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人間の本質。
投げ釣りのブログ・・・・・と言っておきながら、最近はとんと釣りに行かずに能書きばかりのこのブログを、毎日多くの方々に観ていただき本当に申し訳ありません。

 実は愛犬ぷりんの体調が思いの外悪くて、今月初めの四国横断の折りも、私が出かけた土曜日は朝ごはんを食べたそうですが、夜になっても帰ってこなかった翌日曜日は昼までご飯を食べなかったそうです。



 先日、朝の4時に起きて広島空港近くのSC大会に出かけたら、やはり朝ごはんを食べなかったそうです。

 そんなこんなで、なかなか気が晴れないままで、ついつい釣りにも行きそびれているのです。

 私もある検診で陽性反応が出て、精密検査を・・・・と紹介状も届いていますが、ぷりん第一でいまだに行っていません。

 そこにもってきて、パソコンの調子が悪くて、全日本サーフ島根協会HP管理人さんに、代替え機を持って来てもらい、悪い箇所をみてもらっていますが、代替え機なので写真をうまく使えなくて、以前の写真を掲載してのブログになっています。

 先日、《道徳とは自分が行うべきで、人に対して説教するべきものではない》という、森信三先生の言葉をご紹介しました。

 私も鴨谷師のお亡くなりになった年齢(1931年1月21日~2006年12月3日)に近づき、それにともない多くの後輩と出会いが得られました。
 慕ってくる後輩に、私も熱心に小西イズム、鴨谷理論を説いていました。
その後輩たちからも、「この歳になると、親でも説教してくれないのに、小池さんから注意してもらってありがたい」と何人かから言われ、気を良くしていた頃もありました。

 しかし、釣り人も何年も経って上手になれば、天狗さんと名前が変わるのか?その後輩さん方もいつのまにか・・・・・・・・。
 最初のうちは《敬せられざるに至れるは 我が徳修まらざればなり》と、尊敬されないのは、自分がつまらないからとか、相手の非は自分の至らなさのせいだ・・・・・・などと、思うようにしていました。

 しかし最近は、《道徳とは自分が行うべきで 人に対して説教するべきものではない》という言葉を知り、目からウロコではありませんが、いくらその人達に先人の道を説いても、人間にはその人の本質というものがあり、個人々に受け入れる素地が無ければ、いくらこちらが本気になって説いてもムダなことだと思うようになりました。

 何人かの友人から、同じように後輩との人間関係についてのお話を耳にしましたが、彼らも「人間にはその人の本質というものがある」と思ったら気が楽になるのでは・・・・・と思っています。

 人に説くではなく、自分が心がけて暮らしていれば、同じような考えの人は必ず出てくると信じて。
 最後に・・・・・・、私は鴨谷師のお名前を何度も使わせていただいています。
それは取りも直さず、鴨谷師のお名前に泥を塗るような行動は絶対にとらない!と心に決めて、自分自身の戒めにもしているということです。















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2017/04/18 16:09 | 小難しいお話

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