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趣味百態。

 趣味にはたくさんの種類があります。
釣り、登山、ゴルフ、読書、盆栽などなど数え上げればキリがありません。
そのどれにもマナーなどがあるのだと思います。

 私が50年ちかく続けている釣りにもマナーやモラルがありますが、よくよく考えてみると今さらメディアや釣り団体を通じて言うまでもない、「一個の人間として」当たり前のことが叫ばれている事が多いのに気づきます。

 「釣り場にごみを捨てない」「割り込みをしない」「立ち入り禁止の場所には入らない」など、代表されることを並べてみても、これらは幼いころから行ってきた、普段の生活のごくごく当たり前のことだと思います。
 なのに守られていないことが多く、とかく「この頃の釣り人は」とよく後ろ指を指されることがあります。

 他の趣味に比べ、釣りは《獲る》行為が、他の仲間と楽しむ、自然を大切にする、仕事の疲れ・ストレスの解消などよりも、その《獲る》を主目的とする人の目立つのが原因なのかもしれません。

 あちこちで立ち入り禁止、釣り禁止の看板やフェンスが設置されています。
一部の心無い(竿を持てばお巡りさんもドロボーも釣り人なので、あえて釣り人とは言いません)の行為に依って、未来の釣り人の釣り場を狭くし、無くしてはいけません。

 このブログを見ていただいている方には《釈迦に説法》だと思いますが、私が感銘している森信三先生の言葉をいくつか掲載してみます。

  

 

 藩政時代薩摩の《郷中教育》のように、対人関係においてこの敬愛の心をもって当たればよい人間関係が築けると思います。

   

 師と言っても、釣り人だから必ずしも釣りの師という意味ではありません。
私はサラリーマン時代の会社役員A井氏と、釣りでは鴨谷計幸氏と出遭えたことが最大の幸せだと思っています。
 私が変な行動をとることは師に対して、お顔に泥を塗ることになると律する基としています。
 


 仲良く楽しく遊ぶ「連れ」は気持ち次第で次から次へとできます。
しかし、一種特別な「あの友が見たらなんと言うか?」「あの友に聞くと何と言われるか?」などと、自分の行動を顧みることのできる友が私にはいます。



 人間、歳をとると体も大きくなり一応は大人にはなります。
この、橋本佐内の啓発録もそうですが、吉田松陰の「今日よりぞ 幼心を打ち捨てて 人となりにし 道を踏めかし」などがあります。

 相変わらず、偉そうなことばかり書いていますが、最後のたった数人でもいいのでこのブログを見て「そうだ!そうだ!」と思う方がおられたら幸いです。










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2015/10/21 20:00 | 小難しいお話

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