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粘着質。
私が中学2年生の時の下校時、一学年下の男子生徒となんらかのトラブルがあり喧嘩に。
投げつけて押さえつけたら、「降参降参」と言うので、離して歩き始めた。
 そうしたら後ろから殴りかかって来た。

 また投げ倒して押さえつけると「降参、降参!」と泣きそうになるので、許してやると、また後ろから突然殴りかかってくる。

 それを何度も繰り返すので、もう流石に私も怒りは頂点に達し、帰りの峠道の段々畑を3~4段叩き落とし、顔中に畑の砂を塗りたくってやると、泣きながら「今度こそもう降参!何もしないから」と。
 確かに、その後は後ろからは殴りかかっては来なかったが、それでも泣きながら私の家まで後ろを付いてきて、ウチの家の裏口の戸を、風呂炊き用に置いていた手斧(ちょうの)で叩き、5~6センチの穴を開けてしまった。

 私の姉が出て、そのしつこいガキに注意をすると、流石に大人が出たせいなのか帰って行った。

 と、ここまでなら子供の喧嘩・・・・・・・。

 その夜のこと、しつこいガキは今度は父親と一緒に「ウチの子が、おまえのところの子に殴られて、頭にたんこぶをこしらえて怪我して帰った、どうしてくれるのか!」と怒鳴り込んできた。

 逆恨みもいいとこの事なのに、その結末は《弱い者いじめ》が大嫌いなウチの親父から「年下相手に喧嘩して怪我をさせたのはけしからん!!!」と、縁側の下に積んであった藁木(薪)で頭を数回殴られて、こちらこそたんこぶをいくつも作ったところで事は終わったが、私が人生で生まれて最初に《理不尽》を感じた一件だった・・・・・・・。

 一学年年下とは言え、私より体格の大きなヤツなのに、《弱い者いじめ》とみなされて・・・・・、他人んちの裏口を壊し、おまけには親まで呼んで来やがって!
 小説《坊っちゃん》の書き出しではないが、父親譲りの無鉄砲な私、結構な数の喧嘩をしたので、いちいち覚えてはいないが、その件だけは子供心に忘れられない一件として残っている。

 その時から、ヤツのような《粘着質》が大嫌いになった。

 どこやらの国の国会議長、「被害者が許すと言うまで謝るべき!」だとか・・・・・・・。
これまで、何度も政府間どうしで話し合い、決着をみたはずなのに国際的には。

 こんな国際的なルールも、外交的な決まりも、国家の指導者の取り決めも何も守れない国に、日本も目くじらを立てて「謝罪撤回しろ!」などとは言わずに、こちらは国際的なルールに則って《大人として》無視し続ける方がいいような。
騒げばそれにつけ込んで、何度でも手を変え品を変え、愚にもつかない難癖をつけてくるだけのような気がする。

  自分たちも《元寇の役》には、元に日本侵攻を進言し、元と一緒に対馬や壱岐の島の無辜の島民を殺戮し、あるいは日蓮聖人の書き残した文にあるとおり、島民の手のひらに穴を開け、そこに縄を通して、船べりに連ねたという残虐な行為をしておきながら。
(上の元寇の役をクリックし、対馬侵攻や壱岐侵攻の部分を読んでください)


 ぷりんとお父さんはさっぱり系だもんね。

  

 メジロさんたち、一日に述べ100回(羽)以上は入れ替わり立ち替わりやってくる。

        
























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2019/02/16 10:00 | 未選択

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