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サラリーマン時代の思い出。
会社を早期退職して20年、サラリーマン時代のお話を書いたついでに・・・・・。
鼻につくお方はスルーしてください・・・・・・ね。

 とある都会でのバーテンダー暮らしに見切りをつけ、故郷にUターンしたのが1969年。
ご近所のつてを頼って広島郊外のとある町にあるGSでアルバイト。

 ある日のこと、高校時代の同級生がGSの前を通りかかり、「何だったら自分がいる会社へ」と誘ってくれた。
 彼の言うがまま会社に入って、フォークリフトの乗務員として就職。



 ビール糟の匂いと、コンベアーを流れる箱の「コトン!コトン!」という音が耳に付き、いつでも辞めてやる・・・・・と粋がっていた・・・・・・・が、カミさんと生まれたばかりの長女のことを考えると矛先が鈍る・・・・。

 生来、気短で自由気ままな破天荒な毎日の会社時代だったが、当時は恵まれていて《クビ》にもならずに過ごせました(当時のことは、友人のテラさんがすべて知っていますが、多分今だったら即座にクビになっていたでしょう)。



 カメラを向けられたら、コーヒーの紙コップを咥えておふざけの不良社員、20年くらいは鳴かず飛ばずのお荷物社員・・・・・。

 ある年のこと、《労使懇談会》で、親会社から来られた早稲田出身の役員が、私の持論に対してそれまでのあぐらをかいた姿勢から、正座をして聞いてくださった。

 その方の後任の慶応出身の役員から、「小池くんは事務はできるか?」と聞かれ、「早い遅いはあるでしょうが、人が出来ることなら私にも出来ます」と答えた。

 分数も解けない破天荒野郎は、それまでの乗務員生活から、営業センターの事務員として異動となりました。

 私は『過去に戻れ!と、空を飛べ!と言われる以外、人間はなんとかなる・・・・』が持論です。 

 水を得た魚同然の私は、これまでの《しきたり(何十年も)》《理屈(屁理屈も)》《常識(人が作った)》などにまったくとらわれず、《情の通った人間対人間》の考えで、「なぜ出来ない?人が足りないか?時間が足りないか?道具が足りないか?足りないモノには可能な限り対応しよう!」と、営業マンからの依頼を断ることなく、配送センターのやり方をどんどん変えていった。

 なぜならば、《誰かが》仕事で板挟みになるほど辛いことはないからです。
「出来ない、出来ない」と言ってないで、誰かが安全弁を抜けば、お客様からの要求に困り果てた営業マンも、営業マンから泣きつかれて困っている担当の女性社員も、誰もがしょうもない板挟みで悩まなくてもいいからです。
 同じ悩むなら、仕事ではなくで悩みましょう!世の若人よ!!!!

 心臓を患い、センターが岡山に移るのを潮に早期退職をしたが、これまでのように『戦えない』ことが唯一寂しい気分になったのを、今でも覚えています(岡山まで車で行けば何ともなかったのですが、新幹線で行くと発車などの揺れで不整脈が起きていましたemoji)。

(当時の営業マンや、担当の女性社員の方々が何人か、このブログを見ているかも知れません。
いつか《舟友会》で飲みたいですね)

















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2018/07/23 19:48 | 未選択

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