最近テレビで、視聴率の高い《ぽつんと一軒家》ではありませんが・・・・・。
空撮のポイントを拡大してみたら・・・・・、どんな理由でどんなお魚が・・・・。
それが見える空撮ポイント集が、レジャーフィッシングから発売されている。
衛星写真ではなくドローンでの空撮らしい。
広島、山口、島根なら私も釣り場ガイドができるが、岡山だと玉野港と下津井沖の本島くらいしか知らない
空撮と言えば、昭和43年3月に全日本サーフ二代目会長小西和人氏と、全日本サーフ広島協会初代会長鴨谷計幸氏がコンビで出した《いそづり四国編》が日本初出版だろう。
第二弾目が、昭和46年5月1日発行の《楽釣 瀬戸内と日本海投げ釣り/磯釣り 航空写真の立体ポイント集》。
当時の広島空港(西区観音)を拠点に千枚もの写真を撮って作られた、昭和46年5月1日発行の楽釣特別号。
この後、53年と58年に《パーフェクトガイド》として空撮ポイント集を発行。
その折、中国山地を越える飛行機で、芸北町の千㍍を超える畳山・阿佐山・天狗石山を飛んだ時の話。
「小池くん、君の奥さんの実家から、大暮川上流の深山はこのくらいしか無いで」と親指と人差し指で表していた。
カミさんのお義母さんにその話をすると、「そうよ、深山の〇〇さん(名前は失念)が山越えをして来て、ウチで着替えをして大朝まで歩いて買い物に行って、またウチで着替えて深山まで帰りよった」と。
ここからが4月3日のブログ「なぜ、この深山まで・・・・・・とのお話は後日に譲ることとして」の本題となります。
あらためて下の地図を見てみると、地図左上の深山から左下への矢印に沿って、大暮・小原・美和・高野を回って大谷までの距離よりも、赤矢印の通り山越えをした方がはるかに近い。
ただ、造り酒屋やいろんな商店で賑わっていた大朝の街に行くには、山越えの野良着では気がひけるので、カミさんの実家で着替えさせてもらっていたのでしょう。
しかし、大谷から大朝まででもずいぶんと距離があるのに、深山からは熊も出る険しい山道を・・・・・・私にはとても真似ができない、昔の人の辛抱強さは半端ないと思いました。
もうずいぶんも前から深山は全世帯が離村し、今では《尾関神社》という神社だけが残っている。
私が渓流釣りや山菜採りで通う、広島県と島根県にまたがる西中国山地、多くは《三八豪雪》と言われる昭和38年の豪雪に嫌気がさして離村した人がほとんど。
今でも西中国山地には、限界集落と言われる4~5人の集落もあるが、日本中の山奥の人たちみんなが都会に出ていき、その都会の象徴である東京が人口増により、今現在逆の意味での《限界集落》になっているのは皮肉である。
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