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私の信条。
パソコンを魔法の箱と呼ぶ私、このブログも全日本サーフ島根協会の管理人さんに作ってもらい、更新だけをやっているような状況。

 2008年2月26日から本格的に書き始めて、一貫して心がけていることがあります。
それは《悪口》は言わない、書かない・・・・・・ということです。

 目を見てお話するなら、たとえ批判めいたお話でも、ちゃんと裏付けもあってのお話ができますが、ブログなどのように不特定多数の人たちに伝播する媒体では、やはり細やかなニュアンスの説明やフォローができないので、ブログを見た方に私の一方的な考えを植え付けることになりかねないからです。

 NHKラジオ深夜便のCDの中のお話、「人の悪口しか言えない人は成長能力の無い人であり、人の短所しか見えない人は、もう成長が止まった人だ」
「人の短所は誰にでも判るし、ひとの短所はいくら判っても偉くはないが、人の長所はなかなか見抜くことができない」

 同じ人生を過ごすなら、他人の短所を探してあーだこーだ指摘して、自分の心まで泥まみれにするよりも、他人の長所を見つけて自分も見習ったりした方がいいのでは・・・・・・、いずれはみんな同じこの星(地球)の土に還る身なのだから・・・・・・・・。

 ということで、私と親しくお付き合いしている方々は、以上のことを理解してくださっています。
 私と付き合いがある!と言う人で、他人の悪口をあーだこーだ言っている人がいたとしたら、その方と私は本当の意味でお付き合いしていない・・・・ということをご理解ください。

 よろしければ、私のこのブログの検索画面で『悪口』と入れてみてください。
2008年6月10日のブログでは、2チャンネルに書かれたこともあります^^;

  そう言えば、私のサラリーマン時代、本社の事務員さんが「センターはいいなぁ、私もセンター勤務になりたい!小池さんが人の悪口を言っているのを聞いたことがないから」と言ってくれたのも懐かしい・・・・・・。

 まぁサラリーマンである以上、同期や同格の人間が気になるから、ついつい悪口めいたことも口をついて出るのかな・・・・・・。
 私は、転勤を断ったりのまったくマイペース(上役に贈り物はしない貰わない)だったので、周りを気にしたことがなかったからでしょう。




















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2017/08/07 19:35 | 小難しいお話
思い立って・・・・・・・。

 おとといの火曜日、思い立って神戸・大阪まで日帰りで行ってきました。



 神戸に行った時のお約束、三ノ宮高架下にある《餃子の珉珉》へ。

 そのあと、先輩と慕う方のところへご挨拶とお願いに行き、夕方は大阪在住のクラブ員鈴Kさんご夫妻と串かつで一杯emoji

 私も、みなさんと同じ365日で一年の年を取り、ここまで馬齢を重ねて参りました。
年齢・釣り歴もさることながら、昭和46年(1971年)入会した、全日本サーフキャスティング連盟在籍も・・・・・・。
 しかし、ある人が言った言葉を思い出します。
《年を重ねればベテランにはなれるが、そのままでは上級者にはなれない》・・・なるほど。

 この年になると、辞めて行かれたり、鬼籍に入られた方ありで、ずいぶんと「先輩」が少なくなりました。

 神戸の先輩、以前もこのブログに書かせていただきましたが、「鴨谷師世代の数少ない先輩」なのです。
 実際で言うと、ご一緒に釣りに行ったことは一度もないのですが、お話を拝聴していると鴨谷師のことを思い出すのです。

 その方や私を含め、釣り人というものは毀誉褒貶の多いもの、それはそれ勝海舟の《行蔵は我に存す 毀誉は他人の主張 我に与らず関せずと存じそうろう》です。

 私は、「師を持つ」「先輩を持つ」「畏友を持つ」「後進を大切に」を心がけています。
例えば、
①小西和人氏より遠くに投げることができたら、小西和人氏を超えたことになるのでしょうか?
②鴨谷計幸師より、大きな魚を釣ったら鴨谷師を超えたことになるのでしょうか?

 釣り人には、他の趣味に無い褒称があります。
それは《天狗》です。
なんと、この世に天狗の多いことか・・・・・・・emoji

 私が師、先輩、畏友を大切にするのは知らずしらずのうちに至ってしまう《慢心》を戒めてているのです。

 日本を代表する教育者《森 信三》先生の言葉があります。



 釣りでの師、鴨谷師の他に人生の師はおられます、私は常に師のお顔に泥を塗ることのないように心がけています。



 私に何かあれば愛知県や愛媛県から遠路駆けつけてくれる畏友がいます。
この友に知られるのは恥だ・・・・と、行動や発言には気をつけています。



  同様に、後進に対する態度も大事です。威張ったところで「飯も食えば出すものも出す、人間たかがしれているのですから」



《礼》はしっかりと心がけておきたいものです。

























2017/07/13 19:53 | 小難しいお話
人間の本質。
投げ釣りのブログ・・・・・と言っておきながら、最近はとんと釣りに行かずに能書きばかりのこのブログを、毎日多くの方々に観ていただき本当に申し訳ありません。

 実は愛犬ぷりんの体調が思いの外悪くて、今月初めの四国横断の折りも、私が出かけた土曜日は朝ごはんを食べたそうですが、夜になっても帰ってこなかった翌日曜日は昼までご飯を食べなかったそうです。



 先日、朝の4時に起きて広島空港近くのSC大会に出かけたら、やはり朝ごはんを食べなかったそうです。

 そんなこんなで、なかなか気が晴れないままで、ついつい釣りにも行きそびれているのです。

 私もある検診で陽性反応が出て、精密検査を・・・・と紹介状も届いていますが、ぷりん第一でいまだに行っていません。

 そこにもってきて、パソコンの調子が悪くて、全日本サーフ島根協会HP管理人さんに、代替え機を持って来てもらい、悪い箇所をみてもらっていますが、代替え機なので写真をうまく使えなくて、以前の写真を掲載してのブログになっています。

 先日、《道徳とは自分が行うべきで、人に対して説教するべきものではない》という、森信三先生の言葉をご紹介しました。

 私も鴨谷師のお亡くなりになった年齢(1931年1月21日~2006年12月3日)に近づき、それにともない多くの後輩と出会いが得られました。
 慕ってくる後輩に、私も熱心に小西イズム、鴨谷理論を説いていました。
その後輩たちからも、「この歳になると、親でも説教してくれないのに、小池さんから注意してもらってありがたい」と何人かから言われ、気を良くしていた頃もありました。

 しかし、釣り人も何年も経って上手になれば、天狗さんと名前が変わるのか?その後輩さん方もいつのまにか・・・・・・・・。
 最初のうちは《敬せられざるに至れるは 我が徳修まらざればなり》と、尊敬されないのは、自分がつまらないからとか、相手の非は自分の至らなさのせいだ・・・・・・などと、思うようにしていました。

 しかし最近は、《道徳とは自分が行うべきで 人に対して説教するべきものではない》という言葉を知り、目からウロコではありませんが、いくらその人達に先人の道を説いても、人間にはその人の本質というものがあり、個人々に受け入れる素地が無ければ、いくらこちらが本気になって説いてもムダなことだと思うようになりました。

 何人かの友人から、同じように後輩との人間関係についてのお話を耳にしましたが、彼らも「人間にはその人の本質というものがある」と思ったら気が楽になるのでは・・・・・と思っています。

 人に説くではなく、自分が心がけて暮らしていれば、同じような考えの人は必ず出てくると信じて。
 最後に・・・・・・、私は鴨谷師のお名前を何度も使わせていただいています。
それは取りも直さず、鴨谷師のお名前に泥を塗るような行動は絶対にとらない!と心に決めて、自分自身の戒めにもしているということです。
















2017/04/18 16:09 | 小難しいお話
ものの優劣とは・・・・・・・。

 私は、変わり者・・・・・・と言うか凝り性と言うか?
例えば、ご覧の写真のように、《毛利元就》とか《四国遍路》とのタイトルが目に付けば即買いです。



 毛利元就の本が19冊、四国遍路の本が21冊です。
まだまだ目に付けば買います。


 お話変わって21冊の四国遍路の本の中で2冊ほど、少し鼻持ちならない本があります。
要は、『歩きがぁ~♪ 尊ぉ~としぃ~♪』と言わんばかりか、車やバスでなく歩いてこそご利益が・・・・のような書き方をしてあるのです。

 私は昨年の夏に、28番の大日寺から27番神峰寺、26番金剛頂寺、25番津照寺、24番最御崎寺、23番薬王寺さんの6ヶ寺をほぼ同じペースで若いお孫さん二人の運転で廻っておられた80歳半ばのおばぁちゃん遍路を思い出します。

 お背中も曲がっておられましたが、薬王寺さんの階段も一生懸命登っておられました。
お孫さんの若いお嬢さん方も、一緒に三人で笑顔で会話を交わしながらお参りされているほほえましさに、最御崎寺と薬王寺さんで一言三言お話しさせていただきました。

 上の写真のある本の著者たちのように、自分の職業の延長で廻って本にした人や、公務員を定年退職し、予算も日程も十分に使えて、38日の予定ですべて宿や民宿に泊まって、歩きとおした!と本を出版でき、車やバスでのお遍路を見下すようなお遍路さんと、このようにお孫さんとゆっくり楽しい会話をしながら、何日かは分かりませんが廻っておられた超高齢のお遍路さん、どちらに優劣がつけられましょうか・・・・・・・・・・。


 前置きが長くなりました。
私が投げ釣りを始めたころ、ある団体が「投げ釣りはナマリを投げて危ない!」「ふかせ釣りは撒き餌で海を汚す!」「我々の釣りは竿と糸と針、それに必要最低限のオモリだけ、これが本当の釣りだ!」と言っていました。

 またその後ずいぶん経ったころ、あるグループが「渓流でのエサ釣りは百姓の釣り、フライフィッシングが貴族の釣り」と、舶来のバンブーロッドを磨いておりました・・・・・・・・。
 
 釣りを50年ちかくやっていると、このように『我が釣りぃ~♪ 尊ぉとしぃ~♪』みたいな、いろんな意見を耳にします。

 投げ釣りのカレイやマダイ狙いなどでは、アタリがそんなにあるわけではなく、どうしても竿を複数用意するようになります。
 そうすると、竿を一本しか使用しない釣り人の一部から、非難の声が極々稀ながら耳に入ることがあります。

 ここで、最初のお遍路さんの優劣のお話を思い出します。

 私は絶対に、他の釣りについて干渉しないと心に決めています。
好きになった釣りがそこにあり、自分が人間として恥ずかしくない行動をとれば、どんな釣りをしようと優劣はないはずですから・・・・・・・・(もちろん赤土など違法の釣法は別ですよ)。

道徳とは、自分が行なうべきで、人に対して説教するべきものではない


  森 信三先生の言葉 ←お忙しく、面倒でしょうが、ぜひクリックして見てください。
どれか一つは「なるほど・・・・・」と思われる言葉があると思います。





























2017/04/10 20:10 | 小難しいお話
『友』
ここ十年くらい仲間10人くらいで《似島初心者ファミリーフィッシング》のお手伝いに行っている。
 自分々で広島港での一日駐車代金を払って、あるいは有料道路代の払って一日中お手伝いくださっている(世話役の私だけに特別のメリットがある訳でもありません)。

 本当に『友』はありがたい・・・・・・・。

 以前、このブログにも書きましたが、孔子の言葉を思い出します。

 孔子曰く、益する者の三友あり。
      損なう者の三友あり。

 直なるを友とし、諒なるを友とし、多聞なるを友とするは益するなり。
 便癖なるを友とし、善柔なるを友とし、便佞なるを友とするは、損なうなり。


 という言葉があります。
意味は
孔先生の教え。
 自分にとって有益な三種の友がある。
 (逆に)有害となる三種の友がある。

 まっすぐな友、義理堅い友、博識の友、これは有益である。
 しかし、追従する友、裏表のある友、口先の巧みな友、これは有害である

 あなたの身の周りにはどっちのタイプの人が多いですか?

 私は、人間いろいろだし、自分と同じ考えの人ばかりだとだんだん小さく纏まってしまうので、自分とは違う人の考え方を違う切り口から見るようにしています。

 これは、薩摩の中興の祖と言われる、島津日新公の唱えた『日新公いろは唄』の「」に書かれている。

  似たるこそ友としよけれ交らば 我にます人 おとなしきひと

⇒人は自分と似たような人と仲良くなるが、それだけでは進歩は望めない。
 自分より優れた見識を持つ者を友とすることで自己研鑽をすることが必要だ。

 善きあしき人の上にて身を磨け 友はかがみと なるものぞかし

⇒人は自分の行いの善し悪しを知ることは難しいが、他人の行いの善悪は
 目に付く。日頃、友人を見て良いことはこれを見習い、悪いことは反省せよ。




 それから常に心がけていることは、「一旦厚誼を結んだ以上、自分からは縁を切らない」ようにと。

 しかし、こと【裏切り】はこちらからでも仕方ありません。
 と言うか、こちらから縁を切る・・・・・というより、裏切る行為・言動は、相手から私との縁を切っているということなので、突き詰めればこれも私からは縁を切っていないということですね・・・・・(^^ゞ

 それから【悪口・陰口】もきらいです。
私が人から受けた印象を悪く言って、それを聞いた人に先入観を植え付けるのがよろしくないからです。
 人はそれぞれ受け止め方が違うので・・・・・・・・・。

 京都大学第16代総長の平沢 興 先生の言葉に

 『人の悪口しか言えない人は  もう成長能力のない人であり、
   人の短所しか見えない人は 成長が止まった人である

 悪口から何か「良い事」が生れるならそれもありかもしれませんが・・・・・・。


















2016/11/04 17:14 | 小難しいお話

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