今回、釣行したのは隠岐島でも【島前】と言われる西の島。
フェリーや高速船レインボーの着く別府港に下りて右手には、後醍醐天皇が流されたおりの【黒木御所】跡が見える。
20年ちかく前、初上陸したおりには黒木御所跡にも行ってみたが、10数年前のダイワ精工のテレビ番組『ザ・フィッシング』ロケの時と、今回は釣りが主なので歴史探訪は無し。
(西の島の観光地図)
今回は別府港に下りて、左に走り美田湾での釣りになった。
同行のクラブ員は3ヶ所釣り場を代えて頑張っていた。私が車を独占していたので、彼の移動には松江のクラブの会長さんには大変お世話になった。
帰り、フェリーを待っていると有線放送で、高速船レインボーの欠航が放送されていた。
そう言えば、一回目の時は帰る日に、隠岐汽船の船舶全便欠航の放送があり、あわてて公衆電話を探し、会社と家に一日帰りが遅くなることを伝えたことがある。
『ザ・フィッシング』のロケの時は、帰る前日高速船レインボーの欠航と、フェリーが来居港には寄港できない旨の放送があり、翌日帰れるのかやきもきした思い出がある。
鹿児島県の甑島でも台風接近で、同じような目にあったことがある。
島に遠征のおりは、それらの覚悟が必要だ・・・。
帰りは、結構揺れたものの定刻どおり境港に到着。
(鬼太郎フェリーの別名のある、フェリーしらしま)
フェリーや高速船レインボーの着く別府港に下りて右手には、後醍醐天皇が流されたおりの【黒木御所】跡が見える。
20年ちかく前、初上陸したおりには黒木御所跡にも行ってみたが、10数年前のダイワ精工のテレビ番組『ザ・フィッシング』ロケの時と、今回は釣りが主なので歴史探訪は無し。
(西の島の観光地図)
今回は別府港に下りて、左に走り美田湾での釣りになった。
同行のクラブ員は3ヶ所釣り場を代えて頑張っていた。私が車を独占していたので、彼の移動には松江のクラブの会長さんには大変お世話になった。
帰り、フェリーを待っていると有線放送で、高速船レインボーの欠航が放送されていた。
そう言えば、一回目の時は帰る日に、隠岐汽船の船舶全便欠航の放送があり、あわてて公衆電話を探し、会社と家に一日帰りが遅くなることを伝えたことがある。
『ザ・フィッシング』のロケの時は、帰る前日高速船レインボーの欠航と、フェリーが来居港には寄港できない旨の放送があり、翌日帰れるのかやきもきした思い出がある。
鹿児島県の甑島でも台風接近で、同じような目にあったことがある。
島に遠征のおりは、それらの覚悟が必要だ・・・。
帰りは、結構揺れたものの定刻どおり境港に到着。
(鬼太郎フェリーの別名のある、フェリーしらしま)
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昨日早朝の3時過ぎに起き、4時20分家を出る。
同行者と二人、広島インターから三次インター→国道54号線を北上。
三刀屋インターから山陰道経由で松江へ・・・・。
矢田インターを下りたところで、道案内のため松江在住の友人にご足労いただいた。
牡丹と朝鮮人参で名高い大根島を通り、鳥取県の境港市へ。ここに帰りのため、車を一台置きそのまま島根半島の七類港へ。
七類港でもう一方と合流し、4人の釣行が始まる。
隠岐汽船のフェリーに乗り込む。
西の島の別府港に着き、車2台で美田湾へ。ここでびっくり!美田湾の湾口をまたぐように「西の島大橋」が架かっている。私が知らなかったのも無理はない、この橋は3年くらい前に完成したらしい。
この橋の下で少し前、80㌢オーバーのマダイが釣れたとのことで、すでに二人の先客が。
私は車の側で、なおかつ足下の良い場所で竿を出す。
第一の目的の『隠岐誉』のお酒は買った、これであとはおさかなさんを待つばかり・・・・。
夕暮れまでに釣れたのはキスの23㌢のみ・・・・。
穂先ライトを装着して釣り始めるが、ライトを見つめているとだんだん眠くなってくる・・・・。
結局、21時30分にガマンできなくなり寝袋に潜り込んでしまった。
珍しく早朝4時に起きて釣り始めるが、チャリコ25~27㌢が2匹と惨敗!
寝ずに頑張った同行者は全日本サーフでいうところの、Cランク一枚とAランク後半のマダイを計2枚釣っていた。釣れたのは、夜中の12時過ぎということで、私には権利のないおさかなさんでした。
夜きらい・歩くのきらい・雨きらい・風きらいの私にとって今回は、歩くのが無かったくらいで、早朝の強い雨や吹き付ける風は車の中に避難していました。
17時間の釣りのうち、6時間半も寝ていてはマダイもそっぽを向いてしまったのかも・・・。
同行者と二人、広島インターから三次インター→国道54号線を北上。
三刀屋インターから山陰道経由で松江へ・・・・。
矢田インターを下りたところで、道案内のため松江在住の友人にご足労いただいた。
牡丹と朝鮮人参で名高い大根島を通り、鳥取県の境港市へ。ここに帰りのため、車を一台置きそのまま島根半島の七類港へ。
七類港でもう一方と合流し、4人の釣行が始まる。
隠岐汽船のフェリーに乗り込む。
西の島の別府港に着き、車2台で美田湾へ。ここでびっくり!美田湾の湾口をまたぐように「西の島大橋」が架かっている。私が知らなかったのも無理はない、この橋は3年くらい前に完成したらしい。
この橋の下で少し前、80㌢オーバーのマダイが釣れたとのことで、すでに二人の先客が。
私は車の側で、なおかつ足下の良い場所で竿を出す。
第一の目的の『隠岐誉』のお酒は買った、これであとはおさかなさんを待つばかり・・・・。
夕暮れまでに釣れたのはキスの23㌢のみ・・・・。
穂先ライトを装着して釣り始めるが、ライトを見つめているとだんだん眠くなってくる・・・・。
結局、21時30分にガマンできなくなり寝袋に潜り込んでしまった。
珍しく早朝4時に起きて釣り始めるが、チャリコ25~27㌢が2匹と惨敗!
寝ずに頑張った同行者は全日本サーフでいうところの、Cランク一枚とAランク後半のマダイを計2枚釣っていた。釣れたのは、夜中の12時過ぎということで、私には権利のないおさかなさんでした。
夜きらい・歩くのきらい・雨きらい・風きらいの私にとって今回は、歩くのが無かったくらいで、早朝の強い雨や吹き付ける風は車の中に避難していました。
17時間の釣りのうち、6時間半も寝ていてはマダイもそっぽを向いてしまったのかも・・・。
家のすぐそばの側溝に、この暑さの中けなげにユリの花がさいている。
このユリの花は『高砂ゆり』というユリ。
台湾原産のユリだが、繁殖力旺盛なのかこの時期あちこちで見かける。
五島列島のとある島で、新しく作られた道路の切り通しの、のり面におびただしい数咲いていたのが印象深い。
(高砂ゆりの花)
日本の鉄砲ユリとよく似ているが、鉄砲ユリは春咲きなのに対して、この高砂ゆりは夏に咲くことで区別できる。
他には、葉っぱが鉄砲ゆりに比べ細く、花も細長い。
五島では尺ギスの他にも、多くの人情も得ることができた。
中通島の小浜の波止では、3人が四苦八苦してキスを釣っているところに、自転車で乗り付けた中学生が、手掘りの細いイシゴカイを付け、アンダースローで投げたその一投目に31㌢の尺ギスが釣れ、無造作にバケツに投げ入れたそのキスを、3人でうらやましく眺めたこともある。
有福島というところでは、行くたびに全日本サーフの大物ランクのキスが釣れていたが、ある年にはさっぱりで小さなオキエソばかり・・・。
腑に落ちない表情をしていた私達に、通りかかった人が「ここは高校生が小遣い稼ぎにキス網を入れていたから、もうキスはいないだろう」と言ってくれた。小さな港内なので、良い時期に網を入れたら、それこそ文字通り一網打尽間違いなし・・・・、それからは足を踏み入れたことはなかった。
上五島での宿は、若松島の神部にある『えび屋』と決めていた。
頼めば、おいしい伊勢エビ料理に、翌朝は伊勢エビ入りの味噌汁をふるまってくれる。
Tel 0959-46-3120
釣具とおみやげは、有川港の前田釣具店
Tel 0959-42-1600
上五島の教会
(左上 青砂ヶ浦天主堂 右上 中の浦天主堂 左下 土井の浦天主堂
右下 頭ヶ島天主堂)
このユリの花は『高砂ゆり』というユリ。
台湾原産のユリだが、繁殖力旺盛なのかこの時期あちこちで見かける。
五島列島のとある島で、新しく作られた道路の切り通しの、のり面におびただしい数咲いていたのが印象深い。
(高砂ゆりの花)
日本の鉄砲ユリとよく似ているが、鉄砲ユリは春咲きなのに対して、この高砂ゆりは夏に咲くことで区別できる。
他には、葉っぱが鉄砲ゆりに比べ細く、花も細長い。
五島では尺ギスの他にも、多くの人情も得ることができた。
中通島の小浜の波止では、3人が四苦八苦してキスを釣っているところに、自転車で乗り付けた中学生が、手掘りの細いイシゴカイを付け、アンダースローで投げたその一投目に31㌢の尺ギスが釣れ、無造作にバケツに投げ入れたそのキスを、3人でうらやましく眺めたこともある。
有福島というところでは、行くたびに全日本サーフの大物ランクのキスが釣れていたが、ある年にはさっぱりで小さなオキエソばかり・・・。
腑に落ちない表情をしていた私達に、通りかかった人が「ここは高校生が小遣い稼ぎにキス網を入れていたから、もうキスはいないだろう」と言ってくれた。小さな港内なので、良い時期に網を入れたら、それこそ文字通り一網打尽間違いなし・・・・、それからは足を踏み入れたことはなかった。
上五島での宿は、若松島の神部にある『えび屋』と決めていた。
頼めば、おいしい伊勢エビ料理に、翌朝は伊勢エビ入りの味噌汁をふるまってくれる。
Tel 0959-46-3120
釣具とおみやげは、有川港の前田釣具店
Tel 0959-42-1600
上五島の教会
(左上 青砂ヶ浦天主堂 右上 中の浦天主堂 左下 土井の浦天主堂
右下 頭ヶ島天主堂)
猛暑の中、庭に植えた鹿の子百合が咲き始めた。
この鹿の子百合は、下甑島の長浜の民宿でいただいたもの、かれこれ20年以上も毎年我が家で開花している。
(甑島の鹿の子百合、かってはいくらでも生えているこの百合の根を輸出して収入を得ていたとのこと)
(甑島と言えば、テレホンカードにまで鹿の子百合が出ている)
甑島へは前後3回しか行ったことがないが、いろいろと思い出はたくさんある。
私が狙うのはもっぱらシロギスばかりだが、コトヒキやチヌなど結構大物もいる。
キス釣り場としては、上甑島は里港の裏側、中甑港、小島湾などがある。
ずいぶん昔、ある雑誌で「巨チヌの島」と紹介され、70㌢のチヌがいると書かれていた桑の浦は磯ベラばかりでシロギスには不向き。
実績は里が一番だが、小島湾も隅から隅まで探れば面白いと思う。
中甑港はキスより他魚が多く望める場所。
中甑島の平港、ここの民宿のおかみが「秋には港の中で40㌢のキスが釣れる」と言っていたが・・・・。慣れない人が見ると大きく見えるのだが、尺くらいはいるのではないかと思う。
下甑島には小牟田や青瀬、手打、長浜と甑島のなかでは砂浜が多いが、尺狙いとなるとやはり長浜港など港内がねらい目になるでしょう。
久々にゆっくり釣り歩いてみたいと思うのだが、やはり串木野までは遠いですね・・・。
(2度目の甑島釣行時のスナップ、後方の島影が甑島です)
この鹿の子百合は、下甑島の長浜の民宿でいただいたもの、かれこれ20年以上も毎年我が家で開花している。
(甑島の鹿の子百合、かってはいくらでも生えているこの百合の根を輸出して収入を得ていたとのこと)
(甑島と言えば、テレホンカードにまで鹿の子百合が出ている)
甑島へは前後3回しか行ったことがないが、いろいろと思い出はたくさんある。
私が狙うのはもっぱらシロギスばかりだが、コトヒキやチヌなど結構大物もいる。
キス釣り場としては、上甑島は里港の裏側、中甑港、小島湾などがある。
ずいぶん昔、ある雑誌で「巨チヌの島」と紹介され、70㌢のチヌがいると書かれていた桑の浦は磯ベラばかりでシロギスには不向き。
実績は里が一番だが、小島湾も隅から隅まで探れば面白いと思う。
中甑港はキスより他魚が多く望める場所。
中甑島の平港、ここの民宿のおかみが「秋には港の中で40㌢のキスが釣れる」と言っていたが・・・・。慣れない人が見ると大きく見えるのだが、尺くらいはいるのではないかと思う。
下甑島には小牟田や青瀬、手打、長浜と甑島のなかでは砂浜が多いが、尺狙いとなるとやはり長浜港など港内がねらい目になるでしょう。
久々にゆっくり釣り歩いてみたいと思うのだが、やはり串木野までは遠いですね・・・。
(2度目の甑島釣行時のスナップ、後方の島影が甑島です)
みなさんも、いろいろと「あの時は!」と後悔していることがあると思います。
私の最大のミスは、ある年のこと恒例の五島列島釣行の折・・・。
鯛之浦という場所で引き釣り、長年の経験で30㌢オーバーの尺ギスのアタリと確信!!
すかさず竿先を充分に送り込み、してやったりと次のアタリを待つ。
しかし、待てど暮らせど次のググイィー!が無い・・・・。
絶対に違和感を持たせず送り込んだ筈??
あきらめて仕掛けを巻き上げて、ハリ先を確認してみるとなんと針先が甘くなっている。
それまでの場所で引き釣りを重ね、そのままハリ先をチェックせずにキャストし、尺ギスのアタリを逃したわけ。
それまでも、そのあとも幾度となく尺ギスと出合って、釣ったり逃げられたりしてきたが、一番悔しく印象に残っているのがその時のこと。
その日のメッキ針は例外だったとは思うのだが、その日から数年はメッキ針を使うのには抵抗があった。
つまり、度々の引き釣りによりメッキ部分が摩耗すれば、当然ハリ先は甘くなると考えられるから。
私が茶焼きや黒が好きなのは、その時から続いているようだ・・。
今では、メッキ針を使う場合、特にハリ先には気を付けている。
そう言えば、あるマダイ釣り名人は針先を大事にすると言って、一本々仕掛けのハリをアルミホイルで包んでいるし、キャストするばあいも仕掛けを絶対に地面に置かないと言っている。少し、地面に掛かっただけでハリ先が甘くなり、狙った魚に逃げられる・・ということのないように。
(その当時、五島列島の中通島の高井旅の近く、福見カトリック教会の前で)
(1997年ダイワ精工 総合カタログ 212ページ)
(1998年ダイワ精工 総合カタログ 204ページ)
この年と翌年は表紙に人気絶頂の反町隆史が登場。
彼のポスターは大人気でひっぱりだこでした。私も東京のダイワ精工本社から、後生大事にポスター2枚を広島まで持ち帰りました。いまでも一枚は『宝物庫(がらくた置き場)』の壁に掛かっています。
みなさんご存じでしたか?この年までは、リールよりロッドが先に掲載されていましたが、この年から現在のように、ロッドよりリールが先に掲載され始めました。
(1999年ダイワ精工 総合カタログ 212ページ)
この年も、ご覧のように反町隆史が表紙を飾っています。
みなさん、お気づきになられましたか?
最初は、写真も掲載することが出来ず、文章ばかりのブログでしたが、最近はウデを上げました(えっへん!)
写真は載せられるようになったし、それも鮮明に・・・・。
これも、このホームページを作ってくれた管理人、そして数年前までえにみやサーフのジュニア会員だったJ也くん、それにブログ界の先輩のSSMさんのお陰です。
3人の方、ありがとうございます、これからもよろしく・・・。
以前、写真なしだったブログも思い出したように写真を入れていますので、2月~3月、そして4月と振り返って見て下さい。
私の最大のミスは、ある年のこと恒例の五島列島釣行の折・・・。
鯛之浦という場所で引き釣り、長年の経験で30㌢オーバーの尺ギスのアタリと確信!!
すかさず竿先を充分に送り込み、してやったりと次のアタリを待つ。
しかし、待てど暮らせど次のググイィー!が無い・・・・。
絶対に違和感を持たせず送り込んだ筈??
あきらめて仕掛けを巻き上げて、ハリ先を確認してみるとなんと針先が甘くなっている。
それまでの場所で引き釣りを重ね、そのままハリ先をチェックせずにキャストし、尺ギスのアタリを逃したわけ。
それまでも、そのあとも幾度となく尺ギスと出合って、釣ったり逃げられたりしてきたが、一番悔しく印象に残っているのがその時のこと。
その日のメッキ針は例外だったとは思うのだが、その日から数年はメッキ針を使うのには抵抗があった。
つまり、度々の引き釣りによりメッキ部分が摩耗すれば、当然ハリ先は甘くなると考えられるから。
私が茶焼きや黒が好きなのは、その時から続いているようだ・・。
今では、メッキ針を使う場合、特にハリ先には気を付けている。
そう言えば、あるマダイ釣り名人は針先を大事にすると言って、一本々仕掛けのハリをアルミホイルで包んでいるし、キャストするばあいも仕掛けを絶対に地面に置かないと言っている。少し、地面に掛かっただけでハリ先が甘くなり、狙った魚に逃げられる・・ということのないように。
(その当時、五島列島の中通島の高井旅の近く、福見カトリック教会の前で)
(1997年ダイワ精工 総合カタログ 212ページ)
(1998年ダイワ精工 総合カタログ 204ページ)
この年と翌年は表紙に人気絶頂の反町隆史が登場。
彼のポスターは大人気でひっぱりだこでした。私も東京のダイワ精工本社から、後生大事にポスター2枚を広島まで持ち帰りました。いまでも一枚は『宝物庫(がらくた置き場)』の壁に掛かっています。
みなさんご存じでしたか?この年までは、リールよりロッドが先に掲載されていましたが、この年から現在のように、ロッドよりリールが先に掲載され始めました。
(1999年ダイワ精工 総合カタログ 212ページ)
この年も、ご覧のように反町隆史が表紙を飾っています。
みなさん、お気づきになられましたか?
最初は、写真も掲載することが出来ず、文章ばかりのブログでしたが、最近はウデを上げました(えっへん!)
写真は載せられるようになったし、それも鮮明に・・・・。
これも、このホームページを作ってくれた管理人、そして数年前までえにみやサーフのジュニア会員だったJ也くん、それにブログ界の先輩のSSMさんのお陰です。
3人の方、ありがとうございます、これからもよろしく・・・。
以前、写真なしだったブログも思い出したように写真を入れていますので、2月~3月、そして4月と振り返って見て下さい。