私たち投げ釣りを愛する者にとって、週刊釣りサンデー抜きに釣り雑誌を語ることはできない・・・・。
昭和51年4月15日発行(4月25日号)が創刊号であるが、私の手元には二つの創刊号がある・・・・・。

(昭和51年4月15日の創刊号。表紙は、当時FM大阪などのディスクジョッキーなど売れっ子フリーアナウンサー、宮城静子さん。小西和人氏と宮城静子さんのサイン入り)
当時、鳥取県境港で行われていた、広島・大阪協会交歓大会の審査場で、お二人からサインをいただいた、私にとっては貴重な週刊釣りサンデーです。
では、次の写真の創刊号は一体何?なんでしょう・・・・・。
実は、写真グラビアページと、パーフェクト速報以外のページは、印刷も何もない真っ白いページの『見本』なのです。
中には、小西和人氏の「週刊釣りサンデーの創刊号見本刷りがあがりました。表紙とグラビア8ページ、本文8ページだけのついた簡単な見本です。本番では表紙などもちろんとりかえます。・・・・・」などと書かれた挨拶文が挟まれています。

(全104ページ中、上記ページ以外は印刷されていない創刊号の見本)
たくさんの情報、たくさんの知識を与えてくれた週刊釣りサンデー、惜しまれながら2003年11月30日発行号を以て廃刊となりました。
釣り雑誌で週刊誌は絶対に無理だ!と言われながら発刊された週刊釣りサンデー、27年と7ヶ月の間我々投げ釣り人を含む読者を楽しませてくれました。
私も、故鴨谷計幸師のお供をしながら、五島列島や鹿児島県甑島にキス狙いで釣行した記事や、当時広島より一ヶ月早く解禁になっていた岡山県にアマゴ釣りのため、奥津や美甘・新庄に釣行した記事も掲載されていた・・・。
私の投げ釣り人生(渓流釣り)にとって、忘れられない釣り雑誌です。

(2003年11月30日発行の最終号)
【我が家の花だより】
キイジョウロウホトトギスが黄色い花を咲かせています。通常ホトトギスとは、薄紫の花弁に、濃い紫の斑点を散らし、それが鳥の杜鵑(ホトトギス)の胸斑に似ているところから、名付けられましたが、このキイジョウロウホトトギスは花も黄色、咲き方も垂れ下がってまったくホトトギスとは違う花姿をしています。

紀伊半島中部地方の山中、渓流沿いの水がしたたるような崖に垂れ下がって咲く花です。
昭和51年4月15日発行(4月25日号)が創刊号であるが、私の手元には二つの創刊号がある・・・・・。
(昭和51年4月15日の創刊号。表紙は、当時FM大阪などのディスクジョッキーなど売れっ子フリーアナウンサー、宮城静子さん。小西和人氏と宮城静子さんのサイン入り)
当時、鳥取県境港で行われていた、広島・大阪協会交歓大会の審査場で、お二人からサインをいただいた、私にとっては貴重な週刊釣りサンデーです。
では、次の写真の創刊号は一体何?なんでしょう・・・・・。
実は、写真グラビアページと、パーフェクト速報以外のページは、印刷も何もない真っ白いページの『見本』なのです。
中には、小西和人氏の「週刊釣りサンデーの創刊号見本刷りがあがりました。表紙とグラビア8ページ、本文8ページだけのついた簡単な見本です。本番では表紙などもちろんとりかえます。・・・・・」などと書かれた挨拶文が挟まれています。
(全104ページ中、上記ページ以外は印刷されていない創刊号の見本)
たくさんの情報、たくさんの知識を与えてくれた週刊釣りサンデー、惜しまれながら2003年11月30日発行号を以て廃刊となりました。
釣り雑誌で週刊誌は絶対に無理だ!と言われながら発刊された週刊釣りサンデー、27年と7ヶ月の間我々投げ釣り人を含む読者を楽しませてくれました。
私も、故鴨谷計幸師のお供をしながら、五島列島や鹿児島県甑島にキス狙いで釣行した記事や、当時広島より一ヶ月早く解禁になっていた岡山県にアマゴ釣りのため、奥津や美甘・新庄に釣行した記事も掲載されていた・・・。
私の投げ釣り人生(渓流釣り)にとって、忘れられない釣り雑誌です。
(2003年11月30日発行の最終号)
【我が家の花だより】
キイジョウロウホトトギスが黄色い花を咲かせています。通常ホトトギスとは、薄紫の花弁に、濃い紫の斑点を散らし、それが鳥の杜鵑(ホトトギス)の胸斑に似ているところから、名付けられましたが、このキイジョウロウホトトギスは花も黄色、咲き方も垂れ下がってまったくホトトギスとは違う花姿をしています。
紀伊半島中部地方の山中、渓流沿いの水がしたたるような崖に垂れ下がって咲く花です。