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会報『投げ釣り』パート2

 全日本サーフキャスティング連盟機関紙、会報『投げ釣り』が発行されて41年、228号までのうち、私が表紙に載ったの(小さく)は2回あります。

 この2回とも撮影者は、『投げ釣り』の36号から131号まで、16年間96冊の編集を主となって手がけられた、関西投友釣クラブの故鷲見迪寛氏です。
 鷲見氏とは少なからぬご縁で、私と同じえのみやサーフ大田豊明氏と一緒に、何度か山陰西部の釣りにご一緒したことがある。

 一回目は、1980年発行の58号、島根県西部で開催された『全日本クラブ対抗キス』の審査風景、大勢の中に写っています。(この時は、団体で2位、個人で私が3位、大田氏が4位と上位入賞)



 もう一回は、2003年の188号、これは鷲見氏と大田氏と3人で山口県の山陰側東端にある萩市須佐湾のマテ潟のペンション前で竿を出す、大田氏と私が小さく写っている(写った本人にしかわからないくらい、小さな写真です・・・)。



 私が全日本サーフにお世話になろうと決めた理由の一つに、この組織は1970年頃から『釣り保険』への加入を呼びかけ(現在では全員加入が義務付けられている)、多くの人が自発的に加入をしていたことです。
 もう一つは、1971年4月23日に、正式に社団法人として認可が下りた『全日本釣り団体協議会』に加入をしていたことです。

 世に天狗はたくさん存在し、「俺は一匹狼だ!」なんて言っているお方は多いと思います。
天狗結構、一匹狼結構・・・・・。
 しかし、そんなお方でも「絶対に事故には遭遇しない!」という保障は無い・・・・・。 

 また釣り場において、漁業者や行政との決まりごとに抵触するような事案も無いとも限らない。
そんなときに必要なのが釣り保険だったり、遊漁者としての声のはずです・・・。

 独りよがりではない、その組織としての考え方に共鳴して今日に至っています。

 と、こんな風に書くと、またぞろ「えらそうに!」とか、「何様のつもりか」などいろいろ言われることでしょうね。【何様って、私はおじ(ぃ)様ですがな・・・・】

 そのように思われついでにもう一つ・・・・・。

 古くから日本には、「蟄居」「閉門」「謹慎」などという制度がありました。
つまり、何か良くないことをしてしまうと、門には竹でバツ印をされて、屋敷内に籠もって謹慎が解けるまで待つ・・・・というのを、映画やテレビで観たことがあると思います。

 しかし、大相撲の元横綱や、ボクシング一家のお父さんはどうでしょう・・・・・・。
問題を起こすと、すぐに外国に行ってしまう・・・・・。
 ライセンスを返上・・・・ということは、十分謹慎・蟄居に値すると思うのですが、さっさらさ・・・と肩で風を切って外国へ。

 本当に日本も変わりましたね・・・・・・。


【今日のぷりん】 
 うちの近くの桜並木、もうすっかり花が散ってしまいました。
でも、その風情も捨てたものではありませんよ。



(桜の花びらのじゅうたんの上で・・・・)

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2010/04/13 19:42 | ぷりん登場

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