おかしいですね、この世の中には100%しかありませんよ。
でも、もし世の中に101%というのがあれば・・・・・・・・。
どこやらの事務次官や、どこやらの人気グループのメンバー・・・・・。
テレビ番組を観ていると、押しなべて「悪い!」と、つまり100%非があると、タレント仲間やコメンテーターは言う。
へそ曲がりな私は考えました、もしこの世に101%あるとしたらどうでしょう?と。
仮に・・・・・仮にですよ、101%があるとしたら、《隠れて録音した女性》は、いくら取材ネタが欲しいと言えど、生理的に受け付けなければ、はっきりと「次官、セクハラですよ!」と言えばいい。
そうすれば、大抵の男は「この女性はガードが固いから・・・・・」と、セクハラ発言を止めるでしょう。
もちろん女性は、自分だけへの特別な「裏ネタ」も諦めて・・・・・・。
18才の未成年、これも仮に、仮にですから目くじらを立てないでくださいね。
101%があるとするならば、あくまで仮にですよ・・・・・・いくら相手が社会的な立場にある人間でも、夜の8時過ぎに親は行かせるべきではない!繋がりでどうしても!と言うなら、私が親なら付いて行く、間違いなく付いて行く。
私には娘が二人います。
私は娘が成人になるまでは、高校生の間はバイトもさせませんでした、お小遣いもろくにやれない貧乏家庭でしたが。
門限も8時まで・・・・・・。
常に言っていたことは、「成人になるまではお父さんの言うことを聞け!成人になったら、◯俗で働こうと、なんだろうと自分の判断で生きればいいから」と言っていました。
先日、関東から帰省で帰っていた娘が、旦那さんとテレビの話題を観ながら、「お父さん、もし私が18才の時に、夜の8時に出かけると言ったら、絶対に許していないよね」と言っていました。
この世には、大義名分や正論という言葉があります、こんなこと言ってしまって、《炎上》しなければいいけど・・・・・・、まぁ炎上するほど多くの人が観ているわけでもなし、年寄りのぼやきだと聞き流してくださいな・・・・、間違いなくこの世の中には101%というものはなく、確実に100%ですからね・・・・・・・。
辛口ついでにもう一つ「ウソ」の話。
最近《元なんやら秘書官》という人が、何やら官邸に10人くらいで来た人で、その中にどこの誰がいたのやら分からないまま応対し、自分の判断で上にも報告をしていないとか言っている・・・・。
どこやらでは、パトカーから逃げまくって事故を起こしながら、酒は飲んではいない!と言い張る◯察官、とある県の◯察署では、8000万円以上が無くなっても「知らぬ存ぜぬ」と言う人ばかり・・・・・・。
子供のころ、「嘘つきは泥棒の始まり」と言い聞かされてきた。
最近思い始めた・・・・・・、嘘つきは泥棒の始まりと言うと、飢えに泣く姉の子のためにパンを盗んで投獄された《ジャン・バルジャン》が怒るのではないか!と。
泥棒はしたが、ウソはつかない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!と。
外遊では、政府専用機のタラップの上で手を振ったり、外国からの要人が来られたら晩餐会に着飾って出るご婦人、当然「公人」かと思いきや、名誉校長になるのははいかがなものか!と言われると、「私人」扱いに・・・・・・・、こはいかに??????
愛犬ぷりんは、生まれて一度もウソをついたことはありません!
お父さんも、ぷりんには一度もウソをついていませんよ・・・・・・・。
基本、ウソと悪口は嫌いです。
あっ!この101%のお話は悪口になるかな・・・・・・

「ウソはついてはいけないが、本当のことは言わなくてもいい」という名言?迷言?もある。
唐突ですが・・・・・・。
これは、私のサラリーマン時代、新規事業拡大のため会社から派遣され、職業訓練校に通った時の皆勤賞です。
私は、《約束》というものがすこぶる苦手である・・・・・・・。
苦手と言っても、約束ができない体質ということではありません。
性格上約束したその時から、それが例えどんな予約であっても、何日も前から気になって気になってしょうがないのです。
ドタキャンや遅刻などもってもほか・・・・・。
ですから、病院や理髪店も予約制度のところは避けるようにしている。
私の血を引いているのか?私の娘もある専門学校を2年づつ、計4年間皆勤賞を取っている。
と、こう書いてくるとずいぶん真面目なように感じるでしょう。
実は、ふたご座のB型の、結構ちゃらんぽらん(真面目な方すみません)で行き当たりばったりで、計画の無い旅などが好きな、根っからの自由人なんです。
そんな呑気な性格だけに、一旦約束をすると逆にものすごいプレッシャーに陥るのです。
お話は変わって、私どものクラブでは明確な規約はありません(もちろん、上部団体の連盟には確たる規約があり、同じ条件で日本全国の組織員が楽しんでいる)。
クラブでは、島根協会のHPをご覧いただけばお分かりと思いますが、「一社会人として恥ずかしくない行動を取れる人なら・・・・」と入会資格について書いてあります。
しかしこの条件、厳密に言えば日本国で生活している以上は「一社会人として」過ごしているのは間違いないので、あって無きがごとしの条件ですね。
と言うことは、私たちのクラブにはどなたでも入会出来るということです。
ただ、私が敢えて言いたいことは、遊びであるからこそ、どうしても守らざるをえないルールではない、仲間のためにマナーやモラルが大切なのでは?
仕事ならば、社則だけではなく、いろんな縛りがあるで否が応でも従わなくてはいけないのは仕方ありません。
遊びには、仲間の数だけ自分を見ている目があるのです。
いつまでも仲間と楽しい釣りをするために・・・・・・。
顔だけぷりん・・・・・・・。
上から写真を撮ったら、身体が頭の陰に隠れてしまいます。
2008年2月26日から本格的に書き始めて、一貫して心がけていることがあります。
それは《悪口》は言わない、書かない・・・・・・ということです。
目を見てお話するなら、たとえ批判めいたお話でも、ちゃんと裏付けもあってのお話ができますが、ブログなどのように不特定多数の人たちに伝播する媒体では、やはり細やかなニュアンスの説明やフォローができないので、ブログを見た方に私の一方的な考えを植え付けることになりかねないからです。
NHKラジオ深夜便のCDの中のお話、「人の悪口しか言えない人は成長能力の無い人であり、人の短所しか見えない人は、もう成長が止まった人だ」
「人の短所は誰にでも判るし、ひとの短所はいくら判っても偉くはないが、人の長所はなかなか見抜くことができない」
同じ人生を過ごすなら、他人の短所を探してあーだこーだ指摘して、自分の心まで泥まみれにするよりも、他人の長所を見つけて自分も見習ったりした方がいいのでは・・・・・・、いずれはみんな同じこの星(地球)の土に還る身なのだから・・・・・・・・。
ということで、私と親しくお付き合いしている方々は、以上のことを理解してくださっています。
私と付き合いがある!と言う人で、他人の悪口をあーだこーだ言っている人がいたとしたら、その方と私は本当の意味でお付き合いしていない・・・・ということをご理解ください。
よろしければ、私のこのブログの検索画面で『悪口』と入れてみてください。
2008年6月10日のブログでは、2チャンネルに書かれたこともあります^^;
そう言えば、私のサラリーマン時代、本社の事務員さんが「センターはいいなぁ、私もセンター勤務になりたい!小池さんが人の悪口を言っているのを聞いたことがないから」と言ってくれたのも懐かしい・・・・・・。
まぁサラリーマンである以上、同期や同格の人間が気になるから、ついつい悪口めいたことも口をついて出るのかな・・・・・・。
私は、転勤を断ったりのまったくマイペース(上役に贈り物はしない貰わない)だったので、周りを気にしたことがなかったからでしょう。
おとといの火曜日、思い立って神戸・大阪まで日帰りで行ってきました。
神戸に行った時のお約束、三ノ宮高架下にある《餃子の珉珉》へ。
そのあと、先輩と慕う方のところへご挨拶とお願いに行き、夕方は大阪在住のクラブ員鈴Kさんご夫妻と串かつで一杯
私も、みなさんと同じ365日で一年の年を取り、ここまで馬齢を重ねて参りました。
年齢・釣り歴もさることながら、昭和46年(1971年)入会した、全日本サーフキャスティング連盟在籍も・・・・・・。
しかし、ある人が言った言葉を思い出します。
《年を重ねればベテランにはなれるが、そのままでは上級者にはなれない》・・・なるほど。
この年になると、辞めて行かれたり、鬼籍に入られた方ありで、ずいぶんと「先輩」が少なくなりました。
神戸の先輩、以前もこのブログに書かせていただきましたが、「鴨谷師世代の数少ない先輩」なのです。
実際で言うと、ご一緒に釣りに行ったことは一度もないのですが、お話を拝聴していると鴨谷師のことを思い出すのです。
その方や私を含め、釣り人というものは毀誉褒貶の多いもの、それはそれ勝海舟の《行蔵は我に存す 毀誉は他人の主張 我に与らず関せずと存じそうろう》です。
私は、「師を持つ」「先輩を持つ」「畏友を持つ」「後進を大切に」を心がけています。
例えば、
①小西和人氏より遠くに投げることができたら、小西和人氏を超えたことになるのでしょうか?
②鴨谷計幸師より、大きな魚を釣ったら鴨谷師を超えたことになるのでしょうか?
釣り人には、他の趣味に無い褒称があります。
それは《天狗》です。
なんと、この世に天狗の多いことか・・・・・・・
私が師、先輩、畏友を大切にするのは知らずしらずのうちに至ってしまう《慢心》を戒めてているのです。
日本を代表する教育者《森 信三》先生の言葉があります。
釣りでの師、鴨谷師の他に人生の師はおられます、私は常に師のお顔に泥を塗ることのないように心がけています。
私に何かあれば愛知県や愛媛県から遠路駆けつけてくれる畏友がいます。
この友に知られるのは恥だ・・・・と、行動や発言には気をつけています。
同様に、後進に対する態度も大事です。威張ったところで「飯も食えば出すものも出す、人間たかがしれているのですから」
《礼》はしっかりと心がけておきたいものです。
実は愛犬ぷりんの体調が思いの外悪くて、今月初めの四国横断の折りも、私が出かけた土曜日は朝ごはんを食べたそうですが、夜になっても帰ってこなかった翌日曜日は昼までご飯を食べなかったそうです。
先日、朝の4時に起きて広島空港近くのSC大会に出かけたら、やはり朝ごはんを食べなかったそうです。
そんなこんなで、なかなか気が晴れないままで、ついつい釣りにも行きそびれているのです。
私もある検診で陽性反応が出て、精密検査を・・・・と紹介状も届いていますが、ぷりん第一でいまだに行っていません。
そこにもってきて、パソコンの調子が悪くて、全日本サーフ島根協会HP管理人さんに、代替え機を持って来てもらい、悪い箇所をみてもらっていますが、代替え機なので写真をうまく使えなくて、以前の写真を掲載してのブログになっています。
先日、《道徳とは自分が行うべきで、人に対して説教するべきものではない》という、森信三先生の言葉をご紹介しました。
私も鴨谷師のお亡くなりになった年齢(1931年1月21日~2006年12月3日)に近づき、それにともない多くの後輩と出会いが得られました。
慕ってくる後輩に、私も熱心に小西イズム、鴨谷理論を説いていました。
その後輩たちからも、「この歳になると、親でも説教してくれないのに、小池さんから注意してもらってありがたい」と何人かから言われ、気を良くしていた頃もありました。
しかし、釣り人も何年も経って上手になれば、天狗さんと名前が変わるのか?その後輩さん方もいつのまにか・・・・・・・・。
最初のうちは《敬せられざるに至れるは 我が徳修まらざればなり》と、尊敬されないのは、自分がつまらないからとか、相手の非は自分の至らなさのせいだ・・・・・・などと、思うようにしていました。
しかし最近は、《道徳とは自分が行うべきで 人に対して説教するべきものではない》という言葉を知り、目からウロコではありませんが、いくらその人達に先人の道を説いても、人間にはその人の本質というものがあり、個人々に受け入れる素地が無ければ、いくらこちらが本気になって説いてもムダなことだと思うようになりました。
何人かの友人から、同じように後輩との人間関係についてのお話を耳にしましたが、彼らも「人間にはその人の本質というものがある」と思ったら気が楽になるのでは・・・・・と思っています。
人に説くではなく、自分が心がけて暮らしていれば、同じような考えの人は必ず出てくると信じて。
最後に・・・・・・、私は鴨谷師のお名前を何度も使わせていただいています。
それは取りも直さず、鴨谷師のお名前に泥を塗るような行動は絶対にとらない!と心に決めて、自分自身の戒めにもしているということです。