普通に考えたら「逃亡阻止の手段」だろう。
元農水省の事務次官、100%どころか一億%いやいや100億%、10,000億%の確率でも逃亡しないのにも関わらず・・・・・。
となると、手錠は犯罪を犯した者に対する《見せしめ・戒め》のためだろうか??????????????????
いやいや、だとしたら千葉県で自動車を暴走させ、公園で遊んでいた保育園児や引率の保育士に筆舌に表せない恐怖感を与え、怪我をさせた男性、はたまた池袋での母子を死亡という、これ以上無い悲しみのどん底までに貶めたの暴走車両の運転手など、手錠をかけられることなくマスコミのインタビューに答えているのはナゼ・・・・・・??????????
刑の重さを、裁判前に警察官が判断して手錠をかけるorかけないと決めるのだろうか?
さすが日本のマスコミ、手錠のかかった画像は映さない(流さない)のがせめてのなぐさみ。
私が事務次官と同じ立場であったら、おそらく同じことをしていたのではないでしょうか。
誰に言われるまでもなく我が子は可愛い・・・・・・、その可愛い子を神にも仏にも背いて、我が手で・・・・・・・誰がそんなことをしたいでしょうか。
「他人に迷惑をかけてはいけない」、親をそんな悲しい辛い、自分が死ぬよりもっと辛い思いにさせた息子・・・・・・。
「身を立て 名を上げ やよ励めよ~」と卒業式で歌う《仰げば尊し》の歌。
そこまではなくても、ご先祖からいただいたこの生命、この名前を命の滅するその瞬間まで、自分の責任において微塵も他人のせいにしないで、生きてみたいと私は思うのですが・・・・・。
自分の境遇を他人と比べちゃぁいけません。
私は、気短な職人肌(仕上げ工)の父親と、専業主婦の母親の間の9人兄弟の末っ子に生まれました。
家は借家で、貧乏を絵に描いたような家庭で、6畳二間と台所、それに3畳の畳敷きの玄関に、多い時は8人で住んでいました。
一緒に登校していた友人の家は裕福で、時には登校前に使いっ走りのように《カレーパン》を買いに走り、友人のご相伴にあずかっていたこともあります。
貧乏からいじめに遭ってもおかしくはなかったかも知れませんが、結構悪ガキで楽天家だったので、卑屈になることなく過ごせたのかも知れません。
それでも一度として、貧乏に産まれた我が身の不運や、親を恨んだことはありません、当たり前のことですが。
むしろ、そのように苦労して私たち兄姉を育ててくださった両親の子に生まれて幸せだったと思います。
心がけていたことは、貧乏育ちだからといって《卑しく》ならないことでした。
お話は変わって、名古屋の友人、大田さんから「またまたすごい本に出会いました、すべてが小学生の句です。
その中から、私の感性に激震を与えた句を選んで一覧にしました。
引用は《小学生の俳句歳時記》と《ランドセル俳人の五・七・五》
後半の小林 凛君の句は、あの日野原先生が「不登校の凛君は俳句をつくり始めたことでいじめに耐えた 春の陽に彼は輝く」と描いておられます。
凛君は944㌘で生まれ、小学校入学と同時に壮絶ないじめに遭う、母ややむなく不登校を選択し、彼は俳句の中に「生」を見出した。
最初の句《生まれしを 幸かと聞かれ 春の宵》にその思いが滲んでいます。
また、《いじめられ 行きたし行けぬ 春の雨》に彼の苦悩が感じられます」とのメールが届きました。
この句を詠んだ凛君、現実を受け入れ、心無い他人の目に左右されることなく、自分のために自分を強く生きるようになってくれればいいな・・・・・と思います。
いじめる方が100%悪いのは分かっていますが、だからと言って「スパっ!」といじめがこの世から無くなることは残念ながらないと思います。
《相手は変えることは出来ませんが、自分はなんとか頑張れば変えることができるのですから》
龍安寺にある知足のつくばいの《吾 唯 足 知》ではありませんが、自分選んだ生きる道を進み、身の丈に合った生き方をしていたら、結構幸せな気分になれるものです

お金持ちからみたら、負け惜しみか?と笑われるかも知れませんが、私のガレージの中には渓流釣りや山菜採り、釣りのベストなどと一緒に《順風満帆》の旗が掛かっています。
春は山菜や渓流釣り、夏は大好きなキス釣り、秋はきのこ採り、冬は美味しいみかんを食べるのとカレイ釣り・・・・。
(愛犬ぷりんと一緒にいられるのも、最高の幸せなのです

ただ、今日テレビのニュースを見ていて感じた。
愛知県で200年余9代続いているある有名会社の婿養子が、文春デジタルに投稿した録音・・・・・・・。
9代目は娘二人で男子がいなくて、長女も次女も専務取締役。
次女の婿になり、めでたく10代目となる男子をもうけたのだから大したもの、とここで満足をして自分の《分》をわきまえて、職務に精進するのも男。
しかし、事件の顛末をテレビで見ていたが、この婿養子、勘違いしていたのでは?
会社でなんの実績もない(かな?)婿殿、家族と離れてロンドンから関西地方の物流センターに異動を告げられたりしたのがお気にに召さないようで、文春デジタルに投書したみたい。
そもそも、専務取締役である次女の婿になったら、偉くなったと勘違いしてはいけません。
そんなことで会社のえらいさんになったなら、叩き上げや能力がある社員から見たら、おもしろくない思いをされるはず。
9代目の社長から叱責される音声を録音し、それを文春デジタルに・・・・・。
録音で思い出しました。
兵庫県明石市の市長が、過激な発言をして、それを部下から録音されて公表され、辞職したことがある(再度の選挙が行われトリプルスコアで見事当選!!!!!!!!!)。
そもそも、録音をするというのは、自分が叱責されるのを見越してのこと?
場合によっては、相手が激昂するように持っていくことも手法の一つ?
このような例を見聞きすると、《加害者VS被害者》の線引が難しくなってくる。
私はサラリーマン時代、「一回だけは社長の頭をぶん殴ることができる!」との考えを信念として、誰も恨まず自分を攻めて責めて、高校中退の途中入社の現場作業員から、退職前は年商50億円?以上の会社の所長(担当部長)になった(今でも分数は解けないアホ人間ですが

聞くところによりますと、関東で釣り関係の書籍を出版していたとある出版会社が倒産したとのこと。
このところの読書離れからか、釣り業界では関東・関西の著名な出版社が廃業されている。
指先ひとつで、いろんな情報が入手できる現在、お金を出してまで読まない・・・・と言う人が多くなったのかも・・・・。
心配なのは、この状態が続くと、タダ(無料)でも出版物を読まない人間が増殖するのでは。
本を読むということは、知識習得以外にもずいぶんと為になると思うのですが。
明治・大正・昭和と生き、平成4年にお亡くなりになった、思想家であり教育者、学者にして宗教家であった森信三先生の言葉を抜粋してみました。
昭和のジジぃの言葉を、平成のジジぃがと思われるかもしれませんが・・・・・・。
あさっては、早朝から《広島市佐伯区利松公民館》主催の釣り教室のお手伝いに行ってきます。
クラブ仲間など5人がお手伝いしてくださいます。
多分、その人たちは次の森信三先生の言葉を、知らず知らずのうちに実践しているのでしょう。
釣り教室当日は、10組36人のご家族が参加されるそうです。
そのご家族に、下記の森信三先生の言葉をお話するつもりです。
いま地球は、プラゴミで危機状態にあると聞きます。
世界中の人全てが、それぞれ自分のゴミを一つも捨てないで、適正に処理をすれば、この地球上にはゴミはゼロ!・・・・・・・という理屈が成り立ちますが、悲しいことに恥ずかしいことに我々人間は・・・・・・・。
人間以外、地球上で生を受けている他の動物は、一切のゴミを捨てることはないのですが。
しかしカミさんが「雨が」「一人で大丈夫か」などなど何度も言うので、体調の悪い愛犬ぷりんを置いて早朝には出られないし、4~5時間釣るために前日から出かけて車中泊もきついし・・・・・と取りやめにしました、が雨は降りませんでした・・・・・・

そんなおりチャッピーさんから「今日は黒松に行きました!」と写メが。
また、お孫さんたちとみんなで南蛮漬けパーティーが始まるのかな

翌月曜日、YS田さんからメールと写メが。
こんにちは。
大畠浜漁港まで行ってきました。
二週間前とほぼ同じ潮回りですが、はっきりと差が出ました。
エサ取りが活発になり素針になってしまいます。
更に天気がいいので暑くてたまりません。
結果は
カレイ 21.5 、21.5
チダイ 25.5 、17 、16 、15.5
キス 18.5
カワハギ 19.5
トラギス 16.5
でした。
カレイは釣れたけれどサイズが小型になってしまいました。
夏カレイ狙いはこれで終わりですかね…。
お話は変わって
《人に施せども慎みて思うことなかれ》という言葉があります・・・・・。
先日のこと、釣り仲間ではないが、お付き合いのある人が「そりゃぁこういう時のために、みんなにいっつも飲ませとるけぇ言うこと聞くんよ!小池さんは飲まんけぇじゃが」と。
私も飲まないわけではありません。
そのように言われる恐れのある方からの《タダ酒》を飲まないだけです。
モノで釣る、飲ませる・・・・・・。
鴨谷計幸師で思い出すことがあります。
(島根県浜田市で開催した、クラブの記念大会にご臨席をお願いし、お迎えに行った時の写真)
当時は釣り業界も景気が良く、たくさんの協賛品をいただき、大いに盛り上がった大会だと自画自賛していたのですが、来賓席の鴨谷師は終始不機嫌そうでした。
(高く広く用意された景品の数々、まだ写真に写っていない賞品もたくさんありました)
大会終了後、鴨谷師がぽつりと・・・・・「大量の品物で人を釣るような大会ではなく、キミららしく手作りの大会を期待していたのだが」と。
思い上がっていた私たちは大いに反省、その後現在のクラブのように、まったく上下関係も利害関係というものがなく、物欲にとらわれず、人と人との繋がりで運営している《手作りクラブ》ができているのです。
今のクラブを鴨谷師に見ていただきたい思いです。
下の写真左は、その大会に遠く名古屋から駆けつけてくださった金森直治先生。
(写真右の優勝者に、金森先生から賞品の説明をされています)
金森先生には、現在下手な俳句を添削などのご指導をいただいています。
何年か前の句会に《港から たこ壺消えて 半夏生》という句を賞に取っていただいたことがあります(今年2018年の半夏生は7月2日)
その金森先生が、《物欲・金欲》について書かれた中日スポーツ新聞のコラムです。
趣味というもの、《趣味と実益》などという言葉を強く否定されて、「趣味というものは、支出の一方通行」なのである、と・・・・。
また、「仕事にも、趣味にも失礼ではないか!」と。
鴨谷師、金森師と、この人生で素晴らしい師匠に出会えた幸せをつくづく感じている今日このごろです。
一ミリでも近づきたい・・・・と思うばかりです。
愛犬ぷりんは《是々非々》で、決して迎合しないもんね・・・・。
アメフトの話題で持ちきり。
当初は監督が、「あれくらい・・・・・、私が責任を取る」とか言ったとか。
しかし、問題が大きくなると「指示は出していない」とさ。
私が監督だったら、例え選手が監督の叱咤激励を勘違いして、あのような行動に出たとしたら、それこそ「自分の指示の仕方が悪かった、選手は私の指示で行動した」と責任を取って辞任する。
あの監督は、逃げ口上を並べて今後どうしょうと思っているのか?
選手を切り捨てておきながら、まだ何年も指導者や大学の実力者としてやっていこうと思っているのか?
そんな態度を日本では《厚顔無恥》という。
私の大好きな作家、司馬遼太郎が著書のなかで述べている言葉、《名こそ惜しけれ》。
人間みんな、それぞれ一つずつ名前を持っている。
ご先祖さま、両親・兄弟・子供、先輩方、友だち、後輩たち、そして何よりずっと名前を背負って生きてきた自分自身に、顔向けのできないような生き方だけはしたくないものだ・・・・・・・・。
どうか監督さま、どこかの政治家さんやレスリング協会の監督さんたちを誘って、《晩節を汚す》ことのないクラブでも作っては・・・・・・・。
まぁお父さん、難しいことは言わないで・・・・・・、言ってもダメな人はダメだよ・・・・・、と愛犬ぷりんが。