土曜日は高知県東部の第36番札所、宇佐の青龍寺から打ち始め、駈け足も駈け足、大
駈け足で廻り、5日間で88ヶ所のうち79もの札所を打ったことになる。
水曜日は、松山市泊まりとし、古くからの友人と一杯傾け、久々の夜更かしとなりました。
残すは久万町の45番岩屋寺から37番岩本寺までで結願。
夜更かしの翌日木曜日は、大好きな山野草を眺めたりきれいな景色に感嘆したりで、岩屋寺、大宝寺、西予市の明石寺とたったの三ヶ寺しか廻らず。
これまでの息抜きとばかりに、お気に入りの西予市三瓶町にある《潮彩館》で柑橘類をしこたま買い占める(多分?50~60kgは買っている)。
その後、今年6月に開催される《全日本サーフ愛媛協会50周年記念大会》の折り、入釣予定の場所が様変わりしていないか釣り場を見て廻る。
さてさて本日、しゃかりきに廻っては今日中に37番岩本寺まで打ち終わってしまう。
そこで、仏木寺、龍光寺と打ったあとは釣り場を見て廻ることに。
これまで多くの全日本サーフ対象の大物釣り場、宇和島の九島に橋が架かったと聞いたので寄り道を。
(あさって開通式が行われる九島大橋、その下を航行しているのは最後のフェリー便)
地元の人も、最後のフェリー便と橋を写真に撮るために来ていた。
しかし、島にはまだ渡れないので長居は無用、次なる札所愛南町の観自在寺、宿毛市の延光寺と打ち、四国西南端の足摺岬にある、38番金剛福寺へ。
しっかし!!!!雨に加えて大風で傘の骨が折れてしまい、お参りが終わるころにはずぶ濡れに。
四万十市観光協会の向かいにある《ニュー民宿 中村》に飛び込む。
ここが素晴らしく!本当に安くてもてなしの良い宿で大当たり!!!!!
冷えきった身体は、暖かいおもてなしと、温かいお風呂でポッかポカになりました。
明日は、ちょこっと四万十市の観光をして、最後の札所窪川町の岩本寺を打ち終えたら、昨年探しきれなかった小矢井賀のお堂を探し、あさっては大好きな《高知日曜市》を堪能して帰ります。
そして昨日、とうとう電源が点らないように.........(ToT)
まぁ、あさってから四国遍路に出掛けるので、帰ってから直してもらうことにしよう。
昨年の遍路は「これまでの罪滅ぼしと、これからの罪滅ぼし」で廻ったので、途中の愛媛県西予市の三瓶で釣りをしました。
お遍路の心得として、「十善戒」というのがあります。
1.不殺生(ふせっしょう) 殺生するなかれ
2.不偸盗(ふちゅうとう) 盗むなかれ
3.不邪淫(ふじゃいん) 邪淫するなかれ
4.不妄語(ふもうご) 偽りを言うことなかれ
5.不綺語(ふきご) 虚飾の言葉を言うなかれ
6.不悪口(ふあくく) 悪口を言うなかれ
7.不両舌(ふりょうぜつ) 二枚舌を使うことなかれ
8.不慳貪(ふけんどん) 貪ることなかれ
9.不瞋に(ふしんに) 怒ることなかれ ◆(に)は圭の下に心を書きます。
10.不邪見(ふじゃけん) よこしまな考えを起こすことなかれ
と言われています。
去年は、なんちゃってお遍路でしたが、今年は先日百八歳9ヶ月16日まで、私たちこどものためにがんばってくれた自慢の母の追善のためなので、釣りはしないでおこうと考えています。
お魚釣りは、また別の機会に行けばいいのですから。
ある人から「はは~ん、やはりお遍路を2回廻るとはよほど何かやらかしているんですね(笑)」とのこと。
それに対する私の言葉は「前回廻ったときに、これまでの罪滅ぼしと、これからの罪滅ぼしをしてきたので、今回は違う!!」と。
よほど、今世間を騒がせている元プロ野球選手や、ずいぶん昔の民主党時代の総理大臣みたいに、なにかまずいことをやらかすと、パフォーマンスでお遍路をやったことが印象にあるのでしょう。
ほとんどの・・・・・・と言うより、ほぼ全員が真面目にひたむきに八十八ヶ所を廻っているのに、ほんの極々一部の人間のために・・・・・・・・。
実は、今年閏年にはお遍路を逆打ちするといいと言う説があり、おまけに酉年の男は今年逆打ちをするとお大師さんにお会いできる確率が高い・・・・・・・とも。
今回、廻ってみる気になっている理由は、今年1月17日に亡くなった自慢の母キクノの追善と、前回同様に「家内安全・病気平癒」を念じて・・・・・・。
(母は百八歳と9ヶ月と16日でしたが、昔の習わしで数え年で百九歳と納め札に書きました)
去年、八十八ヶ所を打ったときは、高知県にある二十九番札所国分寺さんから打ち始め、門前のお店で納め札200枚を購入し、宿などで《願意》を書きましたが、たったこれだけの文字ですが忙しいのなんの。
そこで、真言宗の家に嫁いだ私の姉の息子、すなわち甥がいつも四国遍路の添乗をしているので、メールをしてみたら「今、愛媛県西予市卯の町にいるので買って帰ります」との返事。
今回は、家でゆっくりと納め札を書いて出かけられる・・・・・・と一安心。
下の写真は、2014年12月の私の手帳のコピーです。
黒い丸はひどい不整脈が起きた時間と、頓服薬を飲んだ回数です。
少なくとも次の服用の二錠目は30分開けて、その後は2時間以上開けて、一日6錠までしか飲んではいけない・・・・・・という結構きつい頓服薬です。
翌2015年3月に四国八十八ヶ所を廻りました。
これでもか!これでもか!!というほど、「ふうふう、ぜえぜえ」言いながらたくさんの階段を上りました。
その結果、お大師さまのご利益なのか、急な坂道や長い石段の登りで負荷を掛けたことが良かったのか?最近も不整脈はたまに起きますが、頓服薬を飲むまでにはいたらない状況です。
昨年同様、二種類の衣装?を持参するつもりです。
昨年は、西予市三瓶町で釣りをしましたが、今年は三崎まで足を延ばしてみようかな(^_^)
自慢の母の追善・・・・・・・とは言いながら、本質的に《なんちゃってお遍路》の私は、今年も大好きな日曜市巡りをするため、日曜日に高知から打ち始めて一週間で廻って、日曜市で打ち終えたいと考えています。
標高938mの8合目にある12番札所焼山寺、3月27日午前6時30分、辺りにはピーンとした空気が張り詰めている。
駐車場の片隅には3月終わりだというのに、厚さ50㌢いちかい残雪が残っている。
かってこの山には火を噴く大蛇が棲んでいたが、弘法大師が虚空蔵菩薩のチカラを借りて大蛇を封じ込めた・・・・・との伝説が残る。
その霊気だだよう参道に一人歩を進める私の耳に、木立の中から異様な音が。
一瞬たじろいだが、やがてその音がアカゲラなのか?キツツキの仲間のドラミングだと分かる。
(焼山寺の樹齢数百年の老杉の前で、カメラを首から下げた、なんちゃってお遍路)
車で、それも後半はスタンプラリー状態で廻ったにわかお遍路ですが、道中あちこちでたくさんの歩き遍路の方々をお見かけしました。
全行程を歩くと通常足腰の達者な人でも40日前後は掛かるとのこと。
いろんな思いを抱いて暑さ、寒さ、雨などに耐えて歩き続けているのでしょう。
(養殖イケスのブイが浮かぶ海沿いを歩くお遍路さん)
(お遍路には菜の花が似合うと言われますが、かなり暑そうです)
(59番国分寺前で見かけた若い僧形風の歩きお遍路さん、荷物の重みに耐えかねているのか、とてもしんどそうな表情でした)
(急坂続く60番横峰寺への途中で一休み)
(62番宝寿寺門前で見かけた歩き遍路さん)
(23番薬王寺境内で休息中のお遍路さん)
(27番神峰寺のまっ縦と呼ばれる急坂を登って、山門までたどり着いたお遍路さん)
それにしても、車でお参りもそこそこに廻っても7日くらいは掛かるのに、歩いてお参りして40日前後とは驚異的ですね・・・・・・。
単純計算でいっても、車の6分の一の速さで廻っていることになるのですから・・・・・。
また先日のブログで書きました中務茂兵衛さんの時代、明治・大正期はトンネルも橋もそこまで整っていないので、現代の歩き遍路さんよりもっと距離が長く難渋したことでしょうね。
なんやかんやで室戸岬を廻り、29番国分寺から打ち始めた私にとっては、最後の札所となる南国市の大日寺には納経時間を4分過ぎた17時4分に到着しましたが、やさしいご住職さんのおかげで88すべての墨書とご朱印がいただけました。
(納経帳左ページが打ち始めた29番土佐国分寺、右が最後の28番大日寺の墨書とご朱印)
下の赤い御影は、四国88ヶ所霊場開創1200年を記念していただける。
お寺に入ると、さっさかさ~と本堂だけにお参りして納経していただいている人。
旦那さんだけがお参りして、奥さんは一目散に納経所へ。
「どっちにお参りする?」「どっちでもいいよ」とお大師堂だけにお参りして納経所へ行く人。
春遍路 歩きスマホで なに悟る と思わせるような人も。
などがいて、お遍路の途中では、何度もグチをこぼしましたが、帰ってくると「まぁいいか・・・・人それぞれだから」と思うようになりました。
29日は、念願の高知日曜市を廻り、ぷりんへのおみやげにイチゴを買い、漬物やお鮨、タケノコ、野生ランのエビネやセッコクなどしこたま買って帰りました。
(この寿司がうまいんです!タケノコ、ミョウガ、こんにゃく、サトイモの茎)
(買って帰ったセッコクの黄花素心と覆輪葉のピンク花)
(今日から雨続きの予報、昨日は散る花を惜しんで愛犬ぷりんと私のお墓に行ってきました。お墓からは満開の桜や広島市街地が見えます)
お遍路の合間に釣りを・・・・と考えていましたが、釣りはまたじっくりと時間を掛けて行きたいと思っています。
あちこちで花見ガレイが好調のようですね。
でも山陰のカワハギか、春ギス狙いにいきたいなぁ~・・・・・・・・・。
2月13日のブログで、四国遍路の大先達周防大島出身の《中務茂兵衛》のことを書きました。
今回幸運なことに、愛媛県西条市にある64番前神寺で、その中務茂兵衛が建てた道しるべ石にお目にかかることができました。
歩き遍路ならもっとたくさん見つけることができるのでしょうが、車遍路ではなかなか困難で、このときはたまたま駐車場への道を間違えたお陰で見つけられたのです。
(前神寺の境内で見つけたしるべ石、私の釣りのホームグランド周防大島の文字が嬉しいです)
さてお遍路五日目、25日の朝は5時30分のモーニングコールより早く目が覚めました。
6時過ぎには松山インターへ・・・・・・・、四国自動車道三島川之江インターまで走り、愛媛県最後の札所65番由霊山三角寺へ。
江戸時代の俳人、小林一茶がここの山桜を見て「これでこそ 登りかひあり 山桜」と詠んだといわれる石段をふうふう言いながら登りました。
続いて香川県に入り、66番雲辺寺、67番大興寺、同じ場所にある68番神恵院、69番観音寺と廻り、70番本山寺、71番弥谷寺へ・・・・・・・・、個人的にはこの弥谷寺が一番きつかったように思います。
(こんな急な階段がず~っと続きます)
(弥谷寺の階段下にある俳句茶屋、ヤマガラがひまわりの種をついばみに何度もやってきます)
72番曼荼羅寺、73番出釈迦寺、74番甲山寺、75番善通寺、76番金倉寺、77番道隆寺、78番郷照寺、79番天皇寺、80番国分寺、81番白峰寺と廻ってくるといささか疲れてしまいました。
四国の西南部はそこそこ市場巡りや寄り道をしました。
当初はこの辺りは28日の日曜日に廻るつもりでしたが、ついつい早足になりこのままでは中途半端な水曜日くらいに高知県まで到着する。
どうせなら予定を早めて廻りきることにしょうと考えたわけです。
まるで《パリダカラリー》ならぬ《なんダカラリー》状態で、ドライブお遍路の本とカーナビとを駆使して走り回りました。
その焦る気持ちがそうさせたのか?白峰寺に金剛杖を忘れたまま、次の札所82番根香寺に行ってしまいました・・・・・・。
お大師さまの代わりと言われる金剛杖、おろそかにはできないのでまたぐにゃぐにゃ山道を引き返す羽目に(往復30分以上のロスタイム)。
25日は83番一宮寺で打ち止めとなりました。
私は【投げ釣り列島縦断】の本にも書きましたし、ブログでも広言していますとおり、(笑われるかもしれませんが)幽霊とUFOが怖いんです。
その私が!!!!!26日の朝一に84番屋島寺にお参りするため、屋島山頂の駐車場で野宿(車中泊)を覚悟したのです。
駐車場から50~60mのところには《源平合戦》のおり、血刀を洗ったら池が真っ赤に染まったと言われる「血の池」などがあり、平家の亡霊が出ないか・・・・・・と思いつつ。
幸い亡霊と出会うことなく朝を迎え、納経所の開く7時ジャストに納経していただき、次の85番八栗寺へ。
ここは車では入山できず、ケーブルカーを使用。
(八栗寺参拝のケーブルカー、正面右手に見える屋根状の山が屋島)
(五剣山を背後にして建てられた八栗寺)
86番志度寺、87番長尾寺と廻って88番の大窪寺に。
(結願の寺88番大窪寺)
《巡打ち》と言われる、一番霊山寺から順番に打って廻った人は、ここが結願の寺となり、多くの方々が「結願証明書」(有料)をいただいているが、私は29番から打ち始めたのでまだまだ先が・・・・・。
本来ならば私のように途中からの区切り打ちの人間は88番の次は一番から・・・・・・となるのでしょうが、私は一山越えたところにある10番切幡寺、9番法輪寺、8番熊谷寺、7番十楽寺、6番安楽寺、5番地蔵寺、4番大日寺、3番金泉寺、2番極楽寺そして1番霊山寺と廻る。
(5番地蔵寺にある、樹齢800年と言われる大銀杏の木の下で般若心経を唱えている人たち)
さらになんダカラリー中の私は、吉野川を渡って17番井戸寺、16番観音寺、15番国分寺、14番常楽寺、13番大日寺と早足で打ったあと11番藤井寺で納経所締め切りの17時を迎え、翌日の11番焼山寺への便宜上神山温泉へ。
【グルメのお話】
29日に高知日曜市でタケノコを買って帰ったので、昨日はタケノコご飯を炊きました。
タケノコご飯と言えば《木の芽》が欠かせないので、家の裏の通路に植えている山椒の葉を摘みに。
ここでびっくり、まだ葉っぱがあまり大きくなっていません、それもそのはず近在で採れたタケノコなら山椒もそれ相応に大きくなっているでしょうが。
タケノコは一足早い春がきている高知県でかったのですからね・・・・・。
(まだ2~3㎝にしかなっていない、わが家の山椒の葉)
今日4月1日はおふくろの108歳の誕生日。
愛犬ぷりんと誕生日祝いに行きました。
(花瓶の向こう、母の枕元には私が88か所でいただいてきた納経帳があります)
「母と私にご縁のある方々みんなが健康で長生きができますように」と「私の心臓が良くなりますように」とすべてのお寺でお祈りしましたので、母も当分死なれないと思います(^_^)/