四国八十八ヶ所、約1,300kmを歩いて色々感じたこと。
今回は《道》について・・・・・・。
全行程約1,300kmのうち、私の感覚では半分くらいが舗装道路の国道や県道を歩くような。
日本の道は表向きは歩行者優先とは言いながら、ほぼ車のために作られていると言っても過言ではない。
歩行者道路が設置されていない道は、車道の水はけを良くするために道路わきが低く斜めに作られて、これが長い時間歩くと片方ばかりに体重が掛かり足や股関節が疲れてくる。
また歩道がある道でも、車が入る場所は低く斜めに作られて、長い時間歩くとこれも大変

(路面がくねくねとうねって、思ったよりも負担が掛かってくる)

(低いながらも段差があるし、車が入りやすいように斜めになって長く歩くと疲れる)
こんな時に嬉しいのが《側溝》の上
側溝の既製品のフタは、規格があるのだろうから、斜めにするとそれが使えないから、水平に作られているので歩きやすい。

ただ側溝のフタにも数種類あって、左右に手を入れる部分があるフタは、上の写真のように向き合って穴の部分が大きく、歩いているとつま先がはさまったり、金剛杖がささったりと歩くときに歩幅の調節が難しい。
その点、下の写真のように片方ずつになっている側溝のフタの上は快適に歩ける

(片方だけに開ける時に手を入れるタイプのフタ)
こんな遍路道ばかりなら最高なのだが・・・・・・。

今回は《道》について・・・・・・。
全行程約1,300kmのうち、私の感覚では半分くらいが舗装道路の国道や県道を歩くような。
日本の道は表向きは歩行者優先とは言いながら、ほぼ車のために作られていると言っても過言ではない。
歩行者道路が設置されていない道は、車道の水はけを良くするために道路わきが低く斜めに作られて、これが長い時間歩くと片方ばかりに体重が掛かり足や股関節が疲れてくる。
また歩道がある道でも、車が入る場所は低く斜めに作られて、長い時間歩くとこれも大変
(路面がくねくねとうねって、思ったよりも負担が掛かってくる)
(低いながらも段差があるし、車が入りやすいように斜めになって長く歩くと疲れる)
こんな時に嬉しいのが《側溝》の上

側溝の既製品のフタは、規格があるのだろうから、斜めにするとそれが使えないから、水平に作られているので歩きやすい。
ただ側溝のフタにも数種類あって、左右に手を入れる部分があるフタは、上の写真のように向き合って穴の部分が大きく、歩いているとつま先がはさまったり、金剛杖がささったりと歩くときに歩幅の調節が難しい。
その点、下の写真のように片方ずつになっている側溝のフタの上は快適に歩ける

(片方だけに開ける時に手を入れるタイプのフタ)
こんな遍路道ばかりなら最高なのだが・・・・・・。
初めての歩き遍路、当初は《一筆書き》のように無駄なく遍路道を歩くつもりだった。
しかし、宿の関係でそうもいかないことがしばしば、仕方なく行けるとこまで行っては宿まで引き返し、翌日また前日歩き終えた足跡から歩き始めるという行程になった。
(だんだん慣れてきた高知以西は、ほぼ予定通り歩けたが)
徳島県の勝浦町生名集落の宿《金子や》、当日の客はベジタリアンだから朝食は要らない!というイタリアの人、18時ころ「大日寺からやってきた」という韓国の人と3人。
イタリアの人は、翌日は番外札所『慈眼寺』に行くとのこと。
韓国の人は、お遍路というより、お遍路コースを利用して走っている人で、富士山を走る競技にも出たとのことで、一日60kmくらい走るらしい。
翌朝、あらかじめ呼んでいたタクシーで、昨日歩いた旧大井小学校まで行き、そこから歩き始める。
太龍寺への登り・・・・・・・キツイ、キツイ

一段一段の階段が、思ったより高くて太ももを上げるのがきつくて・・・・・・。
できるだけ階段の端、左右に段差が少ない部分を選んで登って行く。
すっかり息があがってしまい、途中放心状態で階段に座っていると、上から走って降りて来たお兄ちゃんが「大丈夫ですか
」と。
よほど疲れた顔をしていたようだ
旧大井小学校を出たのが7時30分、途中の若杉山遺跡が8時45分、太龍寺には9時29分、意外と頑張って上がって来たようだ。


(太龍寺の納経印 ご本尊は虚空蔵菩薩 ご真言は のうぼうあきゃしゃ きゃらばや おんありきゃ まりぼりそわか)
太龍寺さんにお参りをしたものの、昨日頑張って鶴林寺さんを打っているので、このまま平等寺さんに向かっても昼ごろに着いてしまいそう。
太龍寺さんのロープウエイから眺める捨心ヶ嶽の弘法大師像や野犬の像を見たくなって寄り道。

(太龍寺ロープウエイから眺める、昔はたくさんいたというオオカミの群像)
太龍寺境内で、昨日は旧大井小学校でテント泊したという若いお遍路さんとしばらくお話をしていると、韓国からのランナーが早々とやってきた
わざわざ韓国からやって来るとは、かなり懐に余裕があるのだろうと、「両班(やんばん)ですね?」と言うと、「いやいや、ではまた
」と駆け下りて行った。
「ではまた」と言われても、一日60km走る人と、25kmそこそこ歩く私が二度と会うはずもなく、ただ後姿を見送っただけで『一期一会』の彼とは、当然ながら二度と出会うことはなかった。
しかし、宿の関係でそうもいかないことがしばしば、仕方なく行けるとこまで行っては宿まで引き返し、翌日また前日歩き終えた足跡から歩き始めるという行程になった。
(だんだん慣れてきた高知以西は、ほぼ予定通り歩けたが)
徳島県の勝浦町生名集落の宿《金子や》、当日の客はベジタリアンだから朝食は要らない!というイタリアの人、18時ころ「大日寺からやってきた」という韓国の人と3人。
イタリアの人は、翌日は番外札所『慈眼寺』に行くとのこと。
韓国の人は、お遍路というより、お遍路コースを利用して走っている人で、富士山を走る競技にも出たとのことで、一日60kmくらい走るらしい。
翌朝、あらかじめ呼んでいたタクシーで、昨日歩いた旧大井小学校まで行き、そこから歩き始める。
太龍寺への登り・・・・・・・キツイ、キツイ


一段一段の階段が、思ったより高くて太ももを上げるのがきつくて・・・・・・。
できるだけ階段の端、左右に段差が少ない部分を選んで登って行く。
すっかり息があがってしまい、途中放心状態で階段に座っていると、上から走って降りて来たお兄ちゃんが「大丈夫ですか


よほど疲れた顔をしていたようだ

旧大井小学校を出たのが7時30分、途中の若杉山遺跡が8時45分、太龍寺には9時29分、意外と頑張って上がって来たようだ。
(太龍寺の納経印 ご本尊は虚空蔵菩薩 ご真言は のうぼうあきゃしゃ きゃらばや おんありきゃ まりぼりそわか)
太龍寺さんにお参りをしたものの、昨日頑張って鶴林寺さんを打っているので、このまま平等寺さんに向かっても昼ごろに着いてしまいそう。
太龍寺さんのロープウエイから眺める捨心ヶ嶽の弘法大師像や野犬の像を見たくなって寄り道。
(太龍寺ロープウエイから眺める、昔はたくさんいたというオオカミの群像)
太龍寺境内で、昨日は旧大井小学校でテント泊したという若いお遍路さんとしばらくお話をしていると、韓国からのランナーが早々とやってきた

わざわざ韓国からやって来るとは、かなり懐に余裕があるのだろうと、「両班(やんばん)ですね?」と言うと、「いやいや、ではまた

「ではまた」と言われても、一日60km走る人と、25kmそこそこ歩く私が二度と会うはずもなく、ただ後姿を見送っただけで『一期一会』の彼とは、当然ながら二度と出会うことはなかった。
初めての歩き遍路にあたって、参考になるモノがないか?と探したところ、2冊の遍路本を見つけた。
ただよくよく、見ていたら発行年度やデザインこそ違え、共に《山と渓谷社》の発行したモノ。
よって、歩きの行程表はまったく同じ・・・・・・・・



それは置いといて。
一応、手探り状態の段階ではこの本の情報を頼りにするしかない、と計画を練ってきたが、6日目にして行き詰まってしまった。
本によると、恩山寺から19番立江寺を打った後、20番鶴林寺の麓にある生名集落までとあり、7日目は、生名から鶴林寺に登って、一旦川沿い迄降りて21番太龍寺を登り、また降りて22番平等寺迄とある。
そこで、生名にある《金子や》を予約しておいた。
《民宿ちば》を6時30分に出て立江寺へは8時05分に到着。

(19番立江寺の納経印 ご本尊は地蔵菩薩、ご真言は、おんかかかび さんまえいそわか)
立江寺から生名へと歩き、当日の宿《金子や》には、11時過ぎに到着。
遍路本では、これで一日行程になっているが、昼前には着いてしまった。
おまけには、金子やのチェックインは15時からとのことで、4時間ちかく休む場所も無く路頭に迷うような・・・・・。
4時間はいかにももったいない、考えた挙句変則的だが今回初の試みとして20番鶴林寺へは、今日中にお参りすることにして、金子やまで戻ることにした。
『一焼山、二にお鶴、三太龍』と言われるだけあって、鶴林寺までの登りは本当にキツい
焼山寺の遍路ころがしは、6~7人のお遍路さんと後先になって登ったから励みになったが、ここは一人旅・・・・・・。
それでも、13時21分には鶴林寺にお参りすることができた。

(第20番鶴林寺の納経印 ご本尊は地蔵菩薩でご真言は おんかかかび さんまえいそわか)
このまま金子やに戻るか?と考えたが、いかにももったいない。
そこで太龍寺への登り口のある旧大井小学校まで歩いて、そこからタクシーを呼んで金子やに戻ることを選んだ。
これまた鶴林寺からの下り坂のきついこときついこと、「これが逆打ちだったら大変だ」と独り言をいいながら下る。
那賀川添いにある、旧大井小学校には14時18分に到着。
これだけ歩いても、金子やのチェックイン時間よりも30分以上早くに到着したことになる。
テント持参の遍路旅なら、ここで宿泊なのだが、仕方なくタクシーを呼んで金子やまで戻り、また明朝タクシーで旧大井小学校まで送ってもらうことに(翌日太龍寺で会った若い歩き遍路の人がテント泊をしていたそうです)。
金子やまでタクシーで帰り、「明日は山中での昼食になるからお結びでも作っていただけますか?」
「一人でやっているから出来ない!」と素っ気ない。
仕方なく1kmはないものの、数百m歩いてコンビニまで・・・・・・。
ただよくよく、見ていたら発行年度やデザインこそ違え、共に《山と渓谷社》の発行したモノ。
よって、歩きの行程表はまったく同じ・・・・・・・・

それは置いといて。
一応、手探り状態の段階ではこの本の情報を頼りにするしかない、と計画を練ってきたが、6日目にして行き詰まってしまった。
本によると、恩山寺から19番立江寺を打った後、20番鶴林寺の麓にある生名集落までとあり、7日目は、生名から鶴林寺に登って、一旦川沿い迄降りて21番太龍寺を登り、また降りて22番平等寺迄とある。
そこで、生名にある《金子や》を予約しておいた。
《民宿ちば》を6時30分に出て立江寺へは8時05分に到着。
(19番立江寺の納経印 ご本尊は地蔵菩薩、ご真言は、おんかかかび さんまえいそわか)
立江寺から生名へと歩き、当日の宿《金子や》には、11時過ぎに到着。
遍路本では、これで一日行程になっているが、昼前には着いてしまった。
おまけには、金子やのチェックインは15時からとのことで、4時間ちかく休む場所も無く路頭に迷うような・・・・・。
4時間はいかにももったいない、考えた挙句変則的だが今回初の試みとして20番鶴林寺へは、今日中にお参りすることにして、金子やまで戻ることにした。
『一焼山、二にお鶴、三太龍』と言われるだけあって、鶴林寺までの登りは本当にキツい

焼山寺の遍路ころがしは、6~7人のお遍路さんと後先になって登ったから励みになったが、ここは一人旅・・・・・・。
それでも、13時21分には鶴林寺にお参りすることができた。
(第20番鶴林寺の納経印 ご本尊は地蔵菩薩でご真言は おんかかかび さんまえいそわか)
このまま金子やに戻るか?と考えたが、いかにももったいない。
そこで太龍寺への登り口のある旧大井小学校まで歩いて、そこからタクシーを呼んで金子やに戻ることを選んだ。
これまた鶴林寺からの下り坂のきついこときついこと、「これが逆打ちだったら大変だ」と独り言をいいながら下る。
那賀川添いにある、旧大井小学校には14時18分に到着。
これだけ歩いても、金子やのチェックイン時間よりも30分以上早くに到着したことになる。
テント持参の遍路旅なら、ここで宿泊なのだが、仕方なくタクシーを呼んで金子やまで戻り、また明朝タクシーで旧大井小学校まで送ってもらうことに(翌日太龍寺で会った若い歩き遍路の人がテント泊をしていたそうです)。
金子やまでタクシーで帰り、「明日は山中での昼食になるからお結びでも作っていただけますか?」
「一人でやっているから出来ない!」と素っ気ない。
仕方なく1kmはないものの、数百m歩いてコンビニまで・・・・・・。
4日目の宿《鱗楼》を出て、17番井戸寺へと・・・・・。
前から来たご老人が歩みを止め、ピタっと静止して私に向かって手を合わせて拝んでいる。
初めての経験で一瞬戸惑ったが、当然ご老人は私を拝んでいるのではなく、歩き遍路の私と《同行二人》のお大師様を拝んでいたのですが。
恥ずかしながら初の経験だったため、この時はこちらからも手を合わせることを失念しておりました。
(この後、徳島県内で手押し車に座って日向ぼっこをしていたおばぁちゃん、高知県で畑の草むしりをしていたおばあちゃんに、愛媛県と香川県で、それぞれおじさんが手を合わせているのに、私も合掌してその方々の健康とご多幸を祈りました)
第17番井戸寺には8時09分に到着。

(井戸寺の納経印、ご本尊は薬師如来、ご真言はおんころころ せんだり まとうぎそわか)
徳島市内をすたこら

と・・・・・・。
11時前、徳島ラーメンの有名店《いのたに》で早めの昼食、私の口には少し醤油辛かった。
阿波おどり会館前を11時35分に通過、一歩も脇にそれるのは歩数が損なので、見学は諦めて次回車で行った時に・・・・・・と通り過ぎる。
途中で見つけた《クロネコヤマト》で、少しでも荷物を軽くと考え、キャップやジャケット、履き替えのシューズなどを家に送り返す(後日談だが、かみさんは徳島土産でも入っているのか?とワクワクして開けたらしい
)
遍路を始めて5日目、まだ慣れないせいなのか?それとも初めて一人旅だったせいなのか?この日歩いた《徳島南バイパス》の辛さは、遍路中10本の指に入る。
道路向こうに、徳島の有名釣具店《いはら釣具》を見つけ、立ち寄ってみたかったが、遍路中は一歩も余計に歩く気にはならないので諦めた。

(11月に、徳島県海陽町の民宿《海山荘》に伊勢えびを食べに行った時、念願かなって立ち寄ることができました)
14時53分、へとへとになってたどり着いた《民宿ちば》に荷物を預けて、すぐ上にある第18番札所恩山寺へ。

(第18番恩山寺の納経印、ご本尊は薬師如来、ご真言は おんころころ せんだり まとうぎそわか)
恩山寺からの下り道にあったみかん
の無人販売所で、車のお遍路さんからみかんのお接待を受ける
娘と車で廻ったときにも泊まったことがある《民宿ちば》さん、当初の泊り客は私一人だったが、5時過ぎに「この遍路が終わったら、世界一周に出かける」という、ユニークな髪形をしたお兄ちゃんが。
このように、飛び込み客も引き受ける遍路宿があるにはある。
前から来たご老人が歩みを止め、ピタっと静止して私に向かって手を合わせて拝んでいる。
初めての経験で一瞬戸惑ったが、当然ご老人は私を拝んでいるのではなく、歩き遍路の私と《同行二人》のお大師様を拝んでいたのですが。
恥ずかしながら初の経験だったため、この時はこちらからも手を合わせることを失念しておりました。
(この後、徳島県内で手押し車に座って日向ぼっこをしていたおばぁちゃん、高知県で畑の草むしりをしていたおばあちゃんに、愛媛県と香川県で、それぞれおじさんが手を合わせているのに、私も合掌してその方々の健康とご多幸を祈りました)
第17番井戸寺には8時09分に到着。
(井戸寺の納経印、ご本尊は薬師如来、ご真言はおんころころ せんだり まとうぎそわか)
徳島市内をすたこら



11時前、徳島ラーメンの有名店《いのたに》で早めの昼食、私の口には少し醤油辛かった。
阿波おどり会館前を11時35分に通過、一歩も脇にそれるのは歩数が損なので、見学は諦めて次回車で行った時に・・・・・・と通り過ぎる。
途中で見つけた《クロネコヤマト》で、少しでも荷物を軽くと考え、キャップやジャケット、履き替えのシューズなどを家に送り返す(後日談だが、かみさんは徳島土産でも入っているのか?とワクワクして開けたらしい

遍路を始めて5日目、まだ慣れないせいなのか?それとも初めて一人旅だったせいなのか?この日歩いた《徳島南バイパス》の辛さは、遍路中10本の指に入る。
道路向こうに、徳島の有名釣具店《いはら釣具》を見つけ、立ち寄ってみたかったが、遍路中は一歩も余計に歩く気にはならないので諦めた。
(11月に、徳島県海陽町の民宿《海山荘》に伊勢えびを食べに行った時、念願かなって立ち寄ることができました)
14時53分、へとへとになってたどり着いた《民宿ちば》に荷物を預けて、すぐ上にある第18番札所恩山寺へ。
(第18番恩山寺の納経印、ご本尊は薬師如来、ご真言は おんころころ せんだり まとうぎそわか)
恩山寺からの下り道にあったみかん


娘と車で廻ったときにも泊まったことがある《民宿ちば》さん、当初の泊り客は私一人だったが、5時過ぎに「この遍路が終わったら、世界一周に出かける」という、ユニークな髪形をしたお兄ちゃんが。
このように、飛び込み客も引き受ける遍路宿があるにはある。
歩き遍路四日目、12番焼山寺の下の《すだち庵》を6時30分出立。
すだち庵からすぐの遍路道(赤い点線)に入る。

地図で見れば、水色の点線の車道よりもうんと短い距離となるが、これがクセ者!
急坂を30分くらい登ったところで、右手の方から鈴の音が聞こえてくる。
「あれっ?お大師さんに会えたかな」と思ったが、声を掛けてみると、私より20分くらい先に宿を出た香川県からの人が・・・・・。
どうやら道に迷ってしまっていたらしい。
急坂に加え、分かりにくい山道、やっとこさで玉ヶ峠に辿りついたのは8時04分。
一時間半以上急坂を登ってきたということ。

(こんな急坂を94分登って来たことになる)
玉ヶ峠からの下り道、はるか下方に川と道が見えても、合流するまでの道のりの長いこと長いこと・・・・・、すだち庵を出てから合流地点まで3時間もかかった
負けず嫌いの私、他のお遍路さんに抜かれるのがイヤで、速足で歩いたがこの日のオーストラリアからの人と、愛媛県西南部をツーポールで歩いていた人と、あと一人の三人に完璧に抜かれてしまった・・・・・。

(鮎喰川に架かる、駒坂潜水橋を渡っているオーストラリアからのお遍路さん)
13番札所大日寺には12時15分に到着。

(13番大日寺の納経印、ご本尊は十一面観音、ご真言はおんまかきゃろにかそわか)
第14番札所常楽寺には12時59分に到着。

(常楽寺の納経印、ご本尊は弥勒菩薩、ご真言は「おんまいたれいやそわか」)
第15番阿波国分寺には13時44分に到着、これ以降焼山寺への遍路ころがしで一緒だった福岡からの彼と、オーストラリアからの人には二度と会うことはなかった。

(15番国分寺の納経印、ご本尊は薬師如来で、ご真言はおんころころ せんだりまとうぎそわか)
第16番観音寺には、13時44分。
ここでもって香川県からの人と、二度と会うことはなかった。
長い一人旅の始まり・・・・。

(16番観音寺の納経印、ご本尊は千手観音、ご真言は「おんばざらたらまきりく」)
みんなはもう一つ先の井戸寺まで行ったようだが、遍路初心者の私は「14番から17番の間で足を痛めたりしたら、迎えに来てくれる」という《鱗楼》に予約・投宿、時間は早めの14時49分。
ここの女将さん、「だいたい12番の遍路ころがしで、足を痛めた人は徳島駅から帰るから、キャンセルでも大丈夫です」と事もなげに・・・・・・。
歩き遍路リタイヤ者は、遍路ころがしから徳島市内辺りが一番多いそうで、逆に室戸岬を越えたらほとんどが結願まで行くとのこと。
すだち庵からすぐの遍路道(赤い点線)に入る。
地図で見れば、水色の点線の車道よりもうんと短い距離となるが、これがクセ者!
急坂を30分くらい登ったところで、右手の方から鈴の音が聞こえてくる。
「あれっ?お大師さんに会えたかな」と思ったが、声を掛けてみると、私より20分くらい先に宿を出た香川県からの人が・・・・・。
どうやら道に迷ってしまっていたらしい。
急坂に加え、分かりにくい山道、やっとこさで玉ヶ峠に辿りついたのは8時04分。
一時間半以上急坂を登ってきたということ。
(こんな急坂を94分登って来たことになる)
玉ヶ峠からの下り道、はるか下方に川と道が見えても、合流するまでの道のりの長いこと長いこと・・・・・、すだち庵を出てから合流地点まで3時間もかかった
負けず嫌いの私、他のお遍路さんに抜かれるのがイヤで、速足で歩いたがこの日のオーストラリアからの人と、愛媛県西南部をツーポールで歩いていた人と、あと一人の三人に完璧に抜かれてしまった・・・・・。
(鮎喰川に架かる、駒坂潜水橋を渡っているオーストラリアからのお遍路さん)
13番札所大日寺には12時15分に到着。
(13番大日寺の納経印、ご本尊は十一面観音、ご真言はおんまかきゃろにかそわか)
第14番札所常楽寺には12時59分に到着。
(常楽寺の納経印、ご本尊は弥勒菩薩、ご真言は「おんまいたれいやそわか」)
第15番阿波国分寺には13時44分に到着、これ以降焼山寺への遍路ころがしで一緒だった福岡からの彼と、オーストラリアからの人には二度と会うことはなかった。
(15番国分寺の納経印、ご本尊は薬師如来で、ご真言はおんころころ せんだりまとうぎそわか)
第16番観音寺には、13時44分。
ここでもって香川県からの人と、二度と会うことはなかった。
長い一人旅の始まり・・・・。
(16番観音寺の納経印、ご本尊は千手観音、ご真言は「おんばざらたらまきりく」)
みんなはもう一つ先の井戸寺まで行ったようだが、遍路初心者の私は「14番から17番の間で足を痛めたりしたら、迎えに来てくれる」という《鱗楼》に予約・投宿、時間は早めの14時49分。
ここの女将さん、「だいたい12番の遍路ころがしで、足を痛めた人は徳島駅から帰るから、キャンセルでも大丈夫です」と事もなげに・・・・・・。
歩き遍路リタイヤ者は、遍路ころがしから徳島市内辺りが一番多いそうで、逆に室戸岬を越えたらほとんどが結願まで行くとのこと。