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かけあしで。
4時間と少しで熊本着、リッター143円のガソリンを満タンに。

深夜営業のラーメンを食べ、大津道の駅で仮眠。

5時に起きて阿蘇山へ。
火口まで上がれる時間は8時30分からと書いてある。
確かに雄大で素晴らしい観光地ですが、今回の旅の目的地ではないので、7時に下山開始。

高千穂峡と高千穂神社、そして今、天岩戸神社にお参りし終えました。

今から延岡→美々津の予定です。





(夜明けの阿蘇山)
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2012/05/19 09:36 | 遠征のお話・思い出
俵山温泉二日目。
 落としたカレイですが、釣り始めて30分そこらで釣れたので、まだまだ希望は持てる!!とあまり気にせず釣り続けましたが、時合いは終わったのかさっぱりでした・・・・。
 ならば、翌日は釣れた12時30分ころより2時間前、つまり10時ころから釣り始めれば時合いに当たるかも・・・・と翌日に期待して、本来の目的の湯治のため俵山温泉に16時前に帰りました。

 お気に入りだった【川の湯】は泉源を【白猿の湯】に移すため閉鎖になったそうなので、仕方なく【町の湯】へ。
少しぬるっとした感じの【アルカリ性単純温泉】で、効能は【神経痛、筋肉痛、間接痛、リウマチ、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、打ち身、くじき、慢性消化器病、痔ろう、冷え性、病後回復、疲労回復、健康増進】などと書いてある。
 入浴料は390円。
宿に泊まると、一日入浴券として1000円払えば、【町の湯】【白猿の湯】に正午から翌日の正午まで入り放題。
 白猿の湯の受付の方に聞くと「私が担当している範囲では7回入った人が最高」とのこと。

 予報では3日は雨とのことでしたが、あのカレイを見せ付けられた後では「少々の雨はいい、風さえ吹かなければ!」とやる気満々で眠りに入りました。

 夜中からもの凄い風の音や雨の音が聞こえてくる・・・・・・。
夜が明けて窓の外をみると、暴風が吹き荒れている。
 閉鎖された川の湯の屋根を叩く雨が、しぶきとなって舞い上がっている。

 そう言えば、今から30年近く前、鴨谷師のお誘いで生まれて初めてのテレビ出演した【ザ・フィッシング】五島ロケで、初日はやわらかい春の日差しの中、ウグイスの声を聞きながら「こんな中で釣りができる、なんと幸せなことだろう・・・・・」と思った翌日、台風並みの暴風雨のなか吹き飛ばされそうになりながらも釣り続けた、あの時の情景が目に浮かんできました。

 今回は取材ではないので、気楽な気持ちでお湯に浸かったあと、11時ころから角島や新しくできた【北浦街道 豊北 道の駅】を目指して走りました。
 途中、何度もハンドルを取られそうになる、さすが日本海と妙な感心をしてしまう。

 あいにくお目当ての道の駅は定休日・・・・・・・、仕方なく角島大橋のたもとまで行ってみる。



(写真一枚撮るにも、身体が吹き飛ばされそうになる)



(普段の角島大橋)

 早々と宿に帰って、本日二度目、三度目、四度目とお湯に浸かる。

 三日目、風はかなり収まっているので、朝風呂のあと8時に朝食を済ませ、油谷湾へ向かって走りました。

 釣り場には、まだ10mを越えるような大風が吹き荒れ、投げると同時にラインが横走りし、まったく釣りにならない・・・・・。
 仕方なく、真向かいにある【泊の造船所】に・・・・・。



この場所はあまり風が強くないし、見た目より水深があるのですが、どうも私の直感では時期が違うような気がしてならない。

 さらに移動してみたが、そこの波返しには【釣禁止】と書いてある・・・・・・。



躊ちょしながら車から降りて釣り場を眺めていると、後ろの水産会社から人が出てきた。

 「おはようございます!」と大きな声で挨拶をすると、個性派俳優の田中要次似の、ちょっぴり怖そうなお兄さんがやって来て「広島から来たんか?ここは釣禁止と書いてあるが、これは地元の釣り人がマナーが悪いから排除しているだけで、あんたのように挨拶ができる人はゴミなど捨てないから、遠慮なく釣りをしてもいいよ」と言ってくれた。

 でも複雑な気持ちになりました・・・・・・・・、【釣り人】という同一名でくくられる我々として、喜んでいいのか悲しんでいいのやら・・・・・・。
 挨拶と、ゴミの持ち帰りくらい人間として当たり前のことをすればいいだけなのですが・・・・・。

 せっかくなので強い横風の中、釣ってみたがアタリもなにも分ったものではないし、ロッドは転がるしでキスの23㌢を釣っただけで早めの納竿としました。



 まっすぐ帰っても早いので、長門湯本温泉の共同浴場【恩湯】に浸かって帰りました。



入湯料は200円で、少しぬるめですがぬるぬる感のあるお湯でした。

 アルカリ性単純温泉で、【神経痛、筋肉痛、間接痛、打ち身、くじき、消化器病】などに効能があるそうです。
 応永34年(1427年)、大寧寺の住職 定庵禅師が住吉大明神のお告げで発見したと伝わる温泉で、山口県でもっとも古い温泉といわれるそうです。

 家には4日の18時30分に帰着しました。
ほとんど釣りにはならず、300㌘用意した青ゴカイですが、200㌘ちかく捨ててしまいました・・・・・・。
総走行距離は586kmでした。


2012/04/05 20:25 | 遠征のお話・思い出
二泊三日の旅。
キス釣り場に【相性】があるように、私にとっての相性の良い温泉と言えば【俵山温泉


(山口県長門市俵山温泉 旅館マップ)

 なんやかやと身体が痛むし、精神的にもいろいろとあったので、ここはひとつ心も身体もリフレッシュ!!とばかりに、大好きな俵山温泉に湯治に出かけることにしました。

 しかし、いくら二泊三日の短期間とはいえ、ずっと温泉に浸かってばかりでは・・・・・・と考えました。
そこで引っ張り出したのが、1978年(昭和53年)に鴨谷計幸師が発行した【楽釣 特別記念号 パーフェクトガイド】。

           
 
 長門市あたりの釣り場をつぶさに調べる・・・・。
いつもは萩までは釣りに行っているのですが、それより先となると何年か前に三隅の野波瀬に行ったくらいのもの、それ以西はまったく未知の釣り場。

 目星をつけたのが、仙崎と油谷湾。



(久津港遠望。正面の岡上、黄色い屋根の辺りに楊貴妃のお墓があります)

油谷湾の久津港には、あの【楊貴妃】のお墓もあり、陽気人(ようきひ・・・・・と)としては一度は行ってみたいので、久津港とその隣の大浦港、そしてその先の泊を釣り歩くことに決定。




 4月2日の朝7時過ぎに出発し、長門市には9時45分に到着。
そこから油谷湾には30分くらい。

 まず泊の造船所・・・・・・と思い込んだ場所で竿を出すが、水深もあまり無くトロ藻がびっしりで、オモリといわず仕掛けといわず絡み付いて上がってくる。
 堪らず一時間で移動を決め大浦へ。

 3本目を用意している12時30分、波返しに立てかけたトーナメントサーフTⅡがガツン!!と引き込まれ、竿尻が浮かび上がった。
 投げ込んだポイントは、私のカウントで15~16秒で、「こりゃぁカレイには深すぎるわい」と独り言を言いながら投げた竿だし、強いアタリでもあったので、てっきりマダイの34~35㌢だと思い込み巻き始めました。

 実はカレイだったのですが、深い海から巻き上げるので、横になって上がってきたので、一緒にいた人が細長く見えたので「アナゴかと思った」と言うくらいのサイズでした。
 40㌢か?控えめに見ても30㌢後半のサイズだったのですが、生まれて初めての失敗をしてしまいました。

 抜き上げるため、水面を50~60㌢きったところで外れてしまったのです・・・・・・。
よくカレイがすっぽ抜ける・・・・というお話を聞きますが、私はこんな経験は生まれた初めてでした。

 言い訳はいいわけないのですが、今後の参考のために反省してみましたが、まず水深が深いしあの大アタリは、カレイとは思わなかったことが揚げられます。
 カレイの場合、エサをくわえて根に逃げ込む魚ではないので、カレイのアタリと判ればむしろラインを緩めて、2本目のハリも食わせるくらいの気持ちが必要でした。

 もう一つ、私が脱サラをして釣具店をやっていた時の、売れ残りのカレイ仕掛けがあったので、あまり好きな形状ではないハリで、現在は廃番になっているハリでした。
 廃番になるくらいだから使わなければよかったのですが・・・・・・。

 それでも、いきなり食ってきたのですから、まだまだ釣れるはず・・・・・と15時過ぎまで頑張りましたが、大きなフグにチャリコにイトヒキハゼに海ケムシで終わりました。



(釣り場の目の前にはイケスがあり、鳥もおこぼれを貰おうと集まってきます)

 2日目、3日目は・・・・・・・・・また。

 俵山温泉の宿ですが、これまで3回とは違った宿を選びました。
そこは【ペットOK】となっていたので、次回愛犬ぷりんと行くときのために・・・・と下見を兼ねて行きました。
 二食付6800円で、料理も良くすっかり気に入ってしまいました。




2012/04/04 21:45 | 遠征のお話・思い出
俵山温泉二日め。
昨日の7時過ぎに家を出、長門市には2時間と45分。そこから油谷湾に向かいました。
最初の場所は、トロ藻がびっしりでさっぱり。
正午過ぎに次の場所へ。
2日の釣りは、帰宅してPCからゆっくりと・・・。

楽しみにしていた俵山温泉、なんと大好きな川の湯は、閉鎖になっていました・・。
仕方なく町の湯へ。

今朝は7時から町の湯に入りましたが、大風・大雨で宿から出ずに窓の外を眺めています。




2012/04/03 09:10 | 遠征のお話・思い出
時間と距離。
 その昔、山口県の周防大島海岸に多数打ち上げられている、海洋ゴミの一種、カキイカダ用のプラスチィック製のパイプは、女竹で作られていました。

 私の知り合いのおじさんが、その切り揃えられた竹の筒を馬車に積んで、海辺まで運んでいました。
そうなんです、私が育った旧山陽道沿いのその町では、まだトラックに混じって馬車が活躍していて、当時一桁の年齢の私は、その荷台の後ろで揺られているのが大好きで、いつもそのおじさんの仕事場に遊びに行っていました。

 年齢も二桁になったころ、隣町との境にある峠から帰るときは、走行中のトラックの後ろに飛び乗り、荷台にぶら下がって、家の近くまで帰ると飛び降りていました。
 これも一種の遊びとして楽しんでいました。

 しかし、数年のうちにトラックから飛び降りるときに、勢い余って転んでしまう事が度々起こりました・・・・?
当時の私たちの頭では、トラックの性能がアップしてきて、スピードが違う・・・・ということにも気が付きませんでした。
 やがて、必ず転んであちこちを擦りむくようになって、自然とトラックに飛び乗るのはやめていました・・・。

 小学校2年のとき、お袋に連れられて東京に行きましたが、何時間経ったかは詳しくは覚えていませんが、翌日の朝富士山を遠めにみたような記憶があり、当時は12時間どころかもっと掛かっていたようです。

 私が20歳ころ、とある都会から帰省するとき【準急ななうら】に乗車して帰ると、7時間半は充分掛かっていました。(現在は2時間も掛からないくらいなのに・・・・・)


 前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。
 友人と五島列島に通い始めたころ、博多港からフェリーの太古か清信に乗っていました。
夜中の12時ころ博多港で乗船するとき、翌日の朝食を予約するようになっていて、午前5時ころ平戸に着いたら、予約していた弁当が積み込まれ、手元に届くようになったいました。
 ここで注文するか、何か食料を持ち込むかしないと、船内には【カップヌードル】の自動販売機しか食べ物は無かったのです。

 博多港→平戸口→平戸→生月島→平港(宇久島)→小値賀→若松→と来てやっと目的の中通島の青方に着くのは午後3時ころでした・・・。(当時は、各港でビールなど生活物資をクレーンで吊られたモッコで積み下ろししていて、時間がたっぷり掛かっていたのです)

 それが、現在就航中の太古だと半分以下の時間、6時間半で到着しています。




(平戸大橋をバックに。青いラインと、黄色いラインのフェリーでした。青いラインは清信だったか?)

 清信は現在、フィリピンで活躍しているそうです。

 時間との競争となった現在、博多港からでも6時間半しか掛からないのですが、便利さに比例して大ギスの姿はめっきり少なくなったようです。

 まるでお金で時間を買っているような現在、その余った時間で余裕ができたとは思えないのはなぜでしょう・・・・・?

2011/07/06 20:09 | 遠征のお話・思い出

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