5月30日の16時には俵山温泉での定宿《八万堂》さんへ。
俵山温泉に行き始めから3回目までは、温泉街中央部にある旅館に泊まっていたが、愛犬ぷりんと行くようになって《ペットOK》の宿・・・・・ということで、それからは八万堂さんへ・・・・となった次第です。
まず八万堂さんで《1泊用 俵山温泉入浴手形》を購入、1,300円也。
これを購入すると、投宿した日から翌日の正午まで、《町の湯》《白猿の湯》に入り放題。
町の湯で汗を流したあと、タオルを頭に巻いて、《にっぽん縦断 こころ旅》で、火野正平さんが辿ったあとを見て回る。
まずは、温泉街の入口付近の《三猿まんじゅう店》のある辺り。
(正面の三猿まんじゅう店は営業をやめているようで、右手角の《福田泉月堂》さんだけになったのだろうか・・・・・・)
続いて、ちょうど温泉街の真ん中辺り。
(昔ながらの旅館街・・・・、ただ半分近くが廃業しているよう・・・・寂しい)
元《川の湯》のあった辺りから、俵山温泉での定宿《八万堂》さんが見える位置。
(公衆電話の右手向こう、ルーフボックスを積んだ車が私の愛車・・・・そして八万堂さん)
私は《川の湯》が好きだったのですが、泉源を白猿の湯に移して川の湯は閉館しています。
温泉組合の方々は、近代的に・・・・・と川の湯を廃して白猿の湯を作ったのでしょうが、私達のように町から来た者にとっては、スーパー銭湯のような感じがして・・・・・・・。
懐かしさとひなびた感じを求めて来たのに、都会のスーパー銭湯風ではちょっと・・・・・・。
今の私は《町の湯》がただ一つの楽しみです。
お手紙を読んだ《思い出の階段》から見える《町の湯》
視聴者の方から頼まれ、思い出の階段を火野正平さんが決めたのがここです。
翌、5月31日の仙崎港と、萩市O井での釣りのお話はまた・・・・。
《俵山温泉のディープな話》
ここからは、温泉効用のお話なので、あまり興味の無い方は読み飛ばしてください。
ずいぶん昔、車に追突されたのと、鉄骨が頭部に倒れ掛かり《むち打ち症》になって病院に通っていました。
そこの医師が「そもそもむち打ちという病状は無い」と、あたかも気の持ちよう・・・・のように言っていました。
しかし、吐き気だのめまいだのそして、首が埋まり込むような肩こり?で悩んでいた私は、母から聞いた俵山温泉に数日間湯治に来ました。
すると、少なくとも首が埋まり込むような症状は無くなり(たまたまかも?)、俵山温泉の効用に信頼を寄せるようになりました。
母も膝痛で歩行困難でしたが、連れてきて入浴させると「なんか、膝が良くなって、温泉街を格好を付けて歩けそう!」とみんなを笑わせていました。
母の弟、つまり私の叔父は太平洋戦争で戦死しました。
その叔父が、外地で負傷して一時帰国し、軍の命令で俵山温泉に湯治に来ていたそうです。
温泉の効用なのか?やがて回復した叔父は、再度外地に向けて出征の途中、乗っていた船がアメリカ軍の潜水艦に沈められ戦死してしまったという悲しいお話があります。
母の弁を借りると、「俵山温泉が良すぎて早く治ったから戦死した、もう少し長引いていたら終戦で戦死しなくてもよかったのに・・・・・・・」と。
私は俵山温泉に行くたびに、私が生まれるより少し先に亡くなった叔父との、唯一の繋がりを感じられる《白猿山 薬師寺》にお参りし、お守りをいただいている。