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無題
 6日月曜日の夜、家の電話がけたたましく鳴る・・・・・。
「こんな時間に・・・・・?」予感的中、カミさんの姉(長女)の旦那さんが亡くなったとの報せ。

 県北の町に行き、7日が通夜で8日が葬儀・・・・・・・・。

 私は幸いな事に、我が家では9人兄弟の末っ子で、カミさんは7人兄弟の末っ子。
私には姉が5人、カミさんにも姉が5人、つまりそれだけたくさんの義兄に恵まれたことになる。

 自分自身の兄は、ある程度同じ親から生まれ、同じメシを食って成長してきたわけだから、それなり判る部分が多分にある。
 しかし義兄となると、10人が(カミさんの実の兄を含めると12人)それこそ全然違った環境で育ち、違った知識などを持っているわけで、多くの義兄からたくさんの色々なことを学ばせていただいてきました。
 町会議員をしていた義兄にはその姿勢、会社の組合幹部をしていた義兄からは組合関係のお話、そして今回亡くなった義兄からは山菜採りやキノコ採りなど、今日の私の【ライフスタイル】となっている、山歩きの基礎を多く学ばせていただきました。

 昭和62年5月1日発行の、渓流師たちの心の旅とガイド【日本百名渓】に、2稿ほど私の腰折れ文を寄稿しているが、その【滝山川】あの幅広アマゴは体高10センチはあった、と今でも思っている・・・の稿で、【しかし浅はかな考えもそこまで、すぐ家内の姉の嫁ぎ先へと車を走らせ、義兄を起こし「これしか無いが」と出された3・6mの竿を借りて釣り場に入った。】と書いている、その義兄が今回亡くなったのです・・・・。



(昭和62年発行の【日本百名渓】の表紙。その当時、私は投げ釣りだけではなく、渓流の記事も結構書いていました)

 田舎の、もう一軒の義姉の家に泊まって葬儀に参列したのですが、その家の甥から「さすが今回はついでに浜田(釣り)に行って来ようと言うわけにはいかんね・・・」とからかわれました。
 いつも田舎に行くと、「ついでだから・・・」と言っては浜田に行っていたものですから・・・・。

 そんなこんなで、冷蔵庫にはまだ【エサ】が入っているのですが、釣りには行けませんでした・・・。
今週末の【えのみやサーフ納会(大会)】までお預けになりそうです。

 先日のブログで、野菊を苔玉にしたと書いて、写真も載せました。
これは、少し前に作っておいた【山葵(わさび)】の苔玉です。
 なかなか風情があって、結構気に入っています。
 
 
 
 (わさびの苔玉です。石臼の上に、山口県菊川町から持って帰った【菊石】を敷いています)
 
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2010/12/09 20:35 | 我が家の花ごよみ

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