忍者ブログ
ものの優劣とは・・・・・・・。

 私は、変わり者・・・・・・と言うか凝り性と言うか?
例えば、ご覧の写真のように、《毛利元就》とか《四国遍路》とのタイトルが目に付けば即買いです。

      

 毛利元就の本が19冊、四国遍路の本が21冊です。
まだまだ目に付けば買います。


 お話変わって21冊の四国遍路の本の中で2冊ほど、少し鼻持ちならない本があります。
要は、『歩きがぁ~♪ 尊ぉ~としぃ~♪』と言わんばかりか、車やバスでなく歩いてこそご利益が・・・・のような書き方をしてあるのです。

 私は昨年の夏に、28番の大日寺から27番神峰寺、26番金剛頂寺、25番津照寺、24番最御崎寺、23番薬王寺さんの6ヶ寺をほぼ同じペースで若いお孫さん二人の運転で廻っておられた80歳半ばのおばぁちゃん遍路を思い出します。

 お背中も曲がっておられましたが、薬王寺さんの階段も一生懸命登っておられました。
お孫さんの若いお嬢さん方も、一緒に三人で笑顔で会話を交わしながらお参りされているほほえましさに、最御崎寺と薬王寺さんで一言三言お話しさせていただきました。

 上の写真のある本の著者たちのように、自分の職業の延長で廻って本にした人や、公務員を定年退職し、予算も日程も十分に使えて、38日の予定ですべて宿や民宿に泊まって、歩きとおした!と本を出版でき、車やバスでのお遍路を見下すようなお遍路さんと、このようにお孫さんとゆっくり楽しい会話をしながら、何日かは分かりませんが廻っておられた超高齢のお遍路さん、どちらに優劣がつけられましょうか・・・・・・・・・・。


 前置きが長くなりました。
私が投げ釣りを始めたころ、ある団体が「投げ釣りはナマリを投げて危ない!」「ふかせ釣りは撒き餌で海を汚す!」「我々の釣りは竿と糸と針、それに必要最低限のオモリだけ、これが本当の釣りだ!」と言っていました。

 またその後ずいぶん経ったころ、あるグループが「渓流でのエサ釣りは百姓の釣り、フライフィッシングが貴族の釣り」と、舶来のバンブーロッドを磨いておりました・・・・・・・・。
 
 釣りを50年ちかくやっていると、このように『我が釣りぃ~♪ 尊ぉとしぃ~♪』みたいな、いろんな意見を耳にします。

 投げ釣りのカレイやマダイ狙いなどでは、アタリがそんなにあるわけではなく、どうしても竿を複数用意するようになります。
 そうすると、竿を一本しか使用しない釣り人の一部から、非難の声が極々稀ながら耳に入ることがあります。

 ここで、最初のお遍路さんの優劣のお話を思い出します。

 私は絶対に、他の釣りについて干渉しないと心に決めています。
好きになった釣りがそこにあり、自分が人間として恥ずかしくない行動をとれば、どんな釣りをしようと優劣はないはずですから・・・・・・・・(もちろん赤土など違法の釣法は別ですよ)。

道徳とは、自分が行なうべきで、人に対して説教するべきものではない


  森 信三先生の言葉 ←お忙しく、面倒でしょうが、ぜひクリックして見てください。
どれか一つは「なるほど・・・・・」と思われる言葉があると思います。

    



























PR

2017/04/10 20:10 | 小難しいお話
『友』
ここ十年くらい仲間10人くらいで《似島初心者ファミリーフィッシング》のお手伝いに行っている。
 自分々で広島港での一日駐車代金を払って、あるいは有料道路代の払って一日中お手伝いくださっている(世話役の私だけに特別のメリットがある訳でもありません)。

 本当に『友』はありがたい・・・・・・・。

 以前、このブログにも書きましたが、孔子の言葉を思い出します。

 孔子曰く、益する者の三友あり。
      損なう者の三友あり。

 直なるを友とし、諒なるを友とし、多聞なるを友とするは益するなり。
 便癖なるを友とし、善柔なるを友とし、便佞なるを友とするは、損なうなり。


 という言葉があります。
意味は
孔先生の教え。
 自分にとって有益な三種の友がある。
 (逆に)有害となる三種の友がある。

 まっすぐな友、義理堅い友、博識の友、これは有益である。
 しかし、追従する友、裏表のある友、口先の巧みな友、これは有害である

 あなたの身の周りにはどっちのタイプの人が多いですか?

 私は、人間いろいろだし、自分と同じ考えの人ばかりだとだんだん小さく纏まってしまうので、自分とは違う人の考え方を違う切り口から見るようにしています。

 これは、薩摩の中興の祖と言われる、島津日新公の唱えた『日新公いろは唄』の「」に書かれている。

  似たるこそ友としよけれ交らば 我にます人 おとなしきひと

⇒人は自分と似たような人と仲良くなるが、それだけでは進歩は望めない。
 自分より優れた見識を持つ者を友とすることで自己研鑽をすることが必要だ。

 善きあしき人の上にて身を磨け 友はかがみと なるものぞかし

⇒人は自分の行いの善し悪しを知ることは難しいが、他人の行いの善悪は
 目に付く。日頃、友人を見て良いことはこれを見習い、悪いことは反省せよ。




 それから常に心がけていることは、「一旦厚誼を結んだ以上、自分からは縁を切らない」ようにと。

 しかし、こと【裏切り】はこちらからでも仕方ありません。
 と言うか、こちらから縁を切る・・・・・というより、裏切る行為・言動は、相手から私との縁を切っているということなので、突き詰めればこれも私からは縁を切っていないということですね・・・・・(^^ゞ

 それから【悪口・陰口】もきらいです。
私が人から受けた印象を悪く言って、それを聞いた人に先入観を植え付けるのがよろしくないからです。
 人はそれぞれ受け止め方が違うので・・・・・・・・・。

 京都大学第16代総長の平沢 興 先生の言葉に

 『人の悪口しか言えない人は  もう成長能力のない人であり、
   人の短所しか見えない人は 成長が止まった人である

 悪口から何か「良い事」が生れるならそれもありかもしれませんが・・・・・・。


















2016/11/04 17:14 | 小難しいお話
あれやこれや。

  恐るべし地掘りホンムシ・・・・・・・と書きました。
 先日、ヤスさんと二人で使いきれなかった地掘りホンムシ、同じクラブのYさんに明日日曜日、釣りに行けばあげますよ・・・・・・・・・と。



 (おいしそうな?地掘りホンムシ)

 翌日の9時10分に、「お陰さまで33㌢!」とメールが。

 10時34分「40㌢!(^o^)V」と。

 11時00分「31㌢追加(^o^)!」と・・・・・・・・・。

      

  (今年最後のカレイ釣り・・・・・・と言いながらこの釣果)

 さぞおもしろかったでしょうよ・・・・とグチの一つもいいたくなるような・・・・・・。

 ところで、愛犬ぷりんのその後。

13日、16日と注射と点滴を打ってもらい、17日には胃腸の粘膜を保護する薬をもらい、スポイドで飲ませ、少し食欲がでたのかな・・・・・と安心した19日、あまりにもおとなしく寝ているので、気晴らしに外に連れて出よう、と思って呼んでも玄関に出てこない?

 いつもなら、私が玄関方向に歩くと目で追いながら、すぐに出てくるのに・・・・・。
そこでいつものようにわき腹から手を入れ、抱きかかえようとしたその時「キャン(>_<)!」と痛そうな鳴き声をあげ、私の手に噛みつきそうな素振りをしてヨタヨタ逃げ出した。
(私の手を噛みつく素振りは、小さい時ブラッシングが痛かったのか、一度だけありました)

 そこまでお腹が痛いのか?と掛かりつけの獣医さんに電話。
答えは「腰が痛いのでしょう、神経なのでどこを触られても痛がる」
「抱っこはできないから、ゲージに入れてでも連れて来られないか?」
「ムリそうなら、痛み止めの薬を出すから取りにきなさい」と。



(自分のベットにいたら触らない、と言うわが家のルールを知っていて、痛いのを我慢してベットで座っています)

 二日間飲んだ痛み止めが効いたのか、それ以降は抱っこしても痛がりません・・・・・・が、相変わらず朝ご飯は食べなかったり、私が釣りに行った21日の土曜日は、私が帰った15時半まで何も食べなかったそうです。

 昨日今日は、なんとか朝起きて一時間くらいしたらやっと食べ始めています。

 ぎっくり腰に痛み止めの薬で思い出しました。
 一昨年の今ごろ、ぎっくり腰で悩んでいた私ですが、広島市内で行われる釣り関係4人での会合に、どうしても出なければいけなく、3時間は効果があるという痛み止めの薬を飲んで出かけたことがあります。

 私は以前から、「約束したことは自分が死んだ時以外は行く!」と豪語しています。
これは、若いころ読んだ上田秋成の【雨月物語】の中の「菊花の契り」に大きく影響をうけたものです。
 ただ私も人の子、今年の一月のブログに書いたように、あらかじめ母親の様子がおかしい・・・・時などは、「ご容赦願います」とお願いはしますが(^^ゞ

 先日のある日も、ここのところ不整脈がひどく、大好きな風呂もビールもお休み・・・・という日があるし、ぷりんの調子が悪いのに出かけると言う私に、カミさんが「あんたぁ、そんなに調子が悪いのに行けるんね!」と。
 私は、「行くと約束をした以上、倒れても後悔せんけぇ!」と言い放って出かけました。

 「行けない」と「行かない」は似て非なるのもなので、人間行く気になればなんとしてでも行けるものです。
 そのように生きて、倒れる時は前向きに倒れる気持ちだけは大事にしたいものです。
そのようなバカがいたなぁ・・・・・と一瞬でも思い出してもらえれば私は満足です。

 反対に、約束をする場合、あからさまに「取り引き」めいたことを言われたら、それがどんなに「良い」と言われる集まりでも私は断ります。
五斗米のために腰を折らず

 人間、後進(後輩)が一人でも二人でもできたら、道を誤ってはいけません。
なぜならば先輩の不名誉は、後進の方たちにとっても不名誉なことなのです。

 昔話ですが、当時私が編集をしていたある機関誌に、ある大先輩が掛かれた記事がお気に召さない!と、あるところからクレームが入りました。
「あの記事について謝らないのなら、広告を差し止めるぞ!」と。

 みんなで相談した結果、「そんな取り引きめいたお話なら、こちらからノーサンキュー」とこちらからお断りしたことを思い出します、愉快愉快!!!!!
















 
 


2016/05/24 14:56 | 小難しいお話
釣り人雑感。
 今日は、ある釣りの会議に出掛けてきた。

 会議の終わりに、「釣り人の減少が・・・・・」「釣りのセミナーをやっても、釣り人の高齢化が目立つ」「九州のフィッシングショーでは来場者の三割ちかくが女性で、それも熱心に聞き入っていた」「女性釣り人を増やすには・・・・・」などが話題に。

 よくよく考えてみたら、私が所属する全日本サーフ島根協会のGACサーフは、16人の会員のうち平成生まれの若い人が二人いるし、女性会員も二人いる。
 話題となった条件を満たして、モデルケースになるのでは?とひとり考えた。



(島根県大田市仁万漁港で、一心不乱に竿を振っている女性会員二人)
t

 先月出席した、別の会議は県の職員、漁業者、我々遊漁者、学識経験者が集まっての会議だったが、やはり最大の話題は「釣り人のマナー」の悪さ。

 釣り人側として、ハリの筵に座った気持ちで小さくなっていてもいけないので、「釣り人も釣具店さんも釣具メーカーもマスコミも自分のゴミは持ち帰ろう!などと啓発運動を継続してやっています。しかし、本質は釣り人と言うより日本人全体のマナーの問題で、竿を持てばドロボーもおまわりさんも釣り人ですので、一括りで語ることができない難しさがあります」
「ただ、現実には釣り人全体の責任なので、いろんな場面でマナーについて語っていきたい」と発言しました。

 どの趣味においてもマナーの悪さはあるのでしょうが、釣りは《漁獲を誇る》部分があるため、どうしても世知辛い人たちの出現があるのでしょう・・・・・・。

 ゴミ問題にしても、誰に言われるまでもなく、ゴミを捨てることはよくないに決まっています。

  次の看板は、四国遍路を廻ったとき、あるお寺の駐車場で見かけたものです。

  

 私は、子供たち対象の釣り教室などで「誰もが一つもごみを捨てなければ、拾うゴミは無い、ゴミゼロと言うことになるよね」と言っています。

 次の言葉は、思想家にして教育者、学者にして宗教者の《森 信三》の言葉です。

     

 私は、「ハリスや仕掛け、仕掛け袋などあきらかに釣り人のゴミだと分かるものは拾うように」と言っています。
 釣り場に落ちているゴミすべてを拾っていては、とても釣りなどできませんから、せめて釣り人のゴミは拾うように心がけているのです。


 1971年に加入した最初のクラブから数えると、私は約100人近くと一緒のクラブで釣りを楽しんだと思います。
 その100人が今でも同じように考えていてくれたら、ゴミを捨てない人がまたその周りの人に広がって・・・・・・となるのですが。

  たとえば、近所の小さな喫茶店のレジ付近に、レシートか何か落ちていたらあなたはどうしますか?
 釣り帰りに寄ったSAの空き缶入れの近くに、捨てられた空き缶が転がっていたら、あなたはどうしますか?

 

























2016/04/27 20:19 | 小難しいお話
約束。

 私はかねてより、「約束した以上、自分が死んだ時以外は行く心づもりをしている」と、偉そうに言っています。

 しかしやはりそこは人間、今から11年前だったか、当時山口県光市虹ケ浜で行われていた、ダイワのバトルカップには行きます、とグローブライド本社の方とお約束していました。
 ところが、その大会前日の土曜日に、同居していた義母(カミさんの母親)が亡くなり、当時私と同じクラブだったN氏に「お約束していたのに、行けなくなりましたすみません」と伝言をお願いしたことがある。

 12月25日の《楽しみは 朝起きいでて・・・・》のタイトルのブログで、私は夜の9時前には携帯の着信音もバイブも消して、布団の下に入れて寝ている・・・・・・と書きました。
 しかし、ここ最近は着信音もバイブも入れっぱなしで寝ている。

 実は、私の自慢の母親が現在108歳と9ヶ月、膝が悪いので歩けない他は頭もしゃんとして、目も耳もおまけに口も達者でした。



(今年の年賀状用に、12月2日に写真を撮りに行ったら、みかんを一人でむいて、噛みきれない薄皮はちゃんとむいた皮の上に出していました)

 年末12月28日、おふくろの近くに住む兄から電話があり、様子がおかしい・・・・・とのこと。
正月に東京から帰省した娘夫婦と5人と一匹で、一緒に新年の挨拶に行ってみると、やはり以前よりはずいぶん弱弱しい・・・・・。
 ずっと見てきているので、その弱弱しさが妙に気になりはじめ、いつ兄から電話があるかもしれないのと思い、ずっと着信音もバイブも入れっぱなしにしている。

 冒頭の言葉とおり、偉そうなことを言ってきましたがやはり人の子、お付き合いのある方、もしお約束したとしても、ご勘弁願いたくこうして書かせていただきました。










2016/01/12 20:29 | 小難しいお話

<<前のページ | HOME | 次のページ>>
忍者ブログ[PR]