20日の朝、宮崎市内の渋滞を避けるつもりで、高鍋のホテルを7時前に出発し、国道10号線を宮崎市内に。
まず【かめや釣具 宮崎店】に寄り、今回の忘れ物を買い足す。
続いて【宮崎神宮】へ。
この神宮のご祭神はいわずと知れた【神武天皇】、その荘厳なたたずまいとともに、ご神域の広さに圧倒されました。
ご参拝の作法に則り、おごそかな気持ちで神前に頭を垂れました。
四月三日の【神事流鏑馬】の開催される時や、五月初めの大藤の花の開花時期にお参りしたいものです・・・・・・。
(今回お授けいただいたお守りの数々。神様が「ワシが守る!」とケンカしないかが心配・・・・・・・)
次は車で5分ばかりのところにある【県立 平和台公園】へ。
ここでのお目当ては、子供のおりに目にした古銭の【拾銭札】に印刷された不思議な形をした塔。
【八紘一宇の塔】がそれで、世界各国の石を千数百個を含む、三千いくつかの石で作られ、正面には「八紘一宇」の文字が刻み込まれ、四隅には高さ4・5mの【荒御魂(武人)】【奇御魂(漁人)】【和御魂(商人)】【幸御魂(農耕人)】の四魂像が建っている。
戦後、GHQにより八紘一宇の文字は削られ、荒御魂の像は撤去されたとのことですが、その後再度現在の姿に戻されたそうです。
(戦後、一時撤去されていた荒御魂の像)
ちなみに、昭和39年開催の【東京オリンピック】では、ここが聖火リレーの起点になったそうです。
軍国主義の象徴だ!!などと目くじらを立てずに、歴史においての文化遺産として大事にしていきたいものです。
さてさてお次は、宮崎県庁にほど近い場所にお住まいと事務所(本社は延岡市)を持たれている、知人のお宅をご訪問。
知人と一緒に出迎えてくれたのは、愛犬ぷりんや「ミヤさんのブログ」の持ち主の愛犬マロン君と同じシーズーの「りんちゃん」、人懐っこさはやはり同じ遺伝子を持つからでしょう、思わずぷりんを思い出しました。
その方とは、野生ラン栽培を通じて知り合ったもので、今回も【ナゴラン】の大株をいただきました。
(我が家に持ち帰ったナゴラン(後ろの石に着けてあるもの)、手前はサイハイランと愛犬ぷりん)
小雨ながらも降りしきる雨の中、青島~鵜戸神宮と廻る。
鵜戸神宮では、10~15分も歩くようなので、「雨きらい」「歩くのきらい」な私としてはかなりの決心が必要でした。
予定では、都井岬に廻るつもりでしたが、この雨の中「南郷町から都井岬は40km」の標識を見ると、とてもその気になれず「志布志へ42km」の標識の方へハンドルを切り、内之浦の【コスモピア内之浦】へ。
大ギスで知られる内之浦海岸は、東からの強い風の影響で「ドッシャーン!ドッシャーン!!」と大きな波の音・・・。
翌21日の朝、今回の目的のうちの一つ【金環日食】・・・・・・・、雨は降り止まず波も高いので、日食を見るのも大ギス釣りも諦めて、早々と大隈半島の根占港へ。
根占港から薩摩半島の山川港への【なんきゅうフェリー】を待つ間、かすかに太陽がのぞいたので見てみたが、半欠けの月くらいで、広島の娘からの写メの方がよほど欠けている・・・・・・・・・残念!!!!!!!!!!!
日に4便しかない根占港発(9:00、11:00、15:00、17:00)の9時の便で山川港へ。
山川に来た以上は、指宿の砂むし温泉へ・・・・・・と。
ところがどっこい!待合室は人・人・人で、受付カウンターでは待たされている人がクレームつけている最中。
(いざ浴衣を着て、浜辺に下りてもご覧のとおり長蛇の列が)
私の辞書には「待つ」という二文字は無いので、すぐ近くにある市営の【いぶすき 元湯温泉】へ。
ここの雰囲気は最高で天井のぶっとい梁などは情緒たっぷり。
あいにくの小雨模様のなか、秀麗な山容を見せる【開聞岳】は、山頂部が雲にすっぽりと覆われている。
鹿児島には祁答院(けどういん)や頴娃(えい)などという、難解な地名が多くあるが、その頴娃の町を通って知覧へ。
鹿屋、加世田、知覧など多くの特攻基地があった鹿児島、どういうわけか知覧ばかりに観光客が集まっている。
やはり【特攻おばさん】として知られる鳥濱トメさんの存在が大きかったのでしょう。
(知覧の武家屋敷のたたずまい)
今夜21日の宿、南さつま市加世田にある【旅館 松屋】へ。
その前に、私のサラリーマン時代にここ加世田から働きに来ておられた安藤さんのお宅に・・・・・。
一番最初は1982年会社の同僚、クラブの会員と5人で。
二回目は1985年に鴨谷師と4人で。
三回目も1985年の秋にクラブの大田氏と3人で安藤さん宅にお邪魔した思い出が。
残念な事に、3年前にお亡くなりになられたとのことで、もう少し早く来ればよかった・・・・と涙が止まりませんでした。
安藤さんの息子さんの案内で、もう一人一緒に会社勤めをされていた上加世田さんのお宅に。
上加世田さんは、私より一才だけ上でしたが、4年前に亡くなられたとのことで、ここでも自然と涙があふれて、もう少し早く来ていれば・・・・と後悔しきり。
一緒に鹿児島や五島列島に行っていた、えのみやサーフの大田さんにこの事を報せると「昔を訪ねる旅は、一方で寂しさの旅でもあります・・・・」とのメールが来ました。
俳句をたしなむ彼らしい表現と感心しました。
さてさて、この加世田に宿をとった目的は、前出の元同僚のお宅を訪ねるほかに、万之瀬川河口にまだアオギスがいるのか確かめたかったのと、新川公園の老松の枝にいくらでも着生していた、着生ランの【ボウラン】の存在を確かめることでした。
(波打ち際まではかなりある、万之瀬川河口の干潟)
あいにく雨上がりの強風が吹きつけるし(写真のチガヤの穂が風になびいている)、最干潮の時間で水際まで行くには1km以上も歩かなくてはいけないので、あえなく断念し、もうひとつの目的ボウラン探し。
宿の松屋さんのご主人の話では、古い松はほとんど枯れてしまって、いまあるのは20~25年ものが多い・・・・・とのことでした。
それでも何株か残った老松のうち、一株だけの枝に10数株のボウランを見ることができました。
いよいよ明日の午後の便で、甑島に渡ります。
その前に、かめや釣具鹿児島城南店でエサの補充をしなければ・・・・・・・。
(今回のルートです)
まず【かめや釣具 宮崎店】に寄り、今回の忘れ物を買い足す。
続いて【宮崎神宮】へ。
この神宮のご祭神はいわずと知れた【神武天皇】、その荘厳なたたずまいとともに、ご神域の広さに圧倒されました。
ご参拝の作法に則り、おごそかな気持ちで神前に頭を垂れました。
四月三日の【神事流鏑馬】の開催される時や、五月初めの大藤の花の開花時期にお参りしたいものです・・・・・・。
(今回お授けいただいたお守りの数々。神様が「ワシが守る!」とケンカしないかが心配・・・・・・・)
次は車で5分ばかりのところにある【県立 平和台公園】へ。
ここでのお目当ては、子供のおりに目にした古銭の【拾銭札】に印刷された不思議な形をした塔。
【八紘一宇の塔】がそれで、世界各国の石を千数百個を含む、三千いくつかの石で作られ、正面には「八紘一宇」の文字が刻み込まれ、四隅には高さ4・5mの【荒御魂(武人)】【奇御魂(漁人)】【和御魂(商人)】【幸御魂(農耕人)】の四魂像が建っている。
戦後、GHQにより八紘一宇の文字は削られ、荒御魂の像は撤去されたとのことですが、その後再度現在の姿に戻されたそうです。
(戦後、一時撤去されていた荒御魂の像)
ちなみに、昭和39年開催の【東京オリンピック】では、ここが聖火リレーの起点になったそうです。
軍国主義の象徴だ!!などと目くじらを立てずに、歴史においての文化遺産として大事にしていきたいものです。
さてさてお次は、宮崎県庁にほど近い場所にお住まいと事務所(本社は延岡市)を持たれている、知人のお宅をご訪問。
知人と一緒に出迎えてくれたのは、愛犬ぷりんや「ミヤさんのブログ」の持ち主の愛犬マロン君と同じシーズーの「りんちゃん」、人懐っこさはやはり同じ遺伝子を持つからでしょう、思わずぷりんを思い出しました。
その方とは、野生ラン栽培を通じて知り合ったもので、今回も【ナゴラン】の大株をいただきました。
(我が家に持ち帰ったナゴラン(後ろの石に着けてあるもの)、手前はサイハイランと愛犬ぷりん)
小雨ながらも降りしきる雨の中、青島~鵜戸神宮と廻る。
鵜戸神宮では、10~15分も歩くようなので、「雨きらい」「歩くのきらい」な私としてはかなりの決心が必要でした。
予定では、都井岬に廻るつもりでしたが、この雨の中「南郷町から都井岬は40km」の標識を見ると、とてもその気になれず「志布志へ42km」の標識の方へハンドルを切り、内之浦の【コスモピア内之浦】へ。
大ギスで知られる内之浦海岸は、東からの強い風の影響で「ドッシャーン!ドッシャーン!!」と大きな波の音・・・。
翌21日の朝、今回の目的のうちの一つ【金環日食】・・・・・・・、雨は降り止まず波も高いので、日食を見るのも大ギス釣りも諦めて、早々と大隈半島の根占港へ。
根占港から薩摩半島の山川港への【なんきゅうフェリー】を待つ間、かすかに太陽がのぞいたので見てみたが、半欠けの月くらいで、広島の娘からの写メの方がよほど欠けている・・・・・・・・・残念!!!!!!!!!!!
日に4便しかない根占港発(9:00、11:00、15:00、17:00)の9時の便で山川港へ。
山川に来た以上は、指宿の砂むし温泉へ・・・・・・と。
ところがどっこい!待合室は人・人・人で、受付カウンターでは待たされている人がクレームつけている最中。
(いざ浴衣を着て、浜辺に下りてもご覧のとおり長蛇の列が)
私の辞書には「待つ」という二文字は無いので、すぐ近くにある市営の【いぶすき 元湯温泉】へ。
ここの雰囲気は最高で天井のぶっとい梁などは情緒たっぷり。
あいにくの小雨模様のなか、秀麗な山容を見せる【開聞岳】は、山頂部が雲にすっぽりと覆われている。
鹿児島には祁答院(けどういん)や頴娃(えい)などという、難解な地名が多くあるが、その頴娃の町を通って知覧へ。
鹿屋、加世田、知覧など多くの特攻基地があった鹿児島、どういうわけか知覧ばかりに観光客が集まっている。
やはり【特攻おばさん】として知られる鳥濱トメさんの存在が大きかったのでしょう。
(知覧の武家屋敷のたたずまい)
今夜21日の宿、南さつま市加世田にある【旅館 松屋】へ。
その前に、私のサラリーマン時代にここ加世田から働きに来ておられた安藤さんのお宅に・・・・・。
一番最初は1982年会社の同僚、クラブの会員と5人で。
二回目は1985年に鴨谷師と4人で。
三回目も1985年の秋にクラブの大田氏と3人で安藤さん宅にお邪魔した思い出が。
残念な事に、3年前にお亡くなりになられたとのことで、もう少し早く来ればよかった・・・・と涙が止まりませんでした。
安藤さんの息子さんの案内で、もう一人一緒に会社勤めをされていた上加世田さんのお宅に。
上加世田さんは、私より一才だけ上でしたが、4年前に亡くなられたとのことで、ここでも自然と涙があふれて、もう少し早く来ていれば・・・・と後悔しきり。
一緒に鹿児島や五島列島に行っていた、えのみやサーフの大田さんにこの事を報せると「昔を訪ねる旅は、一方で寂しさの旅でもあります・・・・」とのメールが来ました。
俳句をたしなむ彼らしい表現と感心しました。
さてさて、この加世田に宿をとった目的は、前出の元同僚のお宅を訪ねるほかに、万之瀬川河口にまだアオギスがいるのか確かめたかったのと、新川公園の老松の枝にいくらでも着生していた、着生ランの【ボウラン】の存在を確かめることでした。
(波打ち際まではかなりある、万之瀬川河口の干潟)
あいにく雨上がりの強風が吹きつけるし(写真のチガヤの穂が風になびいている)、最干潮の時間で水際まで行くには1km以上も歩かなくてはいけないので、あえなく断念し、もうひとつの目的ボウラン探し。
宿の松屋さんのご主人の話では、古い松はほとんど枯れてしまって、いまあるのは20~25年ものが多い・・・・・とのことでした。
それでも何株か残った老松のうち、一株だけの枝に10数株のボウランを見ることができました。
いよいよ明日の午後の便で、甑島に渡ります。
その前に、かめや釣具鹿児島城南店でエサの補充をしなければ・・・・・・・。
(今回のルートです)
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