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臨時版
 昨日は渓流釣りの解禁日、お決まりのように出かけた。
 場所は家内の生まれ故郷の芸北町(現在の北広島町)。



 渓流釣りにはまったのは今から37年前、浜田のキス釣りからの帰りに、義母から「クマに気をつけんと」の言葉に、ビクビクしながら竿を出し釣り上げた渓魚一匹、勇んで持ち帰ると義母から「そりゃぁドロ(アブラハヤ)だぁや」と言われ赤面したものである。
 それからと言うものは、解禁日には必ず会社を休み渓流に出かけた。
 渓流釣りにはまった理由をふと考えてみると、どうも投げ釣りは入会してすぐにクラブ役員など歴任し仕事のようなイメージが伴う。しかし渓流釣りは一人で出かけるし、プライベートの釣りのようなイメージがあるようだ。ただ、これもプライベート風とは言いながら、何度かフィッシングという雑誌などに寄稿していたのだが・・。
 当然、趣味を同じくする鴨谷師とは何度か、3月解禁の岡山の新庄村や奥津に渓流釣りに出かけていた。その折り、定宿にしていた美甘村のしげや旅館で聞いた言葉「イクラにウイスキーを掛けるといいんだよ」は今でも覚えている。また、かじかんだ手でも簡単に結べる、とっくり結びも教えていただいた。
 広島の解禁日にも何度かお供をした。その頃、私と同行していた当時高校生の私の長女が、アマゴを20匹くらい釣り上げるのを見て「西のあまごちゃん(天野礼子)だ」と誉めて下さったのも懐かしい。
 鴨谷師は淵を釣るのがとても上手な方で、三段峡の奥も奥、田代集落跡の奥の淵で、まるであまごを淵から引き出すかのような釣りっぷりは今でも深く印象に残っている。
 鴨谷師が内水面の委員をされているときは、4月解禁をゆずらなかったそうだ。いつもその理由を聞かされていたが、このことがはっきり記載されている書物が手元にある。1987年4月25日、筑摩書房から発行された『山女魚百態』がそれである。開高健、山本素石氏など、我が国の渓流釣り師として名高い方々の19話の話が掲載されている。そのなかの「山峡と渓魚への愛着」という鴨谷師の文中に、『私自身も、四月と三月解禁の是非についての反省と観察を含め、ここ数年、岡山県の新庄川や奥津川の三月一日の解禁に行っているが、先ず膝まで没する雪。当然真っ黒にサビのついたアマゴが想像されるが、良い型ほどサビがない。と言うことは、養殖アマゴがつい最近放流されたという証拠。それに釣れる場所が一定していて、これも最近放流したため上下流に拡散する間がなかったことを裏付していた。だから、アマゴをいくらたくさん釣っても、ただそれだけのことで、さしたる感激は湧いては来なかった』と書かれている。
 私も四月解禁が自然だと思う。
 気に沿わなければ無理して三月に行かなくても、四月になって行けばいいようなものだが・・・。



  
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2008/03/02 21:20 | 未選択

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