何年か前、半身はご不自由ながらもお元気だった鴨谷師をお連れして、佐連と大積の間にある、五条の千本桜など見物のため、周防大島をほぼ一周したことがあります。
その折に登った、高さ263mの飯の山。
我が国最古の文献といわれる『古事記』には、イザナギ・イザナミの二神が大八洲(おおやしま)を生んで、次に六つの島を生みたもうた・・・とあり、その六つの島の中に大島があり、「大島を生む、亦の名を大多麻流別(おおたまるわけ)という」としてある。
大島と呼ばれる島は、日本全国に70ばかりもあるが、それをこの周防大島であろうとしたのは、本居宣長の古事記伝だとのこと。
大島の西端、本土に一番近い場所にその美しい姿でそびえ立っているのが飯の山で、古代人はこの山全体を神としてあがめたのではないかと想像される。
飯の山頂上からの眺めは壮観で、この急流渦巻く瀬戸に橋が開通したのは、1976年(昭和51年)7月4日のことです。
橋の総延長は1876m、うち橋梁部は1020m、幅9m、総工費99億円。
1996年(平成8年)に通行料が無料化される。
私の釣り場への足としての『橋』は、山口県では上関大橋、笠戸島大橋、沖家室大橋、広島県では音戸大橋、早瀬大橋、鹿島大橋、大芝大橋、安芸灘大橋などたくさんあるが、やはり一番印象深いのはこの大島大橋でしょう。
大会などでは一番乗りを目指して、大畠~小松間の国鉄フェリー(5台くらいしか乗れなかった)乗り場まで走ったことも懐かしい。
柳井~開作間のフェリーにもお世話になったものです。
意外なところでは、岩国市通津~周防大島久賀間にもフェリー便がありました。
開作や日向泊、油宇、沖家室での座布団カレイを目指して通ったものです・・・・。
橋の無料化に比例して、釣れる魚も少なくなったような気がします。
交通の便、タックルの進化が、さかなたちの楽園をだんだん小さくしていったような気がします。
その折に登った、高さ263mの飯の山。
我が国最古の文献といわれる『古事記』には、イザナギ・イザナミの二神が大八洲(おおやしま)を生んで、次に六つの島を生みたもうた・・・とあり、その六つの島の中に大島があり、「大島を生む、亦の名を大多麻流別(おおたまるわけ)という」としてある。
大島と呼ばれる島は、日本全国に70ばかりもあるが、それをこの周防大島であろうとしたのは、本居宣長の古事記伝だとのこと。
大島の西端、本土に一番近い場所にその美しい姿でそびえ立っているのが飯の山で、古代人はこの山全体を神としてあがめたのではないかと想像される。
飯の山頂上からの眺めは壮観で、この急流渦巻く瀬戸に橋が開通したのは、1976年(昭和51年)7月4日のことです。
橋の総延長は1876m、うち橋梁部は1020m、幅9m、総工費99億円。
1996年(平成8年)に通行料が無料化される。
私の釣り場への足としての『橋』は、山口県では上関大橋、笠戸島大橋、沖家室大橋、広島県では音戸大橋、早瀬大橋、鹿島大橋、大芝大橋、安芸灘大橋などたくさんあるが、やはり一番印象深いのはこの大島大橋でしょう。
大会などでは一番乗りを目指して、大畠~小松間の国鉄フェリー(5台くらいしか乗れなかった)乗り場まで走ったことも懐かしい。
柳井~開作間のフェリーにもお世話になったものです。
意外なところでは、岩国市通津~周防大島久賀間にもフェリー便がありました。
開作や日向泊、油宇、沖家室での座布団カレイを目指して通ったものです・・・・。
橋の無料化に比例して、釣れる魚も少なくなったような気がします。
交通の便、タックルの進化が、さかなたちの楽園をだんだん小さくしていったような気がします。
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