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「運」について考える。
 今回は、まったく釣りに関係の無いお話なので、興味のない方は読み飛ばしてください。

 先日、釣りもしないのに徳島まで付き合ってくれた、えのみやサーフのK村さんが「自分は運だけで生きてきたようなものだ・・・・」と常々言っているのを聞きます。

 つくづく考えるに、その【運の良い】はとにかくまめに動いて、打算抜きで人付き合いをしている。
 私は、それを以て「運というものは、待っていて訪れるものではない、自分で見逃すかそれを掴むかに掛かっている。棚ボタなどは極々稀なことだ」と思っている。

 言うならばと言う名の見えない歯車が、自分の周りで常に回転をしていて、自分から動いてその歯車に引っかかるか、それともその歯車に気が付かずに、その歯車の隙間を抜けしまっているのだろうか・・・・・・?と思っている。

 そう言えば、ウチの下の娘が言っていました、「私は運がいい、苦労せずに短大、就職、結婚と常に良い方向に転がっている」と言っていた。
 実は彼女も、短大時代は娘だてらにワンダーフォーゲル部で山歩き、就職後は韓国語を完全に習得したいと、婚約者を日本に残し、一年間の韓国留学もやってのけ、結婚後は広島を案内するボランティア活動と、とにかく動き回っていた。
 旦那の転勤で関西に引越し、簿記かなにかの学校に行っていたが、またまた東京で半月間の研修がある・・・・・というほどの、しっかりとした会社に就職が決まったそうだ。
 
 K村さんと、下の娘に共通することは、とにかくまめに動き回っていること。
それによって、【】という歯車に引っかかっているのでしょう・・・・。
 これは釣りにも言えること、【釣りに行かなければ釣れない、宝くじも買わなくては当たらない】と同じようなもの。

 人の世は、動き回る事によって、いろんな方々との【出会い】のチャンスが生まれる。
一人でも多くの知己を得ることができる・・・・、それによっていいことばかりではなく、たまにはイヤな場面にも遭遇するが、それはそれで【反面教師】としたり、【人の振り見て我が振り直せ】などと、それなり後の戒めにもなる・・・・。
 

 釣りのブログなのにすみません・・・・・・、思いつくまま書いてみましたが。
次回は、まともな釣りについてのお話を書きます。
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2010/09/22 20:26 | 未選択

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