忍者ブログ
馴染みの釣り場が・・・・。

  先日のテレビで、奈良の唐招提寺の御影堂の襖絵が紹介されていた。
ここの襖絵は、日本画の巨匠《東山魁夷画伯》の手によるもの。

 日本各地の滝や山などの風景に続き、渚を題材にした絵は島根県益田市戸田小浜での写生をもとに描かれている。



 また、海岸の岩の上に立つ松は山口県長門市の青海島の風景が描かれていた。



 10場面にも満たない描かれた風景のうち、私の釣り歩くエリアから2つも選ばれたのはとても嬉しいことでした。

 戸田小浜の渚は何度も訪ねていますが、青海島のこの松の生えた岩礁をいつか探してみたいものです。


 お話は変わって、お寺などの場合、宗教側の考え、観光客側の考え、歴史からの観点からの考えなどが交錯します。
 例えば、この唐招提寺から歩いて行ける《薬師寺》、歴史好きな私が最初に訪れたのは今から40年以上も前のこと。

 この時は、国宝の薬師如来と日光・月光菩薩が祀られていたのは、江戸時代だったかに再建された古色蒼然とした金堂で、三重の塔も国宝の《東塔》しか無い侘び寂びを感じる寺だった。

 その後、当時の管長の発願で参詣者から寄付などを募り、江戸時代の金堂は取り壊され、天平時代に建てられた当時と同じ極彩色の金堂と西塔が建てられた。

 日本中の文化財は、天災、戦災、人災、その他もろもろの災難を受けて、その時々の人たちの手で再建されて、それぞれの《歴史》を語り継いできているのです。

 例えば京都の東寺(教王護国寺)、千年以上も前に弘法大師によって建立されたものですが、伽藍はその当時のままではなく、日本一高い五重塔は徳川家光の寄進、金堂は豊臣秀頼の寄進をうけて、歴史を受け継いでいる。

 薬師寺も栄枯盛衰をくぐり抜け、江戸時代に金堂が再建されてきたそのものが歴史だと思う。
なのに、元はこうだったから・・・・と、新しく建て替えるのは、そのお寺の歴史というものを無視するような気がする。

  ほうれい線が出たから、目尻が下がったから元の?ように整形をしよう!
それが本来の自分の姿だったのだから・・・・・・・みたいにemoji

  明日香の石舞台古墳も、もとは盛り土があり葺石が敷き詰められていたから、と言って元のように盛り土をしたら、もう石舞台古墳ではなくなりますね。

 名古屋城も太平洋戦争で米軍機によって破壊され、現在はコンクリート作りのお城が建っている。
 これを初期の様式で木造で建てようという話を聞いたことがあるが、どんな意味があるのだろう・・・・。

 まぁ、あくまで独り言ですが・・・・・・。




























 













PR

2018/09/28 14:45 | 未選択

<<台風一過。 | HOME | ヘリコプター。>>
忍者ブログ[PR]