初めての歩き遍路、当初は《一筆書き》のように無駄なく遍路道を歩くつもりだった。
しかし、宿の関係でそうもいかないことがしばしば、仕方なく行けるとこまで行っては宿まで引き返し、翌日また前日歩き終えた足跡から歩き始めるという行程になった。
(だんだん慣れてきた高知以西は、ほぼ予定通り歩けたが)
徳島県の勝浦町生名集落の宿《金子や》、当日の客はベジタリアンだから朝食は要らない!というイタリアの人、18時ころ「大日寺からやってきた」という韓国の人と3人。
イタリアの人は、翌日は番外札所『慈眼寺』に行くとのこと。
韓国の人は、お遍路というより、お遍路コースを利用して走っている人で、富士山を走る競技にも出たとのことで、一日60kmくらい走るらしい。
翌朝、あらかじめ呼んでいたタクシーで、昨日歩いた旧大井小学校まで行き、そこから歩き始める。
太龍寺への登り・・・・・・・キツイ、キツイ

一段一段の階段が、思ったより高くて太ももを上げるのがきつくて・・・・・・。
できるだけ階段の端、左右に段差が少ない部分を選んで登って行く。
すっかり息があがってしまい、途中放心状態で階段に座っていると、上から走って降りて来たお兄ちゃんが「大丈夫ですか
」と。
よほど疲れた顔をしていたようだ
旧大井小学校を出たのが7時30分、途中の若杉山遺跡が8時45分、太龍寺には9時29分、意外と頑張って上がって来たようだ。


(太龍寺の納経印 ご本尊は虚空蔵菩薩 ご真言は のうぼうあきゃしゃ きゃらばや おんありきゃ まりぼりそわか)
太龍寺さんにお参りをしたものの、昨日頑張って鶴林寺さんを打っているので、このまま平等寺さんに向かっても昼ごろに着いてしまいそう。
太龍寺さんのロープウエイから眺める捨心ヶ嶽の弘法大師像や野犬の像を見たくなって寄り道。

(太龍寺ロープウエイから眺める、昔はたくさんいたというオオカミの群像)
太龍寺境内で、昨日は旧大井小学校でテント泊したという若いお遍路さんとしばらくお話をしていると、韓国からのランナーが早々とやってきた
わざわざ韓国からやって来るとは、かなり懐に余裕があるのだろうと、「両班(やんばん)ですね?」と言うと、「いやいや、ではまた
」と駆け下りて行った。
「ではまた」と言われても、一日60km走る人と、25kmそこそこ歩く私が二度と会うはずもなく、ただ後姿を見送っただけで『一期一会』の彼とは、当然ながら二度と出会うことはなかった。
しかし、宿の関係でそうもいかないことがしばしば、仕方なく行けるとこまで行っては宿まで引き返し、翌日また前日歩き終えた足跡から歩き始めるという行程になった。
(だんだん慣れてきた高知以西は、ほぼ予定通り歩けたが)
徳島県の勝浦町生名集落の宿《金子や》、当日の客はベジタリアンだから朝食は要らない!というイタリアの人、18時ころ「大日寺からやってきた」という韓国の人と3人。
イタリアの人は、翌日は番外札所『慈眼寺』に行くとのこと。
韓国の人は、お遍路というより、お遍路コースを利用して走っている人で、富士山を走る競技にも出たとのことで、一日60kmくらい走るらしい。
翌朝、あらかじめ呼んでいたタクシーで、昨日歩いた旧大井小学校まで行き、そこから歩き始める。
太龍寺への登り・・・・・・・キツイ、キツイ


一段一段の階段が、思ったより高くて太ももを上げるのがきつくて・・・・・・。
できるだけ階段の端、左右に段差が少ない部分を選んで登って行く。
すっかり息があがってしまい、途中放心状態で階段に座っていると、上から走って降りて来たお兄ちゃんが「大丈夫ですか


よほど疲れた顔をしていたようだ

旧大井小学校を出たのが7時30分、途中の若杉山遺跡が8時45分、太龍寺には9時29分、意外と頑張って上がって来たようだ。
(太龍寺の納経印 ご本尊は虚空蔵菩薩 ご真言は のうぼうあきゃしゃ きゃらばや おんありきゃ まりぼりそわか)
太龍寺さんにお参りをしたものの、昨日頑張って鶴林寺さんを打っているので、このまま平等寺さんに向かっても昼ごろに着いてしまいそう。
太龍寺さんのロープウエイから眺める捨心ヶ嶽の弘法大師像や野犬の像を見たくなって寄り道。
(太龍寺ロープウエイから眺める、昔はたくさんいたというオオカミの群像)
太龍寺境内で、昨日は旧大井小学校でテント泊したという若いお遍路さんとしばらくお話をしていると、韓国からのランナーが早々とやってきた

わざわざ韓国からやって来るとは、かなり懐に余裕があるのだろうと、「両班(やんばん)ですね?」と言うと、「いやいや、ではまた

「ではまた」と言われても、一日60km走る人と、25kmそこそこ歩く私が二度と会うはずもなく、ただ後姿を見送っただけで『一期一会』の彼とは、当然ながら二度と出会うことはなかった。