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高切れの謎?
 釣りをしていると、時々?ということがある。
 三脚に立てかけた竿をあおってみると、ふぁっといった感じでラインが切れている。それもなんの抵抗もなくラインの途中から高切れしている。
 特に印象に残っているのは高知県の中芸海岸での夜釣りと、長崎県上五島の阿瀬津で夜釣りをしていた時。
 中芸海岸で何度か起こった高切れ,当初は訳が分からず?「カニの仕業?」「カニならエサの近くを切る筈・・」と話し合っていたが、なんとその犯人?は『波』だった。太平洋の荒波で「ドッシャーン!ガラガラ!」と寄せ返す波で、海岸のこぶし大からもう少し大きな玉石が打ち寄せられたり流れたり、その時にたるんだラインが石と石で叩かれて切れていた次第。

 阿瀬津では波も無く、どうしたんだろう?と海面を眺めていると、外灯に明るく照らされた海面をフグがたくさん泳いでいる。よく見ていると、そのフグがラインをかみ切っている。
 どうやら、ラインと水面が交差したその『点』が照明に照らされてフグから見れば何かエサのようにも見えるのだろう、早々にその場所から逃げ出した。
 
 上五島での思い出だが、若いころは「金は無いけどヒマがある」ので、友人と一週間くらい休みをとって、費用節減のためガス釜持参でご飯も炊き、車中泊などで釣り歩いたもの。
 当時は、博多港を夜中の1時前に出発、朝食弁当が要る人はこの時点で申し込む。(太古丸と清信丸という貨客フェリーが就航していた)
 朝5時ころ平戸口に到着、ここで朝食弁当を受け取るわけ。
 その後、平戸(まだ平戸大橋は架かっていなかった)→生月島→宇久島の平港→小値賀島と行く先々で、大量の食料やビールなど物資の積み卸しが行われる。
 そしてやっと夕方の15時ころに、中通島の青方港に到着。広島を夜の20時ころ出発して約19時間を要していた。現在就航の太古は8時間弱で青方港に到着しているようだ。

 ある年令になったら今度は「金はあるけどヒマがない」ということで、往復新幹線と飛行機、荷物は宅急便で送りレンタカーを借り、着いた日は夜釣り、翌日は民宿泊、最後の日も夜釣りと3日間を有効に釣り歩いたもの。
 ただし、頭島にある上五島空港は雲がかかりやすく、欠航の場合は隣の小値賀空港に着き、小値賀港から高速船シーグレイスで中通島へと渡ったこともある。

(1981年、上五島の道土井の幼稚園前で。この入り江では数々の大ギスを釣り上げた。ここにはアサリもたくさんいて、地元の方々と一番交流していた場所だが、ある年この入り江すべてが埋め立てられてしまった。
写真中央の峠道を越えると、浜の浦や小手の浦、小浜へ通じる。小浜へは、道路整備が進み今里からの方が早く着くようだ)
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2008/07/24 08:32 | 遠征のお話・思い出

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