実に、3月30日以来50日ぶりに海風を浴びてきました。
この世に生を与えてくれた父母のお陰で、大きな病気入院もしたことはなく、50日も海風を浴びなかったことは釣りを趣味にした1970年以来初めてのことではないだろうか・・・・・。
ここ最近は山口県以外だと、フェリーの回数券を買っている江田島が多いのだが、今回はあることの下見を兼ねて倉橋島の南部を目指しました。
(鹿島大橋はモヤでかすんで見えなくなりました)
はるばるやって来た倉橋島南部、ところがどっこい!!!!
こんなところまで《コロナ騒ぎ》に便乗したかのような看板が。
ただの情報の受け売りで作られた看板、この漁港のどこに三密のうちの「密閉」があるのか?公開質問状を出してみたいもの。
ご覧のように壇蜜もいなければ、三密の心配もまるでない場所にまで・・・・・。
百歩譲っ・・・・・・いや一万歩譲って、漁港施設なら地元の漁師さんもおられる・・・・・と思って自分を納得させた。
解せない?のが、町内の人相手ではなく、町外の人たちが多く利用する新鮮なお魚を提供する民宿がたくさんあるK島(私もサラリーマン現役時代は忘年会などで利用していた)では、漁港施設ではなく砂浜への入り口にまで立て看板が。
この状況は、コロナ騒ぎを利用しての釣り人排除に他ならない・・・・・。
私が持っている本の中に、《周防大島歴史物語》というのがあり、その一節にとにかく本土とつながりを願った島民の中から「島特産のさつまいもを島民が拠出して、それを売れば橋の建設費は捻出できるのではないか・・・・・」と書かれている。
実に素朴で切実なお話である。
そんな島民の切なる思いで架かった橋ではなく、ただ高度経済の恩恵で一度としてこの地域に足を踏み入れたこともない、北海道や九州の住民から等しく集めた税をも使って架けられた橋。
それなのに、あたかも自家用の橋のごとくに思い、渡ってくる人たちを阻害するかのような看板。
確かに、釣り人の中には不届きな輩もいるのは否定しない。
私の投げ釣りの師の言葉に「竿を持てば泥棒もおまわりさんも釣り人」というのがあるが、私たち釣り人だけではなく、地元の方々からも声を掛けマナー啓発をはからない限り、永遠の課題として残ることでしょうね・・・・・。
車で走っていて感じたのだが、この看板は島の南部のK越・M尾・K島とO立の付近に限られている。
この看板、自粛を呼び掛けているだけだから何の拘束力もないのだが、さすがの日本人、看板があるところはあまり入っていないが、看板のない波止にはファミリーがあふれかえっている。
前記の集落の人たちは、自分の領域に釣り人が来なければ、《後は野となれ山となれ》なのだろうか?
騒ぎが収まっても町外の人に来て欲しくないのだろうか?
(帰り道の《坂ベイサイドビーチ》も、県の方針緩和でゲートが開いたので人人人であふれかえっていたが・・・・・。)
いくら拘束力がないとはいえ、看板を無視してまでそこで釣りはしたくないので、看板の無い場所を見つけて引いてみるが、巻くごとに重くなってきて、巻き上げてみるとトロ藻がテンビンやハリ、結びめにびっしりと掛かってキスどころではない・・・・・。
島の中央部辺りまで帰ってきたが、ここも引くとトロ藻が掛かるが、置き竿にするとポツリポツリと16~17㌢が・・・・。
置き竿では面白くないので、江田島に移動することに。
なんと、今の政権での税金の無駄使いで、懐具合がさみしくなったせいなのか?早瀬大橋の江田島側の橋脚の上辺りに仕掛けた《ステルス》で取り締まり中。
まっすぐな橋の上、制限速度は40km。
広島県警よ、もっと警察官らしい仕事をしろっ!って言いたいところ。
江田島では、砂礫交じりの海底が多いのか?トロ藻よりもスジ藻が多い。
もっと水温が上がって藻が溶けないと引き釣りを楽しむには面白みがない。
結局6か所釣り歩き、キスがいたのは2か所でお持ち帰りは6匹だけとさみしい結果となりました。
ただ今回は、広島高速2号線の大洲インターから、坂道路~呉道路を利用したので、エサを買う場所は限られている。
その釣具店に行ってみると、なんと石ゴカイが200円分しかなく、途中の音戸の小さな釣具店も「コロナの影響でしばらくお休みします」の貼り紙で、結局200円の石ゴカイだけで釣行したのは生まれて初めてのことでした。
50日ぶりの釣行といい、200円のエサでの釣行といい、生まれて初めてが2回もあった一日でした。
家に帰ると、愛犬ぷりんと愛培中のセッコクの《赤白黄色》が迎えてくれました。
(右の黄色は《プラダ》と命名しています。お気に入りのプラダのシャツと同じ色なんです)
この世に生を与えてくれた父母のお陰で、大きな病気入院もしたことはなく、50日も海風を浴びなかったことは釣りを趣味にした1970年以来初めてのことではないだろうか・・・・・。
ここ最近は山口県以外だと、フェリーの回数券を買っている江田島が多いのだが、今回はあることの下見を兼ねて倉橋島の南部を目指しました。
(鹿島大橋はモヤでかすんで見えなくなりました)
はるばるやって来た倉橋島南部、ところがどっこい!!!!
こんなところまで《コロナ騒ぎ》に便乗したかのような看板が。
ただの情報の受け売りで作られた看板、この漁港のどこに三密のうちの「密閉」があるのか?公開質問状を出してみたいもの。
ご覧のように壇蜜もいなければ、三密の心配もまるでない場所にまで・・・・・。
百歩譲っ・・・・・・いや一万歩譲って、漁港施設なら地元の漁師さんもおられる・・・・・と思って自分を納得させた。
解せない?のが、町内の人相手ではなく、町外の人たちが多く利用する新鮮なお魚を提供する民宿がたくさんあるK島(私もサラリーマン現役時代は忘年会などで利用していた)では、漁港施設ではなく砂浜への入り口にまで立て看板が。
この状況は、コロナ騒ぎを利用しての釣り人排除に他ならない・・・・・。
私が持っている本の中に、《周防大島歴史物語》というのがあり、その一節にとにかく本土とつながりを願った島民の中から「島特産のさつまいもを島民が拠出して、それを売れば橋の建設費は捻出できるのではないか・・・・・」と書かれている。
実に素朴で切実なお話である。
そんな島民の切なる思いで架かった橋ではなく、ただ高度経済の恩恵で一度としてこの地域に足を踏み入れたこともない、北海道や九州の住民から等しく集めた税をも使って架けられた橋。
それなのに、あたかも自家用の橋のごとくに思い、渡ってくる人たちを阻害するかのような看板。
確かに、釣り人の中には不届きな輩もいるのは否定しない。
私の投げ釣りの師の言葉に「竿を持てば泥棒もおまわりさんも釣り人」というのがあるが、私たち釣り人だけではなく、地元の方々からも声を掛けマナー啓発をはからない限り、永遠の課題として残ることでしょうね・・・・・。
車で走っていて感じたのだが、この看板は島の南部のK越・M尾・K島とO立の付近に限られている。
この看板、自粛を呼び掛けているだけだから何の拘束力もないのだが、さすがの日本人、看板があるところはあまり入っていないが、看板のない波止にはファミリーがあふれかえっている。
前記の集落の人たちは、自分の領域に釣り人が来なければ、《後は野となれ山となれ》なのだろうか?
騒ぎが収まっても町外の人に来て欲しくないのだろうか?
(帰り道の《坂ベイサイドビーチ》も、県の方針緩和でゲートが開いたので人人人であふれかえっていたが・・・・・。)
いくら拘束力がないとはいえ、看板を無視してまでそこで釣りはしたくないので、看板の無い場所を見つけて引いてみるが、巻くごとに重くなってきて、巻き上げてみるとトロ藻がテンビンやハリ、結びめにびっしりと掛かってキスどころではない・・・・・。
島の中央部辺りまで帰ってきたが、ここも引くとトロ藻が掛かるが、置き竿にするとポツリポツリと16~17㌢が・・・・。
置き竿では面白くないので、江田島に移動することに。
なんと、今の政権での税金の無駄使いで、懐具合がさみしくなったせいなのか?早瀬大橋の江田島側の橋脚の上辺りに仕掛けた《ステルス》で取り締まり中。
まっすぐな橋の上、制限速度は40km。
広島県警よ、もっと警察官らしい仕事をしろっ!って言いたいところ。
江田島では、砂礫交じりの海底が多いのか?トロ藻よりもスジ藻が多い。
もっと水温が上がって藻が溶けないと引き釣りを楽しむには面白みがない。
結局6か所釣り歩き、キスがいたのは2か所でお持ち帰りは6匹だけとさみしい結果となりました。
ただ今回は、広島高速2号線の大洲インターから、坂道路~呉道路を利用したので、エサを買う場所は限られている。
その釣具店に行ってみると、なんと石ゴカイが200円分しかなく、途中の音戸の小さな釣具店も「コロナの影響でしばらくお休みします」の貼り紙で、結局200円の石ゴカイだけで釣行したのは生まれて初めてのことでした。
50日ぶりの釣行といい、200円のエサでの釣行といい、生まれて初めてが2回もあった一日でした。
家に帰ると、愛犬ぷりんと愛培中のセッコクの《赤白黄色》が迎えてくれました。
(右の黄色は《プラダ》と命名しています。お気に入りのプラダのシャツと同じ色なんです)
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