私が道中で出会った歩き遍路の方々、日本の人が45人に対して外国の人が23人。
バスやマイカーの方々はほとんど日本の方だが、歩きに関しては外国の方の割合はずいぶん多かった。
イタリア、オーストラリア、オランダ、フランス、アメリカ、台湾、韓国と・・・・。
(42番仏木寺から43番明石寺への遍路道、歯長峠を登るオランダからの女性)
8番熊谷寺から15番国分寺まで、付かず離れず歩いた1948年生まれのイタリア人は、しきりに《般若心経》を一緒に唱えさせてくれと、英語版のガイドがあっても節回しが難しかったのだろう・・・・。
12番焼山寺から16番観音寺まで、抜きつ抜かれつした大柄のオーストラリア人は、日本語が堪能で先のイタリア人との通訳もしてくれた。
韓国の人は、富士山のマラソンにも挑戦したという方で、20番鶴林寺ふもとの民宿まで約60km走って来たと
わざわざ日本まで富士山マラソンや四国遍路にやって来るとは、かなり裕福でないと・・・・・・。
21番太龍寺でお別れの時に、「両班ですね!」と声を掛けると、「いえいえ、じゃぁまた!」と走り去って行った(じゃぁまたと言われても、そのころ一日25kmくらいしか歩かない私が、60km走る彼に二度と会うはずもなかったが)。
26番金剛頂寺の上りで出会った台湾の女性(本堂では床にひざまずいてお祈りしていた)、彼女は一日平均30km以上歩いているので、次の27番神峯寺で手を振って出会ったのが最後。
もう一人、36番青龍寺から46番浄瑠璃寺まで、何度か出会ったチャーミングな台湾ガール、札所に着いてもグルリと見物するだけ。
彼女曰く「お詣りに来たのではなく、お遍路のルートに従ってノープランで四国を観光している、今治ではサイクリングが楽しみだ」とあっけらかんと。
また途中で出会った、台湾の若い僧侶について「台湾の僧侶は、肉も魚も食べれない、結婚もできない」と彼女は言っていた。
高知県久礼の旅館で同宿だったオランダ人「牛はゲップで、地球のCO2排出の大きな原因になっているから食べない!」と。
同宿者の「じゃぁ牛乳も飲まないの?」の問いに、「牛乳はカルシュウム」だとなんたる使い分け
他に、「ベジタリアンだから、宿の食事は要らない!」という人、途中から歩きを止めて交通機関を使う人など、お国柄なのかなかなか面白かった。
(久万高原の三坂峠から、46番浄瑠璃寺での遍路道《土佐街道》)
47番今治市の栄福寺から88番大窪寺まで、10月24日の愛犬ぷりんの命日の結願を目指す秋の遍路、どんな方々と出会えるかと楽しみにしている。
バスやマイカーの方々はほとんど日本の方だが、歩きに関しては外国の方の割合はずいぶん多かった。
イタリア、オーストラリア、オランダ、フランス、アメリカ、台湾、韓国と・・・・。
(42番仏木寺から43番明石寺への遍路道、歯長峠を登るオランダからの女性)
8番熊谷寺から15番国分寺まで、付かず離れず歩いた1948年生まれのイタリア人は、しきりに《般若心経》を一緒に唱えさせてくれと、英語版のガイドがあっても節回しが難しかったのだろう・・・・。
12番焼山寺から16番観音寺まで、抜きつ抜かれつした大柄のオーストラリア人は、日本語が堪能で先のイタリア人との通訳もしてくれた。
韓国の人は、富士山のマラソンにも挑戦したという方で、20番鶴林寺ふもとの民宿まで約60km走って来たと
わざわざ日本まで富士山マラソンや四国遍路にやって来るとは、かなり裕福でないと・・・・・・。
21番太龍寺でお別れの時に、「両班ですね!」と声を掛けると、「いえいえ、じゃぁまた!」と走り去って行った(じゃぁまたと言われても、そのころ一日25kmくらいしか歩かない私が、60km走る彼に二度と会うはずもなかったが)。
26番金剛頂寺の上りで出会った台湾の女性(本堂では床にひざまずいてお祈りしていた)、彼女は一日平均30km以上歩いているので、次の27番神峯寺で手を振って出会ったのが最後。
もう一人、36番青龍寺から46番浄瑠璃寺まで、何度か出会ったチャーミングな台湾ガール、札所に着いてもグルリと見物するだけ。
彼女曰く「お詣りに来たのではなく、お遍路のルートに従ってノープランで四国を観光している、今治ではサイクリングが楽しみだ」とあっけらかんと。
また途中で出会った、台湾の若い僧侶について「台湾の僧侶は、肉も魚も食べれない、結婚もできない」と彼女は言っていた。
高知県久礼の旅館で同宿だったオランダ人「牛はゲップで、地球のCO2排出の大きな原因になっているから食べない!」と。
同宿者の「じゃぁ牛乳も飲まないの?」の問いに、「牛乳はカルシュウム」だとなんたる使い分け
他に、「ベジタリアンだから、宿の食事は要らない!」という人、途中から歩きを止めて交通機関を使う人など、お国柄なのかなかなか面白かった。
(久万高原の三坂峠から、46番浄瑠璃寺での遍路道《土佐街道》)
47番今治市の栄福寺から88番大窪寺まで、10月24日の愛犬ぷりんの命日の結願を目指す秋の遍路、どんな方々と出会えるかと楽しみにしている。
PR
歩き遍路二日目にして、足はこの通り・・・・。
爪ははがれそうになり、肉刺(マメ)も出来てしまった。
三日目は、歩き遍路中最大のヤマ場、12番焼山寺への《遍路ころがし》,
この足で大丈夫かな・・・・・と弱気になる。
11番藤井寺ちかくの宿の親父さん、「遍路ころがしの途中、二ヶ所ほど車道と交差するから、ダメだったらタクシーに電話を」との言葉と、大阪からの歩き遍路の方の「靴を履いて、しっかりかかとをくっつけて、靴紐をきつくきつく結んで、指先に負担がかからないように」とのアドバイスを受け、遍路ころがしに挑んだお蔭で、あまり痛みを感じないまま、5時間で焼山寺に到達
四日目に予約した徳島市の宿のおかみさん「大抵の人が、12番の焼山寺さんから降りて、足を痛めて徳島駅から帰るから、キャンセルは遠慮なく」と。
と、このように多くの歩き遍路初心者は、12番焼山寺でリタイアするらしい。
22番薬王寺から室戸岬にある24番最御崎寺、遍路中二番目に長い85kmくらいを歩き切ったら、ほとんどの人が結願まで行けると言われている。
(この標識の数字が、だんだんと減って行くのが楽しみだった)
歩き遍路のベテランさん何人かに「感覚的に一番キツイ所は?」と聞いてみました。
● 12番焼山寺の遍路ころがし
● 足摺岬の行きと打ち戻り
● 27番神峯寺の真っ縦
● 66番雲辺寺
と意見はバラバラ・・・・・つまり、どこも結構キツいということ。
私は、4月23日に行われた《釣りごろつられごろ》ロケのため、まだ今治市までしか打っていないが、《打ち戻り》と言われる、38番金剛福寺の足摺岬とか、36番青龍寺への宇佐大橋、45番岩屋寺からの同じ道を戻るのは、なんだかしんどい思いをしたのが印象に残っている。
(遍路中、最長37番岩本寺から90km以上歩いて到達した足摺岬)
「迷いやすいのは?」の質問には
● 松山市内
● 高松市内
● 私と同じく徳島市内
松山市内は少し土地勘があるので迷わずに歩きぬけ、42番太山寺で出会ったベテラン遍路さんが「早いですね!」と目を丸くしていた。
爪ははがれそうになり、肉刺(マメ)も出来てしまった。
三日目は、歩き遍路中最大のヤマ場、12番焼山寺への《遍路ころがし》,
この足で大丈夫かな・・・・・と弱気になる。
11番藤井寺ちかくの宿の親父さん、「遍路ころがしの途中、二ヶ所ほど車道と交差するから、ダメだったらタクシーに電話を」との言葉と、大阪からの歩き遍路の方の「靴を履いて、しっかりかかとをくっつけて、靴紐をきつくきつく結んで、指先に負担がかからないように」とのアドバイスを受け、遍路ころがしに挑んだお蔭で、あまり痛みを感じないまま、5時間で焼山寺に到達
四日目に予約した徳島市の宿のおかみさん「大抵の人が、12番の焼山寺さんから降りて、足を痛めて徳島駅から帰るから、キャンセルは遠慮なく」と。
と、このように多くの歩き遍路初心者は、12番焼山寺でリタイアするらしい。
22番薬王寺から室戸岬にある24番最御崎寺、遍路中二番目に長い85kmくらいを歩き切ったら、ほとんどの人が結願まで行けると言われている。
(この標識の数字が、だんだんと減って行くのが楽しみだった)
歩き遍路のベテランさん何人かに「感覚的に一番キツイ所は?」と聞いてみました。
● 12番焼山寺の遍路ころがし
● 足摺岬の行きと打ち戻り
● 27番神峯寺の真っ縦
● 66番雲辺寺
と意見はバラバラ・・・・・つまり、どこも結構キツいということ。
私は、4月23日に行われた《釣りごろつられごろ》ロケのため、まだ今治市までしか打っていないが、《打ち戻り》と言われる、38番金剛福寺の足摺岬とか、36番青龍寺への宇佐大橋、45番岩屋寺からの同じ道を戻るのは、なんだかしんどい思いをしたのが印象に残っている。
(遍路中、最長37番岩本寺から90km以上歩いて到達した足摺岬)
「迷いやすいのは?」の質問には
● 松山市内
● 高松市内
● 私と同じく徳島市内
松山市内は少し土地勘があるので迷わずに歩きぬけ、42番太山寺で出会ったベテラン遍路さんが「早いですね!」と目を丸くしていた。
二日目・三日目・四日目と、抜きつ抜かれつ何人かの歩き遍路の方々と励ましながら歩いた。
三日目の、11番藤井寺から12番焼山寺までの《遍路ころがし》では、一人で歩く日本人女性に、三人連れの外国人女性が頑張っていた。
四日目、焼山寺バス停近くの民宿を出て、すぐ旧遍路道に入り玉ヶ峠越えの道を登ったがこれがキツい
自分的には、気合が入っていた遍路ころがし(三つある上り下り)の一つよりキツいと思った
それでも、オーストラリアの方、二日目に出会ったイタリアの方、そして名古屋・香川・福岡の歩きの人と、小さなライバル心を燃やしながら抜きつ抜かれつで、札所ではちょっぴり談笑したりと。
(鮎喰川に架かる駒坂橋を渡るオーストラリアからのお遍路さん)
五日目、徳島市国府町にある17番井戸寺から18番恩山寺までは、まったく誰とも(歩き遍路)出合わない一人旅が・・・・・。
それに市街地を歩くというのは、まったく味気ない。
前日泊まった宿から恩山寺までは20数kmだが、市街地や徳島南バイパスを延々歩き続ける・・・・。
束の間の安らぎを感じたのは、バイパス沿いに《いはら釣具小松島店》の、ユニークな看板を見た時。
ダイワもマルキューも、一緒にデザインされている
(徳島南バイパス沿いにある、いはら釣具小松島店)
寄ってみたかったが、とにかく歩き遍路中は「一歩も余分に歩きたくない、10㌢も余分に上がりたくない」って気持ちなので、今回は諦めて次回車遍路の時に寄ってみることに。
いよいよ恩山寺近く、中学生に道を尋ねると、よく映画などで探偵がやるように、アゴに指をあてて「う~ん、こちらに行って、突き当りを左に曲がるといいですよ」と。
賢そうな彼のそぶりがほほえましく、少し元気が出てきた
それでも、あまりにも疲れた顔をしていたのか?車で通りかかったご婦人が「お送りしましょうか?」とやさしく話しかけてくださった。
「ありがとうございます、歩き通すと決めていますので」と丁重にお断り。
今治市まで30数日、雨の日も風の日も、山道も海辺も、そして街中も歩き通したが、この徳島市から小松島市を歩いた五日目は、辛い歩き三本の指に入る一日だった・・・・・。
三日目の、11番藤井寺から12番焼山寺までの《遍路ころがし》では、一人で歩く日本人女性に、三人連れの外国人女性が頑張っていた。
四日目、焼山寺バス停近くの民宿を出て、すぐ旧遍路道に入り玉ヶ峠越えの道を登ったがこれがキツい
自分的には、気合が入っていた遍路ころがし(三つある上り下り)の一つよりキツいと思った
それでも、オーストラリアの方、二日目に出会ったイタリアの方、そして名古屋・香川・福岡の歩きの人と、小さなライバル心を燃やしながら抜きつ抜かれつで、札所ではちょっぴり談笑したりと。
(鮎喰川に架かる駒坂橋を渡るオーストラリアからのお遍路さん)
五日目、徳島市国府町にある17番井戸寺から18番恩山寺までは、まったく誰とも(歩き遍路)出合わない一人旅が・・・・・。
それに市街地を歩くというのは、まったく味気ない。
前日泊まった宿から恩山寺までは20数kmだが、市街地や徳島南バイパスを延々歩き続ける・・・・。
束の間の安らぎを感じたのは、バイパス沿いに《いはら釣具小松島店》の、ユニークな看板を見た時。
ダイワもマルキューも、一緒にデザインされている
(徳島南バイパス沿いにある、いはら釣具小松島店)
寄ってみたかったが、とにかく歩き遍路中は「一歩も余分に歩きたくない、10㌢も余分に上がりたくない」って気持ちなので、今回は諦めて次回車遍路の時に寄ってみることに。
いよいよ恩山寺近く、中学生に道を尋ねると、よく映画などで探偵がやるように、アゴに指をあてて「う~ん、こちらに行って、突き当りを左に曲がるといいですよ」と。
賢そうな彼のそぶりがほほえましく、少し元気が出てきた
それでも、あまりにも疲れた顔をしていたのか?車で通りかかったご婦人が「お送りしましょうか?」とやさしく話しかけてくださった。
「ありがとうございます、歩き通すと決めていますので」と丁重にお断り。
今治市まで30数日、雨の日も風の日も、山道も海辺も、そして街中も歩き通したが、この徳島市から小松島市を歩いた五日目は、辛い歩き三本の指に入る一日だった・・・・・。
四国には《沈下橋(徳島では潜水橋と呼ぶ)》が、Googleで見るだけでも下の地図のようにたくさんあります。
歩き遍路の写真には、海辺や菜の花畑を歩く写真、そして沈下橋を渡る写真を見ることがあります。
しかし、四国八十八か所1200km~1300kmの行程の中では、徳島県吉野川に架かる《大野島橋》と《川島潜水橋》と、地図には潜水橋とは載っていない鮎喰川に架かる《駒坂橋》だけしか渡るようになっていません(多分)。
(徳島県の潜水橋)
(高知県の沈下橋)
その沈下橋(潜水橋)、藤井寺へは、お遍路の雑誌では必ず出てくる《川島潜水橋》を渡るのを楽しみに・・・・。
ところが「川島潜水橋は工事中につき、下流に架かる阿波中央大橋に迂回してください」とのこと。
1km近く遠回りな上、味も素っ気もない長い阿波中央大橋を、車の騒音と一緒に渡る羽目に
楽しみは半減・・・・・。
お話しを戻して・・・・・・四国遍路二日目は、6番札所安楽寺から11番藤井寺までの約25kmを歩きました。
8番熊谷寺から、今回で三回目という仙台からの人と同行することになり、歩き遍路初心者の私はいろいろお聞きしたいことがあり大変役に立ちました、Yはらさまありがとうございました。
10番切幡寺では、「般若心経は唱えられるか?」と聞いてきた、全く日本語の出来ないイタリアの方から、ブロークンイングリッシュで「何年生まれか?」と聞かれた。
Yはらさまが「1951年」と答えると「ベイビー!」と言い、私の生まれ年を言うと、力強い握手を求めて来た
自分より年下をベイビーと呼ぶ彼は、1948年生まれとのことで、イタリアから歩き遍路に来られたと
おまけには英語版の遍路本を開いて、私たちと一緒に般若心経を。
彼とは抜きつ抜かれつ、翌日の16番観音寺まで一緒だったが。その後は・・・・・?
翌3月7日、四国遍路最大の難所《遍路ころがし》は、福岡からの「仕事を辞めたから野宿、時には宿利用で」という40歳の人と、名古屋からの40代後半の人となぜか歩調が・・・・。
通常歩き遍路の場合、どうしてもそれぞれ歩くテンポが違うため同行は難しくなる。
また、お互いの身分素性や歩く目的なども違うので、なるべく詮索をしないのが礼儀。
とは言え、日本の人口約一億人のうち、0・00000%?の歩き遍路を目指し、そして同じ2023年3月7日に遍路ころがしを歩くという偶然中の偶然を大切にしたく、彼らと抜きつ抜かれつ《遍路ころがし》に挑みました。
(赤矢印が福岡の彼と、名古屋からの彼・・・登りは置いて行かれてしまった)
登りに入ると足腰は強いが心臓に問題がある私は、二人には置いて行かれてしまう。
がしかし、下りに入ると心臓に負担が掛からないので、二人に「早いですね」と言われて追いつく・・・。
結局、彼らのお陰で12番焼山寺には「速足(健脚5時間・並足6時間・弱脚8時間と言われる)」の部類である5時間で到着。
11番藤井寺近くの宿で同宿だった、60歳定年を迎えたのを機に・・・・と言っていた香川県の方は7時間30分掛かったとのことなので、私は彼らのお陰でずいぶんと早く登れたようだ、ありがたいありがたい。
私は、焼山寺を下りてすぐの民宿に泊まったが、福岡と名古屋の彼らはそれから3時間くらい先の宿とのこと。
福岡の彼とは、翌日13番大日寺、14番常楽寺、15番国分寺で逢ったが、それが最後、名古屋からの彼とはまったく会うことはなかった・・・・・《一期一会》、彼らの無事の結願を祈るのみ。
歩き遍路の写真には、海辺や菜の花畑を歩く写真、そして沈下橋を渡る写真を見ることがあります。
しかし、四国八十八か所1200km~1300kmの行程の中では、徳島県吉野川に架かる《大野島橋》と《川島潜水橋》と、地図には潜水橋とは載っていない鮎喰川に架かる《駒坂橋》だけしか渡るようになっていません(多分)。
(徳島県の潜水橋)
(高知県の沈下橋)
その沈下橋(潜水橋)、藤井寺へは、お遍路の雑誌では必ず出てくる《川島潜水橋》を渡るのを楽しみに・・・・。
ところが「川島潜水橋は工事中につき、下流に架かる阿波中央大橋に迂回してください」とのこと。
1km近く遠回りな上、味も素っ気もない長い阿波中央大橋を、車の騒音と一緒に渡る羽目に
楽しみは半減・・・・・。
お話しを戻して・・・・・・四国遍路二日目は、6番札所安楽寺から11番藤井寺までの約25kmを歩きました。
8番熊谷寺から、今回で三回目という仙台からの人と同行することになり、歩き遍路初心者の私はいろいろお聞きしたいことがあり大変役に立ちました、Yはらさまありがとうございました。
10番切幡寺では、「般若心経は唱えられるか?」と聞いてきた、全く日本語の出来ないイタリアの方から、ブロークンイングリッシュで「何年生まれか?」と聞かれた。
Yはらさまが「1951年」と答えると「ベイビー!」と言い、私の生まれ年を言うと、力強い握手を求めて来た
自分より年下をベイビーと呼ぶ彼は、1948年生まれとのことで、イタリアから歩き遍路に来られたと
おまけには英語版の遍路本を開いて、私たちと一緒に般若心経を。
彼とは抜きつ抜かれつ、翌日の16番観音寺まで一緒だったが。その後は・・・・・?
翌3月7日、四国遍路最大の難所《遍路ころがし》は、福岡からの「仕事を辞めたから野宿、時には宿利用で」という40歳の人と、名古屋からの40代後半の人となぜか歩調が・・・・。
通常歩き遍路の場合、どうしてもそれぞれ歩くテンポが違うため同行は難しくなる。
また、お互いの身分素性や歩く目的なども違うので、なるべく詮索をしないのが礼儀。
とは言え、日本の人口約一億人のうち、0・00000%?の歩き遍路を目指し、そして同じ2023年3月7日に遍路ころがしを歩くという偶然中の偶然を大切にしたく、彼らと抜きつ抜かれつ《遍路ころがし》に挑みました。
(赤矢印が福岡の彼と、名古屋からの彼・・・登りは置いて行かれてしまった)
登りに入ると足腰は強いが心臓に問題がある私は、二人には置いて行かれてしまう。
がしかし、下りに入ると心臓に負担が掛からないので、二人に「早いですね」と言われて追いつく・・・。
結局、彼らのお陰で12番焼山寺には「速足(健脚5時間・並足6時間・弱脚8時間と言われる)」の部類である5時間で到着。
11番藤井寺近くの宿で同宿だった、60歳定年を迎えたのを機に・・・・と言っていた香川県の方は7時間30分掛かったとのことなので、私は彼らのお陰でずいぶんと早く登れたようだ、ありがたいありがたい。
私は、焼山寺を下りてすぐの民宿に泊まったが、福岡と名古屋の彼らはそれから3時間くらい先の宿とのこと。
福岡の彼とは、翌日13番大日寺、14番常楽寺、15番国分寺で逢ったが、それが最後、名古屋からの彼とはまったく会うことはなかった・・・・・《一期一会》、彼らの無事の結願を祈るのみ。
このブログをご覧の皆さまの中で、歩きで《四国遍路》などと無謀な?考えはお持ちでは無いとは思いますが、あれでも・・・・・あれでもですよ・・・・、私のように変わった人がいたら・・・・・との考えから、釣りのブログの合間に歩き遍路について書いてみます。
2023年3月5日、今は亡き愛犬ぷりんの供養のためにと思い立った歩き遍路。
新幹線で岡山?それとも新神戸から・・・・などと色々考えていましたが、ふと思いついたのが「高速バス」。
交通事情などでダイヤの狂いはあるものの、広島を始め各地からの高速バス利用で《四国遍路》一番札所の霊山寺に近い《鳴門西BA(霊山寺まで1・4km)》まで行けると知った。
(出立の日、広島新幹線口まで見送りに来てくれた釣り仲間)
朝8時30分、広島新幹線口からバスに乗車、鳴門西BAには12時06分に到着、ここから歩くのもいいが、これからの1300km前後歩くためには、一歩でも無駄にしたくない私は《坂東タクシー(088-689-1245)》に来てもらい、一番札所霊山寺まで・・・・・・、乗務員さんに写真も撮っていただく
(四国霊場一番札所霊山寺の山門前で)
一番札所霊山寺さんのご本尊は釈迦如来、ご真言は「のうまくさんまんだ ぼだなんばく」。
二番札所極楽寺さんまでは約1・5kmで、ちょうどいい足慣らし。
ご本尊は阿弥陀如来さまで、ご真言は「おん あみりた ていせいからうん」とお唱えする。
三番札所は2・6km先の金泉寺さんで、ご本尊は釈迦如来で、ご真言は「のうまくさんまんだぼだなんばく」。
次の四番札所の大日寺さんまでは、途中から昔ながらの遍路道を往く・・・・・・。
多くの遍路墓(江戸から明治に掛けては、不治の病や故郷に居られなくなった人の多くが遍路に出かけ、途中息を引き取った場所で、その土地土地の方々に葬っていただいた、そのようなお墓がここにも、これからの遍路道にも数えきれないほど多く遺されている)が、後世のお遍路を見守るように並んで建てられている。
やがて大日寺さんには5kmを歩いたころに到着、ご本尊は大日如来で、ご真言は「おん あびらうんけん ばざらだとばん」、それからさらに2km歩いて地蔵菩薩をご本尊とする第五番札所地蔵寺が、大きな銀杏の木と一緒に迎えてくれる。
ご本尊は、寺の名前のとおり地蔵菩薩、ご真言は「おん かかかび さんまえいそわか」。
広島から半日費やしての行程では、この辺りが限界、地蔵寺前の《おんやど森本屋(088-672-3568)》か、少しでも6番に近い《民宿寿食堂(088-694-2024)》に泊まるか・・・・・・。
明日は、6ヶ寺を歩いて翌日の《遍路転がし》に備えなくてはいけない・・・・。
念のために言っておきます、余ほどの事がない限り《歩き遍路》などと考えないほうがいいと思います、確かにしんどいです・・・・・・・・。
ただ、歩き遍路をやった人のなかで、数パーセントの人たちは2度3度と回っているので、何か惹かれるものがあるのかも・・・・・。
2023年3月5日、今は亡き愛犬ぷりんの供養のためにと思い立った歩き遍路。
新幹線で岡山?それとも新神戸から・・・・などと色々考えていましたが、ふと思いついたのが「高速バス」。
交通事情などでダイヤの狂いはあるものの、広島を始め各地からの高速バス利用で《四国遍路》一番札所の霊山寺に近い《鳴門西BA(霊山寺まで1・4km)》まで行けると知った。
(出立の日、広島新幹線口まで見送りに来てくれた釣り仲間)
朝8時30分、広島新幹線口からバスに乗車、鳴門西BAには12時06分に到着、ここから歩くのもいいが、これからの1300km前後歩くためには、一歩でも無駄にしたくない私は《坂東タクシー(088-689-1245)》に来てもらい、一番札所霊山寺まで・・・・・・、乗務員さんに写真も撮っていただく
(四国霊場一番札所霊山寺の山門前で)
一番札所霊山寺さんのご本尊は釈迦如来、ご真言は「のうまくさんまんだ ぼだなんばく」。
二番札所極楽寺さんまでは約1・5kmで、ちょうどいい足慣らし。
ご本尊は阿弥陀如来さまで、ご真言は「おん あみりた ていせいからうん」とお唱えする。
三番札所は2・6km先の金泉寺さんで、ご本尊は釈迦如来で、ご真言は「のうまくさんまんだぼだなんばく」。
次の四番札所の大日寺さんまでは、途中から昔ながらの遍路道を往く・・・・・・。
多くの遍路墓(江戸から明治に掛けては、不治の病や故郷に居られなくなった人の多くが遍路に出かけ、途中息を引き取った場所で、その土地土地の方々に葬っていただいた、そのようなお墓がここにも、これからの遍路道にも数えきれないほど多く遺されている)が、後世のお遍路を見守るように並んで建てられている。
やがて大日寺さんには5kmを歩いたころに到着、ご本尊は大日如来で、ご真言は「おん あびらうんけん ばざらだとばん」、それからさらに2km歩いて地蔵菩薩をご本尊とする第五番札所地蔵寺が、大きな銀杏の木と一緒に迎えてくれる。
ご本尊は、寺の名前のとおり地蔵菩薩、ご真言は「おん かかかび さんまえいそわか」。
広島から半日費やしての行程では、この辺りが限界、地蔵寺前の《おんやど森本屋(088-672-3568)》か、少しでも6番に近い《民宿寿食堂(088-694-2024)》に泊まるか・・・・・・。
明日は、6ヶ寺を歩いて翌日の《遍路転がし》に備えなくてはいけない・・・・。
念のために言っておきます、余ほどの事がない限り《歩き遍路》などと考えないほうがいいと思います、確かにしんどいです・・・・・・・・。
ただ、歩き遍路をやった人のなかで、数パーセントの人たちは2度3度と回っているので、何か惹かれるものがあるのかも・・・・・。