先日、3月3日のブログで「自分を批判した現職には選挙資金1500万円、自分のお気に入りの新人にはなんと10倍の選挙資金を渡した参議院選」と書きました。
自分の匙加減で・・・・・・・、政党交付金とは言いながら私たちの税金を恣意のまま使う、都民に花見の自粛をと言いながら、芸能人と花見パーティーをやってのける自分のカミさんの制御も出来ないのに、日本の舵取りをやっている独裁者。
かと言って、思ってもいなかった天下を手に入れ、『言うがやすし行うは難し』を絵に描いたように、仲間の足を引っ張るだけで終わった野党には期待もできないし・・・・・・、せめて与党の中から良識のある多数の声・・・・・・も上がらない平和ボケの日本。
その10倍もの資金を手にした候補者と旦那。
《もりかけ問題》でも、検察が手を出せなかった独裁者の威光を笠に着てか、選挙区の首長や議員に現玉を配り廻ったとの報道が・・・・・・。
昨日4月9日、広島県の県北の町長さんが、候補者の亭主から20万円を受け取り、返すタイミングのないまま自責の念にかられて辞任した。
この町長さんと私は同じ委員会の委員として何度か広島県庁での会議に同席したが、非常に優秀で穏やかで人間的に素晴らしい方です。
世間で言うところの過疎の町のため、ご自分が国会議員に陳情に行く立場、その方のお家までわざわざ(上位者)議員が訪れ、帰り際に白封筒を置いて帰ったとのこと。
きれいごとでは「きっぱり突っ返すべき!」とは言うが、立場を考え過疎の町のことを考えると矛先が鈍るのも私は十分理解できる、それも町長さんという立場からみたらたったの20万円が欲しいわけではないのも理解できる。
それでも晩節を汚すことなく、自ら辞職の道を選ばれた・・・・・・・。
しかし、こんな素晴らしい町長を辞職に追い込む卑劣な夫婦と、陰で応援していた実力者二人。
この女房、県議会議員時代に当時の県知事に「男らしく辞めなさいよ!」と、それはそれは恐ろしい形相で詰め寄っていた映像が残っているのだが、いざ自分の番が来ると「日本を変えたいから辞めない」だとさ
まぁ、町長さんの辞任が《蜂の一刺し》となるかどうか検察の腕次第。
お話は変わって、その町長さんの地元の《那須集落》、言い伝えでは四国屋島での源平合戦において、扇の的を射抜いたという弓の名手。
その那須与一が下向して来て開いたとされ、お墓と言われるものもあるという。
1958年には林業を中心に39世帯154人の集落が、2018年のテレビ放送では4世帯6人の《限界集落》に(積雪の多い冬季は1世帯2人だけに)。
1970年代、吉和の細見谷や戸河内の奥三段峡の田代あたりへの渓流釣りに通っていたころのこと。
内黒峠を下っていたら、3人のおばちゃんが背負い籠にいっぱいの山菜を詰めて道端に腰を下ろしていた。
車も無いのに?と「どこから来たん?乗せて帰ってあげようか」と言うと。
「那須から上がって来たんよ、歩いた方が早いからいいよ」と。
帰宅して地形図を見たらなるほど!
出会ったのが丸印に✖マークの辺り、下の2本の傍線の那須へは、車だと赤い線に従ってぐる~っと遠回り。
✖印の場所から沢沿いに降りたら、簡単に那須集落に帰りつける。
前回に続いて、空から日本を見てみたら・・・・・でした。
日本中、大変な苦しみや悩みを抱えているさなか、あまりノー天気に釣りにも行く気にならないので、釣行記ではなく思い出話を書いてみました。
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