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復帰まであと少し
1月14日、膝を骨折してから約二ヶ月、装具を着けた左膝は右ひざに比べてずいぶんと細くなってしまったemoji
 装具が取れたら思いっきり歩くemojiemojiemojiことに・・・・・と言っても、筋力が落ちているからすぐ疲れるんでしょうね・・・・・。



 
 左ひざと右手親指以外はすこぶる順調emoji
血液検査の結果は、毎回全く異状なしemoji
   


 ということで、気晴らしの晩酌は《キリン一番搾り》350ml缶を一本飲み干したあとは、食卓下の《マイ焼酎》の選び放題。


(レアものがズラリemoji八幡ろかせず、八幡原酒、佐藤黒、月の中杜氏のお気に入り、磨き千貫薄にごり、一どん、ツンなどなど)

 一番搾りのあと、ロックで2杯いただいているemoji















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2024/03/18 17:11 | お酒にまつわる話
ダイワキスマスターズ2024申し込み始まる!!!
今年も、楽しみな《ダイワキスマスターズ》の受付が、本日18時より開始されました!!!!!!
 複数会場もう鋳込みもOKとのこと、奮ってご参加くださいemoji

大会・イベント情報/広域で開催される大会へのエントリーや結果報告を公開





























2024/03/08 07:39 | 未選択
素敵な気晴らしに!!!!!
愛犬ぷりんが元気なころ、お母さまが丹精込めて育てられた、きれいなスイートピーをN原さんからいただいていたた。


(ぷりんには《猫に小判・犬にスイートピー》だったかもしれないがemoji


(ぷりんが仏さまになった年の年末にも、きれいなスイートピーをいただいた)

 そのN原さんから、「スイートピーをお宅までお持ちしましょうか?」とのメールが。
1月14日の骨折以来、2月11日にクラブ仲間のゆかりさんのご厚意で、海辺の野菜市に連れて行ってもらった他、50日間まともに外出していない私「運転には支障ないので、いただきにに行きます!!!!!」と返信。

 そして今日、カミさん孝行を兼ねて・・・・・・。

 身勝手な私放浪癖のある私思い立ったら一人であちこちする私、今日はN原さんのお陰で最高な《かみさん孝行》ができましたemojiemojiemoji


(田舎育ちのかみさんは、ハウスいっぱいのスイートピーに大興奮emoji

 「また、スイートピーが終わる時、お手伝いに行きたいよ」と・・・・・。

 帰ってからも、山のようにいただいて帰ったスイートピーを前に、あれこれ花瓶を出して「假屋崎さんと勝負emoji」と、短く切ったり並べ替えたりと数時間楽しんでいましたemoji
N原さんありがとうございますemojiemoji

 これで、私も、一人っきりで《湯治》に行くことができそうemoji

















2024/03/03 20:09 | ぷりん登場
ツキノワグマ!!!!!!
《三千世界の 鴉を殺し 主と朝寝(添い寝)がしてみたい》
幕末の風雲児、高杉晋作が謡った都々逸とも言われる。
全宇宙の鴉を殺すなんて穏やかではないが、これはあくまで都々逸の世界。

 穏やかではないと言えば、2月9日付けの中国新聞に《クマ春にも指定管理鳥獣に》との見出しで、次のような記事が出ていた。



 主な理由は、近年特に2023年に過去最大な人的被害をもたらしたこと、生息数が増えている(だろう)ということ。
これによって、捕獲(殺す)を国が支援する《指定管理鳥獣》に。

 これまでは、里に出てきて人に危害を加えた場合、駆除という名目で殺されていたが、今後は言葉を変えれば穏やかに暮らしている、山奥での殺戮でも国が交付金を出すということに。

 この残酷な支援策、いつまで続けるのだろうか?
被害者が今の半分になったら?
被害者がゼロになるまで?
クマが絶滅に瀕するまで?

 絶滅の危険が高い四国は除くそうだが、仮の話四国での被害者が本州の倍になっても保護すると言うのか?
人は万物の長だと思いあがっているのでは環境省よ、人間たちよ!!!!!

 かみさんは、西中国山地のど真ん中で生まれ育った。
そのど真ん中で、今よりも数倍の人口があった子供時代、実際にクマに遭遇したという人はたった一人しか知らなかったと。

 過疎が進み、里山から人がいなくなって、耕作放棄された土地の柿や栗、それを食べたくて里に下りてきて、おまけには地図も読めない俄か登山家など、あまりクマの生態を知らなくなった人間たちと遭遇す不幸・・・・・。

    

 ツキノワグマが、自分の意思でもって人を襲ってやろう!などとは100%思ってはいない。
 彼ら彼女らが生きている間に考えていることは、繁殖期の一時期を除くとほぼ100%毎日《食べる》と言う行為だけを目的に生きている。
そこでたまたま人間に遭遇し、《危険回避》のために攻撃ではなく反撃しているだけです。

 地球生物誕生の遥かはるか昔から、クマさんは山奥に人間は川沿い、海沿いにと住み分けてきた。
クマさんのテリトリーに入らせてもらうには、人間どもはそれなりの礼節を尽くして入るべき。
「入らせていただきますよ」と、しっかりクマさんに知らせて山に入る。


(会社先輩のワサビ谷には、あちこちにクマさんに音で知らせる缶がぶら下がっている)

 私は長い間、西中国山地の源流釣りや山菜採り、キノコ採り、山野草観察などをしているが、かなり離れた谷の向こう斜面を、私に驚いてバギ!バギ!と踏み鳴らしながら逃げて行ったクマさんと遭遇しただけ。

 私のクマ対処法は。

➊なだらかな場所では、クマは人間の何倍も何十倍も鼻が利くし、耳もいいので、私が気づく前に相手が気づきます。

❷進行方向追い風の場合は、私の匂いが私より早く前方に届くからクマが察知しますが、向かい風の場合は、風上のクマに私の匂いが届かないので、大きな物音を立てながらゆっくりと進みます。

❸水音の高い渓流添いや、向こうが見えない尾根や大きく曲がった道などでは、尾根の向こうへなど音が届きにくいので、手にした打ち鎌などで、石や樹木を叩き打音を出しながらゆっくりと 
歩く。

 2月19日の中国新聞に「クマの行動を知ること第一歩」と、クマの接近どう避けるとのシンポジュームのことが。
 街に出てきた場合は可哀そうだが駆除も仕方ないが、こちらがクマのテリトリーに入って行って、「いたら殺す!」の短絡な解決法は止めてほしい!!!!!!!!!!!!!!!!!




























2024/02/27 19:30 | 未選択
1950年代前半広島から東京へ。
先日、次女に会いに東京に行った長女、「東京はいいなぁ、なんでも揃う」と。

 私が初めて東京に行ったのは小学2年か3年の時、母親に連れられ大船にお住いの某有名会社の役員を訪ねて・・・・・・。

 広島湾に浮かぶ島出身の母親が、それこそ生まれては初めての東京へ!!!!!!私を連れて本当によく行ったものだと思う。

 関東でも高級住宅地として知られる《大船》の豪邸、子供心に今でもくっきりと目に焼き付いている。
 母が、なんの目的で10数時間かけて、東京まで行ったのかは母がいない今ではまったく分からないまま・・・・・・・。
(推察できるのは、その方が某大企業広島工場長時代に、気風の良さで気に入ってくだっさっていた父親がらみであったのは間違いない)

 東京の高島屋デパートで、当時は珍しかった学生服を買ってもらったり、絵葉書などいろんな土産を持って広島へ。
 学校では、現在の海外旅行帰りよりもうんと珍しかったこともあり、先生が黒板に絵葉書などを貼り付けて、クラス全員の前で東京話をしたほど・・・・・・。

 その時の汽車。自分の記憶では急行《安芸》だったように思うが、今ネットで見てみると急行安芸は下関~大阪間だったとか・・・・・?

急行安芸号C62

 じゃぁ、「あさかぜ」だったのかな?とも思うが、確かな記憶はない・・・・・。
少なくとも、当時15~16時間?掛かって東京に行ったのは間違いないのだが。

 青春時代の1960年代後半に、関西から乗って7時間とちょっと掛かって帰省していたのは、呉線回りの準急《ななうら》だったのははっきりと覚えているがemoji

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2024/02/24 20:01 | 未選択

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