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愛媛県での三日間。

 クラブのN代表の車で、土曜日の朝6時45分に出発。
クラブからの同行者、TさんとOさんと合流して広島港から石崎汽船のフェリーで松山観光港へ。

 途中でエサを買い、午後3時からの竿出し・・・・・・ということで、急ぐこともないかとわいわいがやがやゆったりと西予市三瓶町の有網代へ。
 ところがなんとぉ~、メジャーでもない釣り場なのにもう先客あり(大会のルールで、三脚を出しての場所取りはOK)。

 がっかりするとともに、この釣り場しか眼中になかったので、シンカーなどもここ仕様。
この釣り場に先客とは「解せん?」と思ったが、あとで分かったのは元同じクラブのメンバーだったようで、つまり情報が廻りまわっていたということ。

 次なる釣り場を探して走り回ったが、やる気満々のTさんは、雨の中けもの道を海岸へと降りて行ったので、残った3人で釣れる場所を探すが、雨は降りやまないので釣り場の第一条件は「車の側」

 やっと見つけた所で竿を出す。
30分もしないうち、同行のOさんが竿を曲げている。
釣り上げたのはイトヨリの31㌢!かなり水深があるのだろう。



  私は以前平戸島で何匹か釣ったことがあるが、すべてランクに足りないサイズばかり、うらやましい・・・・・・・・。
 今度、イトヨリだけに狙いを絞って釣行してみようかな?

 レインウェアを着こんで釣りはじめるが、キスとキュウセンベラの22㌢前後が3匹だけ。
雨中の釣りは慣れないので、暗くなる前の6時30分にギブアップ。

 翌朝、小ぶりの雨の中、今度は有太刀という場所で釣りはじめる。



 愛媛に通い始めた1970年半ばには、大ギスのアタリを十分楽しませてもらった水産会社だが、イケスが沖合いに出たせいなのかキスの姿はさっぱり・・・・・・。

 

(右手に見える水産会社から、夏は大ギス、冬はカレイの入れ食いと楽しめた場所ですが)



 ここでは上の写真のイラと、イソベラとインディアン(トラハゼ)だけ。



(イソヒヨドリがずっと、5m位のところで鳴き続ける)

 11時からの審査のため、早めに納竿して松山市へ。

 審査会場ではもりだくさんの企画やバザーで、遠来の参加者をもてなしている。
東京協会、大阪協会、兵庫協会、広島協会、山口協会、島根協会、北九州協会、大分協会、徳島協会、高知協会、香川協会とあちこちの協会からの参加者とご挨拶。



 アトラクションの一つ、『全日本ヒブナ釣り選手権大会』の選手として出場したが、開始早々オマツリで、結局2匹で予選敗退・・・・・・・。
 
 参加者全員対象の《ラッキー賞》では、私は連盟の45周年記念パーティーとまったく同じ、shimanoのキャップが当たったが、今回も丁重に辞退させていただく(^_^;)

 大会終了後、先に広島に帰るTさんとOさんを松山観光港に送り、当日の宿松山市勝山町のネストホテルへ。

 18時からは、いつもこのブログで書いている、ネストホテル一階の《葉月》さんでの後夜祭!
興居島の海に2年間浸けておいた焼酎の銘柄当てクイズや、ビール5種類の銘柄当てなど企画はもりだくさん。
 和気あいあいの内に楽しい時間が過ぎ、前日は車中なのであまり睡眠がとれなかった身体はベットへゴー!!!!!
 そしてグー!!!!!!

 翌日の9時半のフェリーで、現実の街広島へと帰りました・・・・・・・・。


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我々投げ釣りでもおなじみのヒラメ、マゴチのルアー釣りなどもりだくさんの内容。













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2016/06/07 15:41 | 遠征のお話・思い出
開聞岳とひまわり。

 8月1日、下甑島長浜港を出港。



 ここ長浜港でも、里港同様横断幕を持って見送ってくれています。

 長浜港を10時30分に出航した高速船《甑島》は、川内港に11時40分の到着です。
11時50分、川内駅行きのシャトルバス、川内駅へは12時09分着。
夕方、薩摩川内市在住でいつもお世話になっている方と一杯飲むお約束だが、18時過ぎまでどうやって時間をつぶそうか・・・・・・・?

 高城温泉に行きたいけど、夕方までに川内駅に帰るには、休日ダイヤだと川内駅11時59分しかない。
 このシャトルバスは川内駅には12時15分着なのでとても間に合わない・・・・・・。

 松本清張の「点と線」ばりに思いを巡らせたその時、ふと閃いたのは上川内バス停での通過時間!!!
シャトルバス通過時刻表は12時05分上川内、リュックから出して調べた高城温泉行きの循環バスは12時17分!!!!!!
 晴れて再び川内高城温泉へ。

 実はどうしても高城温泉に心残りなことがあったのです。
厚かましくもお願いしていただいた《白い鹿の子ゆり》、石原商店のおばあちゃんに何かお礼をしたいもの・・・・・と。
そんな折、下甑の民宿《道》さんで、甑島の海苔の佃煮を2瓶いただいていたので、それを1つお礼に持って行くことができたのです。

「あんたは律儀じゃねぇ(広島弁に翻訳)」とおばあちゃん。
5年前に亡くなったご主人のご遺影をレジの横に祀り、お赤飯と栄養ドリンクがお供えしてある。
 ひとしきりご主人のお話や、甑島のお話をしたあと竹屋旅館の内湯へざんぶり(・。・;

 二度ほど温泉に浸かったあと、竹屋のおかみさんのお見送りを受け、15時57分発の循環バスで川内駅へ。

 夕方は、いつも大変にお世話になっている薩摩川内市の方と、二人ともジョッキ2杯くらいしか飲めない「ふたり飲み会」を。


 さてさて、鹿児島最終日の8月2日、JR駅レンタカーは乗車券を見せるだけで、9時~18時まで5000円でフィットクラスが借りられる。

 南九州道西廻り道路で鹿児島市へ。



(鹿児島市内は、ちょこっと桜島を見ただけで、指宿方面へと南下)



(昨年は大雨で、外観写真が撮れなかった鰻温泉

 駐車場に車を停めて受付へ・・・・・・・・、ありゃりゃ!!!!!!!



(なんと、日曜日なのに臨時休業!!!!!がっかり・・・・・・・・)

 気を取り直し、今回の目的「鹿の子ゆり」「南さつま市の元同僚のお参り」とあと一つ「開聞岳」へ・・・・・・・・・。

  念願叶って開聞岳の全容が!おまけにはひまわりまでがすそ野を彩ってくれていました。



(これまで3年連続、山頂や中腹から雲に覆われ、全容を見たことのなかった開聞岳)












(日本最南端の駅 西大山駅から眺める開聞岳)

 ついつい嬉しくて、開聞岳の写真ばかりたっぷりと・・・・・。



 開聞岳の麓にある枚聞神社にお参りしたあと、枕崎市経由で南さつま市の元同僚のお参りに寄せていただきました。

 本当は、南さつま市の加世田にある《竹田神社》にお参りし、島津日新公の「薩摩いろは歌」の石碑をゆっくり見たかったのですが、ちょっとしたミスとトラブルで2時間のロスタイムがあり、大慌てで川内駅でレンタカーを返し、17時17分の新幹線さくらで無事広島に帰着しました。

 愛犬ぷりんはふてくされることなく、6日間放浪してきたお父さんを迎えてくれました。





 南さつま市の方から《原酒 三岳》いただいたのと、薩摩川内市を走り回ったらあちこちで看板を目にした《蔵の神》を、川内駅で購入してみました。

 普通の三岳は何度か飲んだことがありますが、原酒 三岳は生まれて初めて飲みました、とろりとコクのあるおいしい焼酎です。

 わが家の鹿の子ゆりは開花し、甘い香りで迎えてくれましたが、5個のうち2つに虫が・・・・・・と思っていましたが、4つも虫が入っていました(右奥の花も虫が食って変形しています)。











2015/08/09 19:25 | 遠征のお話・思い出
MBCテレビで甑島が紹介されます。
そう言えば、7月30日に川内港行きのシャトルバスを待っていると、5~6人のテレビクルーが撮影中でした。



 川内港からの高速船《甑島》に乗ると、その人たちも乗船していました。



 里港に着いて、宿の車をお借りして廻った長目の浜、中甑島の平良、そして下甑島への架橋現場が見られる中甑島の鳥の平展望所?・・・・・だったかでも、そのテレビクルーとほぼ同じ時間でした。



 翌31日、下甑島長浜に渡るため里港にいるときに、その番組のレポーターの女性と話す時間が。
彼女は広島県の尾道にも何年かいた・・・・とのことで話がはずみました。

 その時にお聞きしたのが、MBCテレビで、8月8日にその時のロケの模様が、「ふるさとかごしま」で紹介されるとお聞きしました。
MBCテレビを観られる環境にある方は、ぜひ太古の島甑島をじっくりとご覧ください。

 彼女の話では、ネット配信もあるとのことですが、PCオンチの私には・・・・・・。
誰かに観方を教えてもらわなくては(^_^;)







2015/08/07 13:18 | 遠征のお話・思い出
下甑島へ。

 上甑へは去年も来ていますが、下甑島へは3年振りとなります。
おととし、去年は《甑島キス釣り大会》が開催されていました。
 賞金などが掛かった大会は私は好きではないし、大会に参加せずに行くだけ行こうかな・・・・・・とも考えましたが、「小池勝も下甑島で参加してたよ」と思われても不本意なため【李下に冠を正さず】で、下甑島へ渡るのはあきらめて上甑島だけに2泊して帰っていたのです。



 (高速船 甑島から見る里港風景、赤い乗船口の左に小さく見えるのは、見送りの横断幕を持った柴田美咲さんたち)

 約45分の船旅で、下甑島の長浜港へ到着。
港へは、予約をしていた民宿《道》のご主人が車で迎えに来てくださっていました。

 さっそく軽トラックを借りて下甑島内巡りへと出かける。
1985年、鴨谷計幸師と初めて訪れて以来、10回近い甑島来島になるが、年齢のことやいろいろ考えると、もう来られないこともあるか・・・・・・・と考え、まだ行ったことのない場所をくまなく廻る算段。

 上甑島と中甑島はすべて廻っているが、下甑島の観光スポット《ナポレオン岩》のある瀬々野浦や、下甑島の秘境と言われる内川内、そして島の集落らしさを一番残す鹿島地区へは行ったことがありません。
 つまりは砂浜が無いのでキス狙いの私には縁のない場所だったわけです。



 (島の裏側、瀬々野浦にあるナポレオン岩)

 しかし、同じ甑島列島でも上甑島と下甑島では山の険しさが大きく異なり、手打から片野浦へはともかく、瀬々野浦や内川内への道はよくぞまぁ!といった感じの道が続く。



(瀬々野浦の港、崖には鹿の子ゆりが咲き誇っています)



(6~7月が見ごろと言われるニシノハマカンゾウが、まだ少し花を付けていました)



(片野浦への三叉路に建つ、孤島の野犬像

 いろんな事情で昭和20年ころに絶滅したと言われる甑山犬。
勇猛果敢な性格で、猟犬に育てるには、親犬になるとしつけができないので、親犬の留守に子犬を連れ帰り仕込んだと言われる。

 西郷隆盛が連れた猟犬《ツン》には、この甑山犬の系統だったと言われている。

 私も瀬々野浦や内川内へも山道を走りながら、なんとか密かに生き延びている甑山犬に出遭えないものだろうか・・・・・・・と考えていました。



(文化元年(1804年)10月29日の大火事で鹿島集落の3分の2の家が燃えたおり、半分だけ焼け残った木)

 次の2枚の写真は、ネコ好きの方へ・・・・・・・・。



(気持ちよさそうに昼寝をしている鹿島で見つけたネコちゃん)



(こちらの黒ネコちゃんも、起きているわけではありません、最初から最後までこの格好で寝ていました)

                            


 さてさて、心残りというものできるだけ残さない性格の私、これまで行ったことのない場所を走り回りましたが、下甑島ではまだ一度も竿を出していません。



 3年前に竿を出した時は、クロサギの入れ食いで、キスの姿は見られなかった手打の浜。



(2012年、上甑でもここでも釣れさかったクロサギ)

 この砂浜、潮が引くと真水が少しずつ流れ出ている、こんな砂浜でキスがいない方がおかしい・・・・・・・・と投げました。
 しかし、アタリが少ない、やっとこさで16~18㌢が5匹。
あとはオキエソやクサフグ・・・・・・・、とにかく絶対数が少ない、山陰でこんな砂浜があれば、型はともかくかなりの確率で入れ食い状態になるのですが・・・・・。

 広島からエサを用意していなかったので、活きが悪くてぐったりしているので、早々と釣りはあきらめて手打の武家屋敷などを見て歩きました。



(里の武家屋敷通り同様、手打の武家屋敷通りにも鹿の子ゆりが咲き誇っています)



(ここ下甑島でも濃色の鹿の子ゆりにお目に掛かれました)

 エサも尽きた(のびた)ので、早々と30日の宿、民宿《道》さんへ帰りひとっ風呂!!!!!



(長浜の街にある民宿《道》)



(宿の裏からは、鹿の子ゆりと月の競演も見られました)



(美味しそうだったので、ついつい写真を撮る前にかじってしまいました(^_^;))

 部屋は海の見える2階で、東向き南向き西向きの窓やベランダの戸を開けて寝ましたが、風呂上り以外はエアコン無しで涼しく寝ることができ、もう何日か泊まりたいほどでした!

 翌朝、ベットから朝日が昇るのが眺められました・・・・・・・・・。



 












2015/08/05 12:14 | 遠征のお話・思い出
7月30日上甑島に上陸。

 川内駅発7時50分、川内港へ8時20分着の電気式シャトルバスを降り、一年ぶりの川内港へ歩を進める。
 甑島への乗船券、3,380円なり、ふるさと旅行券3枚を使用。
竹屋さんでの二泊分の7枚と合わせ、これで10枚使用したが、まだ2冊と3枚余っている!

 8時50分川内港発の《高速船 甑島》は、快適な運航を続けていて、途中では船に驚いたトビウオやダツのような長い魚も水面を飛んで逃げている。



 昔五島に通っているころ、フェリーに驚いたトビウオは、フェリーと平行に何匹もが数10mも飛んでいたものだが、今回は一匹あるいは二匹だけが、それも高速船と直角に逃げている。
 やはり船のスピードのせいなのだろう・・・・・・・と勝手に判断。

 9時45分、いよいよ上甑島の里港へ上陸。
ここでは《幸せボンビーガール》というテレビ番組で有名な、女優の柴田美咲ちゃんが町おこし協力隊員として頑張っている。



(高速船から見える方には、ようこそ甑島へと書いてあり、見送る時には裏返すと上写真のようになる)

 右側が、柴田美咲ちゃん。
私はミーハーではないのですが、クラブ員が「小池さん、よく甑島に行っていますが、幸せボンビーガールって知っていますか?」などと言うので、上甑に行って素通りもなかろう・・・・・・と一緒に写真も撮らせてもらいました(あくまでクラブ員に見せるため)。

 さてさて今回のお目当ての鹿の子ゆり、いつもは6月頃の上陸なので、蕾しか見ることはありませんが、今回は花盛り(咲き過ぎもあり)!!





(里集落の西の浜に咲く鹿の子ゆり、これは濃色タイプ)



(並色の花の蜜を吸う、蛾の一種オオスカシバ)



(白い鹿の子ゆりの蜜を吸う、モンキアゲハ)



(上甑島から中甑島への途中の断崖に群生する鹿の子ゆり)



(トンボロ地形の里集落遠景)



(玉石垣が整然と積み上げられた、里の武家屋敷通り)

 封建時代、鹿児島には《外城》と言われる制度があり、《》と称される外城が50いくつもあり、それぞれの石高に合わせて武家屋敷群が設けられていた。
 知覧や出水の武家屋敷群は有名ですが、ここ上甑島の里や、下甑島の手打にもある。



(上甑島の名勝地 長目の浜)

 と、観光ばかりでもいけないので、ついでのキス釣りを・・・・・・・。
しかし、3年前に27㌢を含め23~24㌢を釣ってはリリースした桑の浦で釣れたのはチャリコのみ・・・・・・、暑いのと見込みが無いのとで3投で移動を決める。



(こんな素晴らしい場所でキスがいない方がおかしい???)

 次に行ったのは、何年か前やはり良型釣ってはリリースした小島。
ここでは20数年前には29㌢も釣っている・・・・・・・・、が本日はこんなお魚が。



(ダブルで釣れてきたのはオオモンハタ?とカサゴ)



(やっとこさ・・・・で釣れたのは22~23㌢)

 あまりにも釣れないし暑いので、竿は納めて懐かしい島内を走りまわることに。



(中甑島から下甑島への架橋風景)

 まだ完成には3~4年は掛かるそうですが、これが完成すれば甑列島の有人島はすべて陸続きになるわけです。
 発展につながるのか、はたまたストロー現象で島外移住が増えるのか・・・・・・・。

 昼食は、いつもの《時春》さんで。
里港のすぐ前、ひとつ裏の筋にあり少し分かりにくい場所ですが、味は折り紙つきです!



 早めに、30日の宿えびす屋さんに帰ってひとっ風呂!



(里での定宿、えびす屋旅館)




(えびす屋旅館での夕食)


 こうして30日の夜は更け、いよいよ明日31日は下甑島へ・・・・・・・・・。






2015/08/04 07:10 | 遠征のお話・思い出

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