年下をベイビーと呼ぶ彼は、1948年生まれとのことで、イタリアから歩き遍路に来られたと
おまけには英語版の遍路本を開いて、私たちと一緒に般若心経を。
彼とは抜きつ抜かれつ、翌日の16番観音寺まで一緒だったが。その後は・・・・・?
翌3月7日、四国遍路最大の難所《遍路ころがし》は、福岡からの「仕事を辞めたから野宿、時には宿利用で」という40歳の人と、名古屋からの40代後半の人となぜか歩調が・・・・。
通常歩き遍路の場合、どうしてもそれぞれ歩くテンポが違うため同行は難しくなる。
また、お互いの身分素性や歩く目的なども違うので、なるべく詮索をしないのが礼儀。
とは言え、日本の人口約一億人のうち、0・00000%?の歩き遍路を目指し、そして同じ2023年3月7日に遍路ころがしを歩くという偶然中の偶然を大切にしたく、彼らと抜きつ抜かれつ《遍路ころがし》に挑みました。
(赤矢印が福岡の彼と、名古屋からの彼・・・登りは置いて行かれてしまった)
登りに入ると足腰は強いが心臓に問題がある私は、二人には置いて行かれてしまう。
がしかし、下りに入ると心臓に負担が掛からないので、二人に「早いですね」と言われて追いつく・・・。
結局、彼らのお陰で12番焼山寺には「速足(健脚5時間・並足6時間・弱脚8時間と言われる)」の部類である5時間で到着。
11番藤井寺近くの宿で同宿だった、60歳定年を迎えたのを機に・・・・と言っていた香川県の方は7時間30分掛かったとのことなので、私は彼らのお陰でずいぶんと早く登れたようだ、ありがたいありがたい。
私は、焼山寺を下りてすぐの民宿に泊まったが、福岡と名古屋の彼らはそれから3時間くらい先の宿とのこと。
福岡の彼とは、翌日13番大日寺、14番常楽寺、15番国分寺で逢ったが、それが最後、名古屋からの彼とはまったく会うことはなかった・・・・・《一期一会》、彼らの無事の結願を祈るのみ。
歩き遍路の写真には、海辺や菜の花畑を歩く写真、そして沈下橋を渡る写真を見ることがあります。
しかし、四国八十八か所1200km~1300kmの行程の中では、徳島県吉野川に架かる《大野島橋》と《川島潜水橋》と、地図には潜水橋とは載っていない鮎喰川に架かる《駒坂橋》だけしか渡るようになっていません(多分)。
(徳島県の潜水橋)
(高知県の沈下橋)
その沈下橋(潜水橋)、藤井寺へは、お遍路の雑誌では必ず出てくる《川島潜水橋》を渡るのを楽しみに・・・・。
ところが「川島潜水橋は工事中につき、下流に架かる阿波中央大橋に迂回してください」とのこと。
1km近く遠回りな上、味も素っ気もない長い阿波中央大橋を、車の騒音と一緒に渡る羽目に
楽しみは半減・・・・・。
お話しを戻して・・・・・・四国遍路二日目は、6番札所安楽寺から11番藤井寺までの約25kmを歩きました。
8番熊谷寺から、今回で三回目という仙台からの人と同行することになり、歩き遍路初心者の私はいろいろお聞きしたいことがあり大変役に立ちました、Yはらさまありがとうございました。
10番切幡寺では、「般若心経は唱えられるか?」と聞いてきた、全く日本語の出来ないイタリアの方から、ブロークンイングリッシュで「何年生まれか?」と聞かれた。
Yはらさまが「1951年」と答えると「ベイビー!」と言い、私の生まれ年を言うと、力強い握手を求めて来た
自分より年下をベイビーと呼ぶ彼は、1948年生まれとのことで、イタリアから歩き遍路に来られたと
おまけには英語版の遍路本を開いて、私たちと一緒に般若心経を。
彼とは抜きつ抜かれつ、翌日の16番観音寺まで一緒だったが。その後は・・・・・?
翌3月7日、四国遍路最大の難所《遍路ころがし》は、福岡からの「仕事を辞めたから野宿、時には宿利用で」という40歳の人と、名古屋からの40代後半の人となぜか歩調が・・・・。
通常歩き遍路の場合、どうしてもそれぞれ歩くテンポが違うため同行は難しくなる。
また、お互いの身分素性や歩く目的なども違うので、なるべく詮索をしないのが礼儀。
とは言え、日本の人口約一億人のうち、0・00000%?の歩き遍路を目指し、そして同じ2023年3月7日に遍路ころがしを歩くという偶然中の偶然を大切にしたく、彼らと抜きつ抜かれつ《遍路ころがし》に挑みました。
(赤矢印が福岡の彼と、名古屋からの彼・・・登りは置いて行かれてしまった)
登りに入ると足腰は強いが心臓に問題がある私は、二人には置いて行かれてしまう。
がしかし、下りに入ると心臓に負担が掛からないので、二人に「早いですね」と言われて追いつく・・・。
結局、彼らのお陰で12番焼山寺には「速足(健脚5時間・並足6時間・弱脚8時間と言われる)」の部類である5時間で到着。
11番藤井寺近くの宿で同宿だった、60歳定年を迎えたのを機に・・・・と言っていた香川県の方は7時間30分掛かったとのことなので、私は彼らのお陰でずいぶんと早く登れたようだ、ありがたいありがたい。
私は、焼山寺を下りてすぐの民宿に泊まったが、福岡と名古屋の彼らはそれから3時間くらい先の宿とのこと。
福岡の彼とは、翌日13番大日寺、14番常楽寺、15番国分寺で逢ったが、それが最後、名古屋からの彼とはまったく会うことはなかった・・・・・《一期一会》、彼らの無事の結願を祈るのみ。
PR